不確実な時代、機能しなくなった中央集権

 テクノロジの進化は秒刻みだ。世界のいたるところでイノベーションが湧き上がり、あらゆるところに遍在するモバイル端末からあふれていく。インターネットの普及からわずか20年足らずだが、そのビジネスへのインパクトは甚大で、数年先まで見通す経営計画はもはや重要な羅針盤となり得ない時代となった。現代人は常に明日が読めない不確実な環境の中で、日々の悪戦苦闘を強いられている。

 

 英国エレクトロニクス産業の事例研究から、外部環境が不安定になるほど、中央統制型の「機械的組織」より、分散型の「有機的組織」が効果的であることが発見されている。経営学で「コンティンジェンシー理論」と呼ばれる考え方だ。

 

機械的組織と有機的組織の特性 機械的組織 有機的組織 職能的な専門化 知識と経験に基づく専門化 職務・権限の明確化 職務・権限の柔軟性 職位権限に基づくパワー 専門知識に基づくパワー ピラミッド型の権限構造 ネットワーク型の伝達構造 上層部への情報の集中 情報の分散 垂直的な命令と指示の伝達 水平的な情報と助言の伝達 組織忠誠心と上司への服従 仕事や技術への忠誠心 企業固有のローカルな知識の強調 コスモポリタンな知識の強調

 

 大企業の硬直化した組織に、どうしようもない制度疲労を感じる人は多い。上層部に指示系統が集まる統制型組織では、絶えず変化する外部環境に対応できないからだ。不確実な時代には、変化に直面している現場社員が、自らの判断で行動できる組織が向いているのだ。

 

 しかし、統制力の弱い分散型組織は、一歩間違うと放任状態に陥ってしまい、組織として機能不全に陥ることが多い。分散して権力を持つ人々を動かして、共通の目的を達成するためには、統制に代わるなんらかのメカニズムが必要だからだ。

 

 では、分散型の組織を有機的に機能させるためのポイントは何なのだろうか。ここでは、はるか悠久の彼方から究極の分散型組織を実現させている社会性昆虫の世界を探訪し、その極意を学んでゆきたい。

 

小型戦略と多様化戦略に支えられた昆虫の隆盛

 昆虫は動物種全体の6割を超え、地球上で最も繁栄している生命だ。恐竜は身体を、人類は頭脳を巨大化することで他の生物との差別化を果たしたが、昆虫はそれとは逆に小型化と多様化の道を選び、その隆盛を勝ち取った。

 

 小型化により運動能力を、多様化することで環境適応能力を身につけた昆虫は、さらにそのパワーを集約するために個体間で協業を始める。人間は社会的な動物と言われるが、昆虫もその多くは社会的な生き物なのだ。

 

 しかし、昆虫は本能のみで行動する利己的な個体の集団だ。また彼らの社会には上司からの指示もなければ、仕事のマニュアルもない。そんな意思も統制もない集団が、数万匹単位で巣を形成し、迫り来る外敵を退け、種によっては農業まで営むとはどういうことだろうか。

 

シンプルなルールが支配する、社会性昆虫の世界

 ハチは社会性を持つ典型的な昆虫だ。例えば、蜜源となる花を一匹のミツバチが見つけると、ものの数分もしない間に多くの仲間が押し寄せてくる。ヒトの組織であれば、発見者がその情報をリーダーに伝え、彼の指示によって部下が現場に向かうはずだ。しかしながら、ミツバチにはリーダーはおらず、組織という概念すら持っていない。彼らはどんなメカニズムで、このような協調作業を実現しているのだろうか。

 

出典:Bee Tidings
出典:Bee Tidings

 

 秘密は彼らの「収穫ダンス」にある。蜜源を発見したミツバチは、巣に戻ると八の字に飛ぶダンスをすることが発見された。そのダンスは正確な意味を持っており、太陽に対する角度が「方向」を、お尻を振るリズムが「距離」を、踊る時間が「蜜源の質」をあらわしている。

 

 巣に戻ったミツバチがダンスを踊る。それを見て仲間たちが飛び立っていく。応援の必要がなくなると、彼らはダンスをやめる。このシンプルなルールが、本能で動くミツバチの群れを動かし、最適な労働力を素早く現場に投入するシステムを実現しているのだ。

 

 ハチやアリの巣はコロニーと呼ばれるが、その内部では、幼虫の世話や巣の維持、餌の探索など多くの仕事がある。種によっては数万匹にもなるコロニーの中で、彼らは統率なしにどう仕事を分担しているのだろうか。ここでもいくつかのルールがあることが発見された。

 

 例えば「年をとった個体ほど危険な作業に向かう」というルールがある。若い時には幼虫の世話を行い、次第に巣の維持に従事するようになり、年老いてくると巣の外に餌を探索に出かける。種全体の生存から見れば、年寄りは寿命が短いから危険な仕事をしても損害は少ないというわけだ。

 

 また「同じ仕事をする仲間が一定量に達すると、その仕事をやめる」というルールがある。例えば、食料調達アリは接触し合うことで周囲の仲間の量を判別でき、その数が一定以上になるとコロニーに戻って行く。それによって仕事の適正配分が実現されている。個体の母数が多いため、個々の意思決定の誤差は相殺され、適切な行動として集約されていくのだ。

 

出所: HYPNOGIGC ZOO
出所: HYPNOGIGC ZOO

 

 さらに「仕事に対する積極性に個体差がある」ことも分かってきた。例えば、ハチは「ある温度になると、羽ばたきを始める」という習性を持つ。ただし、反応する温度には個体差がある。そのため、巣が熱くなるにつれて、羽ばたくハチが徐々に増え、自律的に冷却される仕組みになっているのだ。

 

 このように、ハチやアリは、予測不可能で常に変動する自然環境の中で、統制なしに最適な業務配分ができるシステムを見事に構築しているのだ。

 

ハチやアリに学ぶ、分散組織のエッセンス

 ハチやアリは自らの本能に従い、個体同士が相互作用しながら、コロニー全体はあたかも1つの生物のように整然と機能している。昆虫たちの見事な分散組織が成立するポイントを3つにまとめてみよう。

 

  1. 昆虫は、全体を整然と機能させるシンプルなルールに従って動く
    蜜の在り処を伝えるダンスのように、長い年月をかけて築かれた「絶妙でシンプルな ルール」が分散組織の根幹となっている。このルールによる個体の相互作用が、指揮 者不在のシステムを成立させている

  2. 昆虫は、バランスのとれた多様性を持っている
    ルールはすべてに共通というわけではなく、働く仕事や働き始めるタイミングなど、 個体によって異なっている。多様性を持つ個体が集まることで複数のルールが組み合 わさり、共同作業がシンフォニーの如く整然と行われることになる

  3. 近隣の昆虫同志、緊密なコミュニケーションを行っている
    近隣のアリ同志は、絶えずフェロモンを介してコミュニケーションをとっている。 「こっちに食べ物がある」「逃げろ」など10ほどの交信サインを濃淡まじえて交信す る。この局所的な相互作用がコロニー全体に共有情報として広がる


 アリの集団は極めて大規模で、中には数億匹で形成されているメガコロニーも存在する。国の総人口をも超える集団が、リーダー不在で何十年も存続するメカニズムに、僕たち人間は驚異を感じざるをえない。

 

昆虫の深遠なる知恵を、人間の組織に生かそう

 さてここで、人間の組織に視点を戻そう。もちろん、人間と昆虫では、その個体の機能はまったく異なっている。その最たるものは人間のもつ「巨大脳」だ。ニューロンの数で比較すると、人間の脳が約1000億個あるのに対して、昆虫はわずか約100万個しかない。

 

 その代わりに昆虫は、脳以外の頭部、胸部、腹部にある神経節も動員し、分散型の情報処理スタイルを築き上げた。昆虫が頭部を切断されても動き続けるのはそのためだ。

 

 昆虫の脳が「脳と神経節が連携する分散型の情報処理システム」なのに対して、人間の脳は「大容量の大脳を頂点とする、階層型の情報処理システム」なのだ。脳の特性は、その生物の戦略を写す鏡となる。その構造ゆえに、人間は中央統制や複雑さを志向し、昆虫は分散処理でシンプルさを志向する生き物と言えるだろう。

 

 不確実性の時代、僕たち人間は、もとより得意としてきた中央処理型の利点を生かしつつも、得意ではない分散型のメカニズムを学び、それを組織運用に取り入れることが大切だ。人間組織に昆虫の知恵を取り入れるとどうなるか。分散型組織を有機的に機能させるためのエッセンスを考えてみたい。

 

  •  ミッションとビジョンを浸透させ、組織の原動力を創る
    分散型組織で最も大切なことは、構成員である社員が使命と目標を共有することだ。ミッションとは「何をすべきか」を、ビジョンを「どこに向かっていくか」を共有するもので、これがない組織は、根っこのない幹になってしまう。ミッションとビジョンは、分散型組織において、最も根幹をなす原動力となる。


  •  複雑なマニュアルによる統制から、シンプルな行動原則へ
    先の読めない時代、社員の行動を事細かに規定したマニュアルによる統制では、彼らの臨機応変な行動を大きく制限してしまう。社員が自律的に動く組織になるために、シンプルな行動原則である「価値観」「役割」「ルール」を共有することだ。価値観は「どういう価値を創造すべきか」という共通認識で、現場社員の意思決定の基準となる。役割は「その社員がどういう役割を担っているか」を、ルールは「しなくてはいけないこと、してはいけないこと」を明確にするものだ。これらをいかにシンプルに昇華させられるか、僕たち人間はハチやアリのルールから学ぶ必要がある。


  •  多様性とコミュニケーションにより、イノベーションを創出する
    不確実な時代には、長期的な戦略よりも、環境変化に即応したイノベーションが重要だ。社員の多様性を重んじ、社員間、さらには社外との人的なコミュニケーションを促進すること。そのために社内の透明化を図り、社員が意思決定に必要な情報を共有すること。多様性とコミュニケーション、そこから発生する学びこそ、イノベーションを創出する推進力となるはすだ。


  •  統制型リーダーシップから、オープンリーダーシップへ
    リーダーを持てること。これが人間と昆虫のもっとも大きな違いだろう。人間組織においてリーダーシップの役割は極めて重要だ。ただし、分散型組織におけるリーダー像は、統制型組織と大きく異なる点に注意したい。権力が分散した組織においては、社員のコントロールができないからだ。社員の自主性を生かし、彼らの力が最大限に発揮されるようにバックアップするリーダーシップが重要となる。この点については「統制がきかない時代のリーダー像 ? 鍵を握るオープンリーダーシップ」に詳しく記載したので、参考にしてほしい。


 

シンプルさを突き詰めよう

 人間は、昆虫よりはるかに有能で器用なために、物事を複雑に考える傾向がある。そして時とともに複雑化が進み、組織も製品も衰退していく原因となる。昆虫たちから学べる最大のエッセンス、それはシンプルさの追求だろう。

 

 Appleを世界最高の会社として蘇らせたSteve Jobs。彼の最大の功績はAppleとその製品をシンプルにしたことだ。彼は禅の思想と日本の伝統文化からシンプルさの価値を学んだ。

 

シンプルであることは、複雑であることよりも難しい。

物事をシンプルにするためには、懸命に努力して思考を整理しなければいけないからだ。

だが、それだけの価値がある。なぜなら、ひとたびそこに到達できれば、山をも動かせるからだ。

 

 Jobsはこう語り、生涯をかけてシンプルな美しさを追及し続けた。

 

 「KISSの原則」という言葉をご存知だろうか。KISSとは「Keep It Short and Simple (簡潔に、単純にしよう)」の略であり、なし崩し的な機能追加によって肥大化する醜悪な仕様を非難し、シンプルさの大切さを説いた言葉だ。ソフトウェア業界、家電業界、携帯業界など、この言葉を教訓とすべき分野は多岐にわたる。

 

 なお、このKISSの原則は、もともとLockheed(ロッキード)で軍用機開発の特命を受けたSkunk worksの初代ボス、Kelly Johnsonらによって作られた言葉だが、最近では少し違う略語の方が存在感を増して広がりつつある。複雑さに走る僕たち人間への戒めとして、今、はやりつつあるこの言葉をみなでかみしめたい。

 

 Keep It Simple, Stupid ! ?  シンプルにしておけ、この間抜け野郎!

 

あとがき

 僕が昆虫の生態に魅せられたのは、もう20年以上も前のことです。きっかけはNHKサイエンス・スペシャル『生命40億年はるかな旅 ? 昆虫たちの情報戦略』の映像でした。そこには、他生物の一線を画した昆虫たちの進化と、その驚くべき情報戦略が生き生きと描かれていました。そこで学んだ昆虫のシンプルな情報戦略は、起業家だった僕に大きな衝撃を与えるものでした。以下、この記事を執筆するにあたって参考にした文献をご紹介いたします。

 

  • 『生命40億年はるかな旅 - 昆虫たちの情報戦略』 (NHK出版)
  • すごい虫のゆかいな戦略 (講談社)
  • 働かないアリに意義がある (メディアファクトリー新書)
  • 昆虫はスーパー脳 (技術評論社)
  • 創発 (ソフトバンク・パブリッシング)
  • Think Simple (NHK出版)

by 斉藤 徹
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