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 ここしばらく続けている、「弱者男性論論」についてです。
 男性ヘイト記事の騎手、藤田直哉師匠が連載を更新していたので、ごく軽くですが採り挙げることにします。
 このサイト、最新記事を大変見つけにくい上にリンクも間違いだらけで、何とかして欲しいんですが……。
 ちなみに本稿、Xでちょっと書いたものをリライトしたもので、内容はその時とほぼ、同じです。
 それでは、そういうことで――。

 結論から書けば、相も変わらず「暴力性=有毒な男らしさ」は悪いで~ちゅ、というだけの幼稚極まる内容です。
 今回テーマとなっている『アドレセンス』はぼくが出させていただいた『ABEMAプライム』でも扱われた、「マノスフィア」をテーマとしたドラマです。
 マノスフィアというのは別にそうした組織があるわけではなく、欧米のSNSにおける、弱者男性のコミュを指す言葉。主人公の少年はそこに入り浸り、ガールフレンドを殺してしまうと言う、まあ、お察し七位用なのですが……。
 ただ藤田師匠はこれに対し、主人公の父親が男の暴力性に対峙し、それに抵抗してきた人物であることがドラマ内で描写されていること(ところが裏腹にドラマの感想でそれに言及している者が少ないこと)を指摘しています。確かにそこだけ見ればドラマに誠実に対処しようとしているかのように一見、見えるのですが……。
 ところがそこまでしておきながら結局は「暴力性=有毒な男らしさ」は悪いで~ちゅ、と関西芸人の一発ギャグのように「同じオチ」繰り返すばかり。
 途中までは真剣に考えるが、そこで脳がフリーズし、再起動してまた聖書の記述を朗読している、といった案配。
 これはベンジャミン・クリッツァー、白饅頭、橘玲各師匠が同様のテーマを語り、途中までは進化心理学の類を振り回して「性差は存在する」と語りながら、いきなり「フェミ様は正しいで~ちゅ」とそれまでと打って変わった結論をとってつけるという奇観と「完全に一致」している。

 本稿の後半はかなり男性性について共感的に捉えているようなことが書かれ、そこはそれなりに賛同できるのだが、ならばフェミが間違っていたという結論にしかならないと思うのだが、何か「(男を)変えていかなければならない(大意)」とかほざいて終わり。

 マノスフィアについてもマチズモの牙城と決めつけ、「彼らは何故男らしさにこだわるのか」と首を捻る。
 ぼくも海外事情については知識がなく、その真偽を云々する材料を持たないが、十中八九、左派の妄想だろう(理由は後ほど)。
 まあ、「第一次産業っぽいのが衰退したせいで男の価値が減じた、それは近代社会の必然」みたいな分析は正しいと思うが、「なら男らしさにこだわるのは正しいじゃん」という感想しかない。
 だが、彼の入信するカルトにとり、「男らしさ」は絶対悪なのだから、そんな考えに至ろうハズもないわけだ。
大体、あそこまで「弱者男性問題」は「非モテ問題」でなきゃいけなかったのに、いきなり「労働問題が云々」と述べ出すことがさっぱりわからない。
(もちろん女が労働の場に進出する一方、男を養わないという問題からは、全力で目を伏せ続ける)

 第一、マノスフィアというのは基本、SNSで展開しているはず。つまり夥しいテキストの蓄積があるはずだ。ところが藤田師匠は教祖様たちのありがたいお言葉は嬉しげに引用するが、マノスフィアの声について一切、伝えない。これは本連載が一貫して採用している方法論だ。相手を見ず、ただ相手に向けて銃撃を続けるという。
 さらに言えば藤田師匠のみならず、上に挙げた「弱者男性を語る左派」は全員、弱者男性の論調を歪め、そのソースを提示しないという悪質極まる手法でプロパガンダを今まで繰り返し続けてきた(詳細は以下の動画を)。
 上にマノスフィアについての師匠の言は「十中八九妄想だろう」と書いた理由はそれで、今まで嘘を重ねてきたのだから、上の瞬間だけ正しいことを言っているとは、到底考えられないということだ。