カノン J.草薙は迷っていた。
 目の前には大量の白い粉がどどん!と山盛りになっている。
(でもこれは……)
 “彼”の好みとは違う、という情報はあるのだ。
(どう考えても、甘いのよねぇ)
けれど。地球の古いしきたりで、「3月の贈りものには絶対に飴の菓子だ!」と聞いたのだ。仕方ないではないか。航行中の戦艦の中では、既製品を買いに行くこともできない。たまたま覗いたキッチンに、これまたたまたま粉雪のように真っ白な大量の砂糖を見つけてしまったら。
「まぁ、とりあえず作るか!」
 己のお料理レベルは(略)、こーゆーのは気持ちが大事、なのだから。
 検索したレシピの中で、一番簡単――そうに見えた――べっこう飴。
 砂糖と水を合わせて火にかけ溶かし、形作って固めるだけだ。固める前に各種果物と絡めれば、ちょっとオシャレに、お手軽フルーツ飴のできあがり。
(そうよ、これなら私にだって!)
 エプロンを着け腕まくりをすると、カノンは大量の粉砂糖が入った鍋に水を注ぎ、火にかけて……
「ふぬぬぬぬぬ~~~っ!」
木べらを小刀よろしく握りしめ、トロトロに溶け出した甘い香りのする鍋の中身を、気合いを入れてかき混ぜた。

 アルファ N.デヴォは覚悟を決めていた。
 ファム・ファタール、運命の女である少女と出会ってからこれまで周囲の者たちに聞かされてきた、数限りない彼女の“独創的”な手料理伝説……
 先月には、その餌食となった者をついに目の当たりにしたのだ。さらにその男が力尽きる寸前、お前は来月の、今日この日を楽しみにしていろと不穏な言葉を残してくれたのだから。
 3月5日。そう、今日はアルファの誕生日だった。そして今、目の前には……見るからに悪魔の食卓を思い起こさせる、ぐろぐろしい物体が。
「カノン……これは?」
「リンゴ飴、たぶん」
「……では、こっちは」
「……ぶどう飴……だったはず」
 見事なまでに真っ黒い塊と化しているソレの、中身をうかがい知ることは、外見からは到底できない。
 異臭を放ち、黒煙を吐く居住区のキッチンルームに、すわ火災かと駆けつけた面々が遠巻きに見守る中、カチコチのドス黒い塊を見つめながらアルファが小さなソレをひとつ手で摘まみ……躊躇なく自分の口に放り込む。周囲からどよめきが起こった。
 固唾を呑んで見守るカノンにアルファは、奥歯でかみ砕いて咀嚼し飲み込んだのちに、にっこりと笑みを浮かべて告げた。
「美味しいですよ」
 その言葉に、再び周囲からどよめきが起こる。
「ホ、ホント、アルファ!?」
「ええ」
 さらにもう一欠片を摘まんで、口に含む。
「あ、あの、無理はしないでね?」
「いえ、本当に、これはなかなか……美味ですよ」
 焦げた砂糖の苦みと果物の酸味が合わさって、えもいわれぬ風味となっている。あまりに周囲に脅されていたせいか、相当の覚悟を持って今日この日を迎えたというのに。口の中に広がる味は、実にアルファ好みだったのだ。
「よかったぁぁぁぁ! 遠慮しないで、どんどん食べてね!」
「ありがとうカノン」

「……えー……嘘だろ~?」
 そんな和やかな雰囲気のふたりの間に、端で見ていた以前の犠牲者が我慢しきれず割って入る。恐る恐るといった体で横から手を伸ばし、つまみ食いをした。
ひょいパクッと黒炭のような塊を口に含んだ、その瞬間……
「むぐぐぐぐぐっ!!!???」
 咄嗟に吐き出したにも関わらず、後味に呻いて口を押さえのたうち回る。
「うげええええ……お前っ、正気か!? 良く食えるなっ!?」
 その様を見て、周囲からは「あ、やっぱり?」といったどよめきが起こった。
「えええええー……そ、そんなに?」
 とんでもない無理をさせたのかと、カノンが不安気にアルファを見つめる。
「いや、美味しいですって……苦みがこう、なんだかクセになるアクセントになっていて」
 嘘偽りのない証拠に、アルファは何の躊躇もなくもう一粒を口に入れた。
 結局どっちが本当なのかと、興味を引かれた周囲の怖いもの知らずたちが次々に黒い塊に手を伸ばし……高く高く築かれていく死屍累々。
「わかったぞお前……極度の味覚音痴だなっ!? グルメの国の人なのに!!」
阿鼻叫喚の轟く中、恨めしそうな阿萬の叫びが響く。
 それを涼しい顔で横目に見ながら、アルファはさらにひとつ平然と食べてのけたのだった。