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【前編】泉和良「自作ゲームしかなくなっちゃったんですよ」(代表作:『自給自足』『エレGY』)
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【前編】泉和良「自作ゲームしかなくなっちゃったんですよ」(代表作:『自給自足』『エレGY』)

2013-02-24 12:30
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    ※『エレGY』は星海社のWebメディア「最前線」でコミカライズ作品(作/大岩賢次)が無料掲載中
     小説本編も随時公開中
     泉和良Twitterはコチラ
     泉和良さんのホームページ「あばたえくぼ」はコチラ


    中学校時代の夢を叶えゲーム会社へ


    ―――『エレGY』を読んでいても、アンディー・メンテのホームページで発表されている自作ゲームの多さを見ても、「なんで泉さんはなんでそこまで自作ゲーム作りにこだわっていたんだろう」と疑問に思っていました。そこで今回は「自作ゲーム制作者としての泉和良さん」について、根掘り葉掘りお聞きしたいと思います。

     ははは。わかりました。

    ―――では、泉さんが最初にゲームを作ったのはいつごろだったんでしょうか?

     中学生のころでした。四角いブロックと丸い敵がいるだけのシューティングを作ったのがはじめてだと思います。MSXで作ったんですけど、それからゲーム作りにはすぐにハマりました。

    ―――その後はどんなゲームを作られていましたか?

     ミニゲームが多かったですね。子供が積み木で遊ぶように、自由奔放に考えては作り考えては作りでした。作品も周囲の人たちにやってもらったりするんですけど、きちんとゲームとして完成させようとはそこまで考えてなかったですね。習作といった感じでした。

    ―――作品を公開し始めたのはいつごろだったんですか?

     大学生のときです。インターネットがまだ始まるころの時代、草の根BBSという小規模なパソコン通信あって、そこにアップロードしていたんですよ。アンディー・メンテとジスカルドいう名前を名乗りだしたのもそのころでした。やっぱり公開すると、いろんな反応をもらえるようになるんですよね。それが面白くて。それからさらにゲーム制作に熱中するようになりました。

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    ※泉さんが大学時代に制作した自作ゲーム『ビクトリー』(99年)は人気を呼び、シリーズ化された。Ver1.0の内容は街に現れた巨大小猫(本人による説明ママ)を「攻撃」と「まほう」を駆使してかわいがったり、けしかけたりするというもの。


    ―――大学卒業後はゲーム会社に入社されたということをお聞きしました。

     はい。2社で仕事をしました。新卒で入った1社目はグラフィック担当として、2社目は音楽担当として入社しています。

    ―――自作ゲーム制作者さんのなかには、商業ゲームではできない活動をすることにこだわりを持つ方もいらっしゃいますが、泉さんはゲーム会社にも入られたんですね。

     そうですね。自作ゲームを作り始めたころから、働くならゲーム会社がいいなあって考えていましたのを思い出します。なにせ、中学校のころに書いた将来の夢が「ゲーム会社の社員」だったぐらいですから(笑)。

    ―――中学校のころの夢を叶えたんですね。会社に入社しても自作ゲーム制作は続けられたんですか?

     はい、続けていました。

    ―――では、ゲーム会社に勤めて商業ゲームの制作に携わったことは自作ゲーム作りにどういう影響を及ぼしましたか?

     やっぱりゲーム作りに関する新しい仕事を覚えたことで、やれることが増えたのが一番でしたね。だからゲーム会社の入社後には、自作ゲームのジャンルも幅広くなりましたよ。よく作っていたジャンルだとRPGとかになるのかなあ。単純な構造のゲームだけじゃなくてRPGのようなお話のあるゲームも作れるようになったから、嬉々として作っていたんでしょうね。

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    ※会社員時代の思い出のゲーム『ライヂング★スター7』。真っ当なRPGといった趣きの作品だが、マップが存在しない。マップが存在しない理由は「マップは面倒くさかったんでしょう」(泉さん)とのこと。


    ―――自作ゲームの制作と商業ゲームの制作を並行でやっていて、「自分はこっちが性に合っているな」ということは考えていましたか?

     いや、比較してどっちがみたいなことは考えてなかったです。ゲーム作りの欲求は十分に満たされていたんですよ。会社では歯車のひとつとなって会社でしか作れないゲームを作れればいいとも思っていたし、趣味は趣味、仕事は仕事と分けていました。自作ゲームも余裕を持って作っていたなあという記憶がありますね。


    生きるために自作ゲームを作る


    ―――しかし、泉さんはゲーム会社を辞められることになります。辞められたきっかけというのはなんだったんでしょうか。

     2社とも辞めた理由は違うんですけれど、2社目を辞めた理由としては「仕事を振ってくれなかった」ということが大きかったですね。

    ―――会社に仕事がなかったということですか?

     いや、仕事はありました。正確に言うと「もっとやりたいのにやらせてくれない」んです。

    ―――というと?

     失礼な言葉かもしれないですが、とにかくヒマだったんです。たとえば上司から「1週間で1曲作ってくれ」と言われた仕事があるとしますよね。そして、その曲が1日でできたりすることもあるんです。でも、提出しようとすると上司は「1日でできたものは受け取らない!」ということを言うんですよね。そうすると残りの6日間はやることがなくなるんですよ。だから1曲じっくり作っているふりをして、6日間は自作ゲームの作業をするようになったりして。

    ―――なるほど。

     上司からすると1人にだけどんどん仕事を与えるのもイヤだろうなということを当時の自分もわかってはいたんでしょうけど、そういう時間の使い方に慣れなくて。何回も上司に「もっと仕事を振ってくれ!」と訴え続けていました。

    ―――量の部分で物足りなさを感じたんですね。

     そういう働き方も長い間やっているとやっぱり不満が溜まってくるんです。音楽以外にも自分から立候補してスクリプトやグラフィックをやったりしたんですけど、最終的には辞めるという結論になりました。

    ―――またゲーム関係の会社へ就職することは考えなかったんですか?

     当時はもういいかなという気分でした。記事を書くほうになろうかなと思ってゲーム雑誌の求人にも応募してみたこともあるんですけれどそれも通らなくて、じゃあいいかと。

    ―――ゲーム作りは自作ゲームだけでいいと。

     正直なところ、「自作ゲームの収入もあるしなんとかなるかな」と思っていた節があったんです。今でもそうなんですけど、アンディー・メンテでは自作ゲームを無料で公開した上でサントラCDとか資料集とかをファンの人に買ってもらうことで収入を得る、という収益構造なんです。なので、その収入があれば会社辞めても生きてはいけるよなという軽い考えもあって。

    ―――自作ゲームで食べていくのは至難の業だと思うのですが、それでも生活できると踏めるだけの収入があったということですよね……。

     でもそうすることで、根本的に自作ゲームとの関わり方が大きく変わってしまったんです。自分から「会社員」という肩書きがポンとなくなったとき、「自作ゲーム」しかなくなっちゃったんですよ。今までは趣味でやっていたものが、収入源が自作ゲームだけになることで、生活そのものになっちゃったんです。

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    ※泉さんはボカロP「ジェバンニP」としても活動するなど、ソングライターとしての一面も持つ。自作ゲーム関連の収入の多くはサントラCDによるものだという。


    自作ゲームの小説で小説家になると決め込んでいた


    ―――実際、自作ゲームだけで生活はできていたんでしょうか?

     辞めてしばらくはできていたんです。一ヶ月の生活費で言うと2人が暮らせるぐらいの収入があったんですけど……半年ぐらいしか持たなかったです。

    ―――ええっ。自作ゲームだけで2人分の稼ぎがあったということがすごいです。退職後に作っていたゲームというのは、主にどんなゲームだったんでしょうか。

     売上につながるものならなんでも作るようになりましたね。記憶に残っているものだと、BL(ボーイズラブ)のゲームはとても人気が出ました。

    ―――B、BLゲーですか?

    泉 完全に狙ってるんですよ。というのも、当時ちょうどBLゲーのブームが来ようとしていたんです。でも自作ゲーム界にはBLゲームが少なくて、ましてや無料のものなんてなかった。だから、今貯まっている需要に全部乗っかってくれるんじゃないかと思って。そうしたら本当に人気になってくれました。

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    ※「狙って作った」BL&サバイバルシュミレーションゲーム『自給自足』のプレイ画面。タイトルに当時の泉さんの思いがしのばれる(?)


    ―――自作ゲームですが、やっていることは普通のゲーム会社と遜色ないですね。

     そうですね。自分は何作もゲームを発表するので、どういうゲームがどれだけ人気が出るかっていうデータもちゃんと取れるんですよ。そのデータを分析して次回作るゲームを決めていましたから、変わらないですよね。でも、結局自作ゲームだけで生活することは長くは続かなかったです。

    ―――小説を書き始めたのはいつごろだったんでしょうか?

     自作ゲーム1本の生活を諦めてから数年後でした。滝本竜彦さん(小説家。代表作に『NHKにようこそ!』、『ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂ』など)に出会って、小説を書こうと決心しました。

    ―――処女作のテーマをアンディー・メンテと自らのかつての生活にしようと思ったのはどうしてだったんですか?

     「テーマにしよう」という感じではなかったです。もう「小説家になるならアンディー・メンテのことを書いて小説家になる。それ以外のテーマを書くんだったらならない」と決め込んじゃっていましたね。どうしてもアンディー・メンテを書いておきたかったんです。

    (後編へ続く)
    【インタビュー記事一覧】

    ならむら「英語圏で出したいというアクションを起こせば機会は増える」(代表作:『GR3』『LA-MULANA』『薔薇と椿』)
    八百谷真「ゲーム作りは欲求不満放出の場」(代表作:『囚人へのペル・エム・フル』)
    なりた「商業に応用できるアイデアや可能性を同人ゲームで探っていた」(代表作:『MELTY BLOOD』)
    cutlass「これからのノベルゲーム文化を自分が背負わないで誰が背負うんだ!」(代表作:『NOeSIS~嘘を吐いた記憶の物語~』)
    海原海豚(黄昏フロンティア)「自作ゲーム制作にはブッ飛んだ愛が必要」(代表作:『東方萃夢想』『ひぐらしデイブレイク』)
    奥井晶久「ニコニコはゲームとユーザーの接点を作ってくれる」(代表作:『ワンナイト人狼』)
    支倉凍砂「目標はハリウッドで映画化でした」(代表作:『狼と香辛料』『ワールドエンドエコノミカ』)
    竜騎士07「ニコニコ自作ゲームフェスはいい“試練の場”になる!」 (代表作:『ひぐらしのなく頃に』)
    オガワコウサク「それはもう、祁答院が作るゲームが面白いからですよね」(代表作:『コープスパーティー』)
    ZUN「『東方Project』は自分のライフワークみたいなものになっている」(代表作:『東方』シリーズ)
    SmokingWOLF「2Dゲームでできることはほぼなんでもできてしまうんですよ」(代表作:『シルフェイド見聞録』)
    【後編】泉和良「自作ゲームは一生自分の体から離れないものになった」(代表作:『自給自足』『エレGY』)
    八百谷真「ゲーム作りは欲求不満放出の場」(代表作:『囚人へのペル・エム・フル』)
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