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[MM日本国の研究821]「妻がたしかに存在して時間を共有して生きてきたという証しを残したい」
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[MM日本国の研究821]「妻がたしかに存在して時間を共有して生きてきたという証しを残したい」

2014-11-06 15:00
    ⌘                  2014年11月06日発行 第0821号 特別
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     ■■■    日本国の研究           
     ■■■    不安との訣別/再生のカルテ
     ■■■                       編集長 猪瀬直樹
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    「妻がたしかに存在して時間を共有して生きてきたという証しを残したい」

     猪瀬直樹の最新刊『さようならと言ってなかった わが愛 わが罪』(マガジ
    ンハウス刊 http://goo.gl/Rjm9TB )の発売にあわせ、夕刊フジ(11月1日付
    け)に著者インタビューが掲載されました。メールマガジンで配信いたします。
    (「日本国の研究」編集部)

              *

     東京都知事辞任から一年近く経て、作家・猪瀬直樹氏は表舞台に浮上しよう
    としている。2020年東京オリンピック招致成功の立役者は、その大詰め、妻ゆ
    り子さんに旅立たれるという痛事に遭遇した。そのゆり子さんとの思い出、そ
    れは同時に、ゆり子さんが全面的に応援した、二人の夢、作家「猪瀬直樹」の
    成り立ち方でもある。“5000万円問題”への感想も率直に書かれている。

     妻ゆり子さんとは、猪瀬氏が信州大学の学生時代に出逢った。一瞬で恋に落
    ちた。
     後に、二人は“駆け落ち”同然で東京で結婚。先に上京していた猪瀬氏をゆ
    り子さんが追いかけた。
    「ホントに、花嫁は夜汽車に乗ったんですよ」
     ゆり子さんは小学校の教員となり、猪瀬氏は作家への夢を追う。ゆり子さん
    は仕事と子育てに追われる日々が続いた。

     やがて、猪瀬氏は『ミカドの肖像』(87年)で大宅壮一ノンフィクション賞
    を受賞し、その後、次々と著作をものにしていく。
    「支えてもらっていたというのはほんとうに大きいですね。僕と一緒に夢を追
    いかけてきた時間をこの一冊に凝縮できたなあと思っています」

    ○ 最後の夢が東京五輪招致

     その、ゆり子さんとの最後の夢が東京オリンピック招致だった。

    「日本はダメだって言う、閉塞感に覆われていました。“心のデフレを取り払
    う”ために2020年の東京オリンピック開催を絶対に勝ち取って、若い人、お年
    寄りの目標がないと、この国はダメになっちゃうんじゃないか」

     そうした危機感と強い意志で臨んだ招致活動。国際社会が相手の招致活動に
    夫人の役割は大きかった。

    「外国人相手の場合には、奥さんと一緒にペアでいるという事がとても大事な
    んです」

     知事就任直後の2013年1月のロンドンでの招致立候補の申請の際に渡英。同
    年3月の評価委員の来日の時も、二人で招致イベントにも臨んだ。そして4月
    のニューヨークにもゆり子さんは同行した。

    「5月下旬に、ロシアのサンクトペテルブルクで開かれる、スポーツアコード
    という国際競技連盟でのプレゼンテーションに行くことになっていました。出
    発のためにトランクを二つ並べて荷造りも用意していました」

     そのころにゆり子さんに異変が現れる。本書では、冒頭、その一週間前に高
    齢の愛犬が病に伏したところから語られる。

    「犬が倒れておかしいね、と話していたんですが、妻の言葉が、変換ミスのよ
    うな間違いや、熟語が出てこなかったり。僕はペットロスかなと思っていまし
    た」

     出発2日前の深夜、猪瀬氏は面識のあった精神科医の斎藤環氏から「精神的
    ショックじゃなくて、脳の機能の問題」というアドバイスを受ける。すぐに特
    別秘書に病院の手配を依頼した。

     翌日は大相撲五月場所の千秋楽で東京都知事杯を授与し、国技館をあとにす
    ると、ゆり子さんが検査入院している病院の院長から直接電話が入った。悪性
    脳腫瘍の一番状態が悪いグレード4だった。

    「いきなり余命数カ月といわれたときのショックは想像を絶するものでしたね。
    妻は僕よりもずっと健康体でしたし、青天の霹靂でした」

     そこから、公私ともども激動の日々が続く。

    「表沙汰になると、招致メンバーも動揺するし話題もそれますから」
    と、公表はできなかった。
    「大変辛かったですね」

    ○ 僕にとって大事な本

     6月の手術後、昏睡状態に陥り、スイス・ローザンヌへの出発前には危篤。
    帰国後、二週間余りたった7月21日、ゆり子さんは猪瀬氏の慌ただしさのなか
    で旅立ってしまった。

    「さようならを言う暇もありませんでした」

     ゆり子さんの写真が入ったペンダントを胸に抱いて臨んだ9月のブエノスア
    イレス(アルゼンチン)のプレゼンテーションで見事招致を勝ち取った。

     その後、知事辞任の原因となった5000万円問題も章立てしている。
    「僕が(政治の世界に)無知で無防備で、軽率でした」
     それらのことは本書に詳しいが、猪瀬氏は孤独な戦いを続けていた。
    「あのとき、(ゆり子さんに)いてくれたらとは思いますけど」
     そして、今年3月、公職選挙法違反の略式命令で罰金50万円(公民権停止5
    年)の処分を受ける。

    「これで一区切りができました。そこで、妻の供養のため書こうと思ったんで
    す」
     自身の週刊メールマガジン「MM日本国の研究」で「断章 妻ゆり子の思い出」
    の配信を始めた。

    ○ さようならと言い直すことができたような気がする

     7月の命日の前に、版元の編集者から単行本にまとめることを勧められた。

    「お会いしてみて、書かなければいけない気持ちになりました。妻がたしかに存
    在して苦労を重ねて一つの夢に向かって生きてきたという証しを残したいと思い
    ました」

     子供の保育園の連絡ノートなどの記録は段ボール一箱分もあった。また、ゆり
    子さんは言語障害児童の担任にもなり、一人の女子児童とのやりとりは、ヘレン・
    ケラーとサリバン先生を彷彿とさせる。

    「もっとそういう話をすればよかったと思います。普段もたくさん話をしていた
    んですけど、あとで発見することがあって、その意味では、本を書くことで、妻
    ともう一度会うことができたという気がしますね。そして、妻が一人の女として、
    プライドを持ってやってきた仕事をきちんと僕と共有できるものとして書き残せ
    ました。本を書く作業がなければ、別れたまま、お墓で対面するしかなかったん
    です。言えなかった、さようならを、この本を書くことによって、さようならと
    言い直すことができたような気がしています。僕にとって大事な本です。作家で
    よかったと思います。そして、伴侶を亡くした方に読んでほしいですね。それか
    ら働きながら子育てしている方にも」

     気になるこれからは……。
    「まずはこの本を皆さんに読んでいただいてから考えたいなと思っています」

                         (夕刊フジ2014年11月1日付け)

                    *

     猪瀬直樹の最新刊『さようならと言ってなかった わが愛 わが罪』(マガジ
    ンハウス刊)はこちらから→ http://goo.gl/Rjm9TB 

                                   *
                                           
    「日本国の研究」事務局 info@inose.gr.jp

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