「ちっ、また降ってきやがった」


かやぶきの屋根をしたたかに打ち付ける雨音が冷たい土間に響く。
囲炉裏の火に照らし出された男の顔は渋く歪んでいた。


「くそっ、上手くいかねえ。チクショウが!」


元用心棒の男は荒れていた。手下数人がそれを戦々恐々と見守る。


「大丈夫だよ親分! 真っ逆さまに沢に落ちたんだ、アイツらきっと死んでるよ!」

「そういう問題じゃねえ! オメェを沢に叩き落とすぞ!」


たかが二人とはいえ、取り逃がした失態の影響は大きかった。

逃げた連中が仲間を連れて戻ってくる可能性がある以上、残された村人が易々と口を割ることはない。
もとより仲間を見捨てて逃げるような連中であれば、残された者に人質としての価値もない。

もし万が一仲間を引き連れて戻ってくればここを離れざるをえなくなる。
そうなればこの村が蓄えている金を強奪するという計画が水泡に帰してしまうだろう。

その重大な問題にいち早く気づいたのは元用心棒であった。ゆえに手下には逃げた二人の首を取ってくるよう指示したのだが、手下どもは崖から転げ落ちた二人をそのまま放って帰ってきてしまったのだ。


「せめて耳の一つでも持って帰ってくりゃいいものを……!」


村人たちの心を折る上で最も重要なのは、助けが来ないという事実からくる絶望である。
それがなければ今晩中に金の在処を吐かせるのは難しいだろう。


「いっそみんな斬り伏せて口を封じちまうか……?」


日はとっくに暮れており、空も雨雲に覆われ山間は墨をぶちまけたように黒く染まっている。今から屍を捜しに行くのは困難だ。加えてこの大雨である、沢に落ちたのであれば流されているかもしれない。

それより気がかりなのは、もし生きていたとしたら、である。
仲間を引き連れて戻ってきたらと思うと、背筋が凍りつき体の芯がブルリと震える。


「チクショウがっ!」


男は恐怖を誤魔化すように、怒りにまかせて傍にあった瓶を蹴り上げた。しかしなみなみと水が張られた瓶はびくともせず、逆に蹴った男の足にジーンと痺れを残した。


「いってぇーーーっ! クソッ! クソッ!」


男は酒を呑みたい気分だった。しかし瓶から乱暴にすくい上げた水ではいくらあおっても酔えやしなかった。







「くそう、損な役回りだなあ」


屋敷の外では見張りに出された手下の一人が眠気と戦っていた。
手下たちの中でも一際体の大きな男である。しかし雨に濡れてすっかり冷えたその体を、睡魔がじわじわと蝕んでいた。

山間の村には村長宅の他に明かりはなく、折からの雨天で眼前は深い闇に包まれている。
果たしてわざわざ冷たい夜雨に濡れてまで外で見張りをする意味があっただろうか。

手下自身、逃げた者たちを取り逃がしたことに対するあてつけのような気がしてならない。


「へっぷし」


くしゃみの弾みで手に持った槍が転げ落ちた。
それは雨に濡れた軒先へ転がり、ビチャリと穂先を濡らす。


「いけねえいけねえ。うう、さむさむ……」


手下はなるべく濡れないよう、軒下から前かがみに手を伸ばした。

その刹那、眼前の闇の中からニュッと現れた二本の腕が手下の頭を抱え込んだ。


「……っ!」


声を出す間もなく、首に巻きついた腕が手下の首をギリギリとしめ上げる。
どうにか振り払おうと腰の脇差に手を伸ばそうとするも、今度はその腕ごと体をしめつけられ身動きを封じられる。

ほどなくして手下の意識は夜の闇に溶け落ちた。


「もういいぞ、放してやれ」


暗闇からぬるりと這い出したのは、雨と泥にまみれた二人の男女。
三郎左衛門とつばめであった。

手下と比べれば体格的に劣る二人だが、闇と雨に乗じて二人がかりで襲い掛かればかくの如しである。


「次はどうするんだ、三郎左」


つばめの問いに、三郎左衛門は待っていましたと言わんばかりの不敵な笑みを浮かべる。


「人ってのは一人も集団も同じさ、目を潰されりゃ次は耳に頼る。ほら、こいつだ」


三郎左衛門から手渡されたのは、村の畑に放置されていたクワであった。


「クワ? こんなものでどうするんだ?」

「決まってるじゃねえか、死ぬ気で耕せ。そら声出していけ! おーっ!」

「お、おーっ!」


つばめは半信半疑ながらも、三郎左衛門の奇妙な策に任せる他なかった。







その音は捕えられ衰弱した足軽たちの耳に、村人たちの耳に、そして彼らを虐げる野党たちの耳に届いた。土をめくり上げる数多の音、そして鬨の声。
それは雨音に紛れかすかに聞き取れる程度であったものの、確かにこちらへと近づいているようだった。

野党たちの脳裏を最悪のシナリオがよぎる。


「チクショウ! もう来やがった! クソッ!」


元用心棒の顔が蒼白に染まる。
対して捕えられた者たちの顔はパァッと明るくなった。


「助けだ! 助けがきたんだ!」

「うるせぇ黙れ! そんなわけあるか! いくらなんでも早すぎる!」


その実態は二人の足軽が豪雨の中ひたすら地面を耕しているだけなのだが、元より予見していた敵襲という恐怖、そして見張りに出しているはずの手下が何の反応も示さないという恐怖が、悪漢たちの心の均衡を乱す。

とどめとばかりに次の瞬間、村長宅の木戸が破られ大男の体が土間に転がり込んできた。
完全にのびきった手下の大男はピクリとも動かない。

それをきっかけとして、堰が切れた。


「ぎゃああああああああっ!!!」

「おら死にたくねえよおおおおおっ!!!」

「おい待てお前ら! 待てつってんだろコラァ!」


手下の男たちが裏口から、まるでつい先刻の三郎左衛門を映したかのように逃げ出していく。それを追うように、元用心棒の男も足をもつれさせながら転がり出ていく。男たちは真っ暗な雨の山道をでたらめに走り、何人かは沢に落ちていった。




「うしゃしゃしゃしゃ! ちょろいもんだぜ」


壊れた木戸からのっそりと姿を現したのは赤い鉢巻の雑草頭、三郎左衛門である。
その背後からつばめがひょこっと所在なさげに顔を出した。


「こんな卑怯な手であっさり勝っちゃっていいのか……?」

「血を流さず穏便に済ますのが大人のやり方ってやつだぜ、お勉強になったねえお利口ちゃん」

「むぐぐぐぐ」


いやらしく笑う三郎左衛門は、ニッと白い歯を見せた。

それと対照的に顔を真っ赤にしてうつむくつばめ。





その頭を、大きな掌がガッチリと掴んだ。


「そういうことかい、よおくわかったぜ、お利口ちゃん」

「あひっ……」


山道で転んだのか、泥にまみれた顔に般若の如き形相を浮かべた元用心棒の男がそこにいた。
反対の手には切れ味の悪そうな刀が握られている。


「たばかりやがったなこのカスども。今なら首二つで許してやるぜ、俺様ってば優しいから……」


もはや手下も残っていない。彼の声に同意するものは一人もいない。
しかし男はそんなことを異に介することもなく、ボロボロの刃をつばめの首筋にあてがった。

万事休す。祝勝ムードから一転して生命の危機である。


「ひいいい、お助け……」


その白い首筋に鈍色が触れた。
南無三! 今度こそ一巻の終わりである。あしがるこれにて完結!

だがそうさせまいと一人の男が声を荒げた。


「待てーっ! 金の隠し場所なら俺が知ってる! だからちょっと待て!」


叫ぶように止めに入ったのは三郎左衛門である。


「さぶろうざ……お前……!」

「瓶の中だ、金は瓶の中に隠されてる。間違いねえ!」


ズビシッと三郎左衛門が指をさした先にあるのは、男が蹴り上げて悶絶したあの大きな瓶であった。
水面に天井の梁を映し、瓶は静かにそこに佇んでいた。


「ああん? デタラメ言ってんじゃねえだろうな?」


男の手に力が入り、刃がつばめの頬をなでる。
刃こぼれした狂気がつばめの長いまつ毛の先に触れる。


「そそそ、そうだぞ三郎左。お前あんまりテキトーなことばっかり言うんじゃ……」

「テキトーなもんか。考えてもみろ、この村には井戸がある。そんなにでかい瓶をわざわざ置いておかなくったっていいだろ? つまりそいつが金の隠し場所ってわけだ。確かめてみろよ」


どうだと言わんばかりに胸を張り、あまりに自信満々な三郎左の言葉に、悪漢の心がわずかに揺らいだ。
確かに用心棒を任されていた間、村中くまなく探し回ったが金の所在はついぞ突き止められなかった。

それはつまり隠し場所に“金を隠す以外の用途”があったからではないのか。

道理である。


「えらそうに言ってんじゃねえぞ、俺様は最初からわかってたんだぜ……?」


男はつばめの頭を掴んだまま、ゆっくりと瓶を覗き込んだ。

すると瓶の底になにやら光るものが見えるではないか!


「お、おおお、おおおおおっ! あったぞ俺様の金!」


男の目がカッと見開かれる。
その輝きはまるで瞳の中に吸い込まれるように男との距離を縮める。



否、吸い込まれたのは男の方である。


「ぬああああああっ!!!」

「おおおおおっ?!」


男が瓶の底に気を取られたその一瞬を、逃す剣鬼の娘ではない。
その矮躯からは想像もつかないほどの怪力で男の体が持ち上げられる。

腕を掴まれた男は、見事な一本背負いでそのまま瓶の水面へと叩きつけられた。


「テメコラァーっ! がぼぼ!」


男は体を元に戻そうと瓶底に手をついて踏ん張るも、指先から伝わってくるのは銭の感触ばかりである。
それどころか、つばめと三郎左衛門に足首を掴まれてしまい、瓶の中で逆さ吊りの体勢を強いられてしまっている。
いくらもがけども、大きな瓶になみなみと張られた水は男の体に纏わりついて離れない。
口から鼻から目から耳から冷たい水が容赦なく肺へと流れ込む。


「がぼがぼっ! ごぼぼぼぼっ!」


もはや何を言っているのかわからないが、恨みごとであるのは間違いないだろう。
活け魚のように跳ねていた脚も次第に動きが鈍くなり、ついには動かなくなってしまった。


「金にくらんだ目も、ちったあ覚めただろうよ」

「きゅうう……」


果たしてその声は耳に届いたのだろうか。ずるりと瓶から引きずり出された男は、口から水を噴水のように吹き上げながら白目を剥いていた。







夜が明けると、昨夜の豪雨は嘘だったかのようにまぶしい太陽が顔を見せた。
一昼夜連絡を絶った場合は本隊が動く手筈になっているらしく、三郎左衛門とつばめは他の足軽たちと一緒に迎えを待っていた。

もし昨夜二人が悪漢たちの凶行を止めなければ、誰かが殺されていてもおかしくなかっただろう。
全員無事に今日の朝日を拝むことができたのは、まさに奇跡である。


「いやあ、見つかってしまいましたなあ」


スマキにされたままの村長は困ったように笑顔を浮かべ、助かったことへの安堵で処分に対する不安を掻き消すよう、わざとらしく声をあげた。


「こんなところに隠してたのか。まったく気づかなかったぞ」


ジャブジャブと瓶の底からお金を拾い集めているつばめも、次から次へと出てくる銭の山に目を丸くしていた。
その様子を訝しげに眺めているのは悪徳足軽、三郎左衛門である。


「少ねえな」

「「えっ」」


つばめと村長が同時に声を発した。
言われてみれば確かに大金ではあるのだが、ちょっとした小金持ち程度のものだ。
家を建て替え、宴を催し、用心棒を雇い入れるほどのものだろうか。

三郎左衛門は顎に指を這わせながら眉間にキュッとしわを寄せた。
そしていやらしい、あの悪人じみた笑みを浮かべる。


「ハハン。こりゃいざ踏み入られた時のための、取り上げられても痛くない金ってやつだな」


村人たちの間に動揺が走る。


「そんなことないですよ足軽さん。もう一文無しのすっからかんですよ、ええ」

「あーはいはい。本当の隠し場所ならもう見当はついてるんだけどな。うけけけけ」


そう言って三郎左衛門が指差したのは、今は使われていないであろう古井戸であった。
つばめが落とされたあの井戸である。


「あんさん、ありゃただの古井戸ですよ」

「すぐ近くに沢があるのに、わざわざ井戸なんか掘らなくったっていいだろバァーカ」

「あっ」


村人たちは顔を白黒させながら押し黙った。
誰一人として是とも否とも声をあげることはなかったが、一様に見せた沈痛な面持ちが三郎左衛門の推察が正しいことを物語っていた。


「なるほど、じゃあ本隊とやらが着いたら井戸の中から金を引き上げればいいんだな」


感心したように頷くつばめの唇に、それ以上言うなといった風に人差し指が添えられる。


「わかってねえなあ、お利口ちゃんめ。本隊が来る前に運び出して隠しちまえば、まるごと俺たちのものにできるってことさ。三郎左衛門流足軽兵法その三だ。“好機と小銭はひろったもの勝ち”ってな。うしゃしゃしゃしゃ!」


言うが早いか、三郎左衛門は上着を脱ぎ捨て古井戸へ飛び込んだ。







本隊が到着したのは、それから半刻ほど経った後のことであった。
野党とは比べものにならないほどよく訓練されているのを見るに、元用心棒の男たちが恐れていたのも頷けるというものだ。
足軽を率いる男は的確に指示を出し、部下を怪我人の救護や村人の搬送、野党どもの残党の処理にあたらせていた。


「足軽頭の鵜飼兵庫介だ。怪我人どもから話は聞いた、手間をかけたようだな」

「はい、小川つばめです……」

「つばめか、覚えておこう。ところで、馬鹿の三郎左衛門はどこにいる」

「それがその……えっと」


頬を赤く染めたつばめが指をさした先には古びた井戸があった。
兵庫介が近づくと不思議なことに、その中から男の叫び声が聞こえてくるではないか。


「あひーっ! ドジョウが変なとこに入ってくりゅのお! 誰かたしゅけてーーっ!!」


足軽頭の溜息は井戸より深く、雨上がりの空はどこまでも青かった。