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[MM日本国の研究818]「『昭和天皇実録』のピンポイント(5)」
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[MM日本国の研究818]「『昭和天皇実録』のピンポイント(5)」

2014-10-16 15:00
    ⌘                  2014年10月16日発行 第0818号 特別
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     ■■■    日本国の研究           
     ■■■    不安との訣別/再生のカルテ
     ■■■                       編集長 猪瀬直樹
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    「昭和天皇実録のピンポイント(5)」

     二・二六事件の年(昭和十一年・一九三六年)も大雪の当たり年だった。二
    月四日は大雪で停電となっている。三十一センチの積雪で、これが根雪として
    残ったところにさらに二十三日、三十五センチも積もった。二十六日も雪が舞
    っていた。

     雪景色の未明、クーデターが勃発した。首謀者の青年将校らに率いられた一
    千六百人の兵士、首都防衛が任務の第一師団の第一連隊と第三連隊、近衛師団
    第三連隊がそれぞれ分担して政府要人の暗殺を決行する。斎藤実内大臣、高橋
    是清蔵相、渡辺錠太郎陸軍教育総監を殺し、鈴木貫太郎侍従長に重傷を負わせ
    た。岡田啓介首相は危うく難を逃れたが、しばらく行方不明だった。

     クーデターの首謀者たちは「天皇親政」を謳っていたが、天皇にとっては唐
    突感が否めない。なぜなら殺された政府要人は立憲君主制のリーダーたちであ
    り、政治の実際は彼らに委ねられている。上奏と呼ばれる報告があり、名前も
    顔も覚えている。とくに鈴木貫太郎侍従長は職掌柄、毎日、接していた。その
    鈴木が突然、消息不明になったのである。

     叛乱軍は霞が関、三宅坂の一帯を占拠してところどころに砂袋の山に機関銃
    を据え陣地を構築していた。昭和天皇は濠の上の雪深い繁みから、積雪で白く
    染まり轍(わだち)の跡もほとんど見られない内堀通りを眺め、さらに靄(も
    や)がかかった彼方を窺った。半蔵門の手前から桜田門のあたり、さらには日
    比谷公園の先まで、つまり視界の及ぶすべての世界は黒々とした叛乱軍の兵士
    たちの影に支配されているように思われた。

     朝から、陸軍大臣などの上奏がつぎつぎとあった。陸軍大臣は「蹶起主意書」
    を公然と読み上げて状況を説明した。まるで叛乱軍を容認していると受け取ら
    れても仕方がない。強盗の脅迫状を代わりに読み上げるようなものである。こ
    れでは誰の上奏が真相に近く、客観性があるのかわからない。叛乱軍に与する
    者、与しなくても距離が近い者、どちら側につけば自分が有利なのかをはかっ
    て微妙な言い回しで言葉を濁す者など、まさに下剋上の様相を呈していた。

     誰を信じていいのかわからなかった昭和天皇は、自らの耳で濠外の状況を確
    認しようとした。

     麹町署の署長室に備えてある宮内庁直通の非常電話のベルが鳴ったのは夜八
    時だった。麹町署は半蔵門に近い。皇居の裏門、新宿方向を向いている。叛乱
    軍が占拠している桜田門の警視庁や内務省一帯とは目と鼻の先、一キロメート
    ルほどである。

     たまたま受話器をとったのは二十八歳の巡査だった。若い巡査は前夜来の警
    備でくたびれはてていた。サイドカーに署長を乗せて走り回る役目の交通係巡
    査だった。署長も椅子にもたれてぐったりして眠っている。脇の椅子で巡査も
    眠気に耐えていた。電話はそこへかかってきた。

    「ヒロヒト、ヒロヒト……」と言っているように聞こえたが、意味をつかめな
    い。

    「もしもし、どなたでしょうか」

     返答はない。電話はいったん切れた。再びベルが鳴った。

    「これから帝国でいちばん偉い方が訊ねるのでそのつもりで聞くように」

     別の説明の声が入り、すぐに尻上がりのイントネーションの声に代わった。

    「鈴木侍従長は生きていますか」
    「はい、生きています」
    「生きていることは間違いないか」
    「昼間、確認してまいりました。兵隊の目をくらますために、花輪がならべて
    ありましたが、ご存命です」

     皇居の正面は赤煉瓦の東京駅側、丸の内に面している。お文庫と呼ばれた昭
    和天皇の生活空間は、いちばん奥に位置して、真裏にある半蔵門に近い。麹町
    警察署はその半蔵門から二百メートルほどの近い距離だ。鈴木貫太郎侍従長の
    侍従長官邸は麹町警察署の北側の徒歩数分のところにあった。とはいえ大声で
    叫べば届く、というわけにはいかない。

     巡査は矢継ぎ早に問いかけられた。

    「総理はどうしているか」

     この世の者とは思われない声色、と思われた。疑問符の「か」が高音なのだ。

    「たぶん生きていると思います」
    「証拠はあるか」
    「かねてより、非常に備えて避難所がもうけられております」
    「それだけでは難を逃れたかどうか、わからぬではないか」
    「官邸の周囲は兵に囲まれております。状況をさぐるのは困難なのであります」

     受話器の向こう側で、「朕は誰と連絡をとればよいのか。ああ、股肱(ここ
    う)の生死すらも知ることができない」と、つぶやきが聞こえる。

     巡査は、瞬間、全身に冷水を浴びせられたように躯(からだ)がぶるぶると
    震えた。教育勅語「朕惟フに我カ皇祖皇宗……」のチンだと気付くのである。

    「それでは朕の命令を伝える。総理の消息をはじめとして情況をよく知りたい。
    見てくれぬか」

     名前を問われた。

    「こ、こうじまちのコウツウです。麹町の交通でございます」

     そう答えるのが精一杯だった。九年後の昭和二十年の玉音放送まえ、側近や
    政府の幹部以外で昭和天皇のナマの声を聴いた者はいなかったのである。

                               *

     以上は二〇〇九年に刊行した『ジミーの誕生日』の一節である。占領期に皇
    太子明仁(現在の天皇陛下)は、米国人の英語教師のエリザベス・バイニング
    夫人から、授業中に「ジミー」と呼ばれた。英語の勉強のためにクラスの生徒
    全員にニックネームをつけたのである。『ジミーの誕生日』は、GHQ側が戦
    犯の東條英機の処刑を十二月二十三日に執行するとしたが、それは皇太子の誕
    生日(現在の天皇誕生日)に合わせたのではないか、という疑問を解明する作
    品である。刊行後、「ジミー」ではわからないという読者の意見もあり、現在
    の文春文庫版では『東條英機処刑の日』と改題した。

     さて『昭和天皇実録』に戻るとしよう。昭和天皇は毎年、一月初旬に代々木
    練兵場で観兵式に臨御する。今回のピンポイントは、二・二六事件の翌年、昭
    和十二年一月八日の記述である。

     観兵式は皇居前の外苑で行われた。二・二六事件の被告が代々木練兵場に隣
    接する東京衛戍刑務所に収監されていたからである。二・二六事件に対する昭
    和天皇の怒りは収まらなかったのである。

     以下その部分を示したい。

    「午前十時、御乗馬にて御出門、宮城前外苑において挙行の陸軍始観兵式に臨
    御され、十一時二十二分環御される。本年の陸軍始観兵式は、例年の代々木練
    兵場より宮城前外苑に式場が変更されて行われる。その理由は、代々木練兵場
    に隣接する東京衛戍(えいじゅ)刑務所に二・二六事件の被告が収監されてお
    り、晴れの儀式の場所に相応しくないこと、また第一師団の将兵が満州に派遣
    されて出場人員が少ないこと、さらに銀座―渋谷間は地下鉄工事中のため青山
    通りが鹵簿(ろぼ・儀仗を具えた行幸の行列)の通過に不便なことによる。な
    お、宮城前外苑における陸軍始観兵式は大正七年以来の挙行にて、この日皇后
    は、二重橋付近より観兵式をご覧になる」                          

     練兵場は代々木公園から現在のNHKの一帯である。刑務所は渋谷区役所、
    渋谷公会堂(CCレモンホール)、神南小学校の辺りにあった。衛戍刑務所は、
    陸軍刑務所のことである。衛戍とは、陸軍の所在地であり、衛戍地は現在なら
    駐屯地にあたる。陸軍病院は衛戍病院と呼ばれた。                  (了)

                                   *
                                           
    「日本国の研究」事務局 info@inose.gr.jp

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