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詩小説『落丁城』その3
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詩小説『落丁城』その3

2013-04-28 21:56

    看板 

    この小説は、散文=男性性詩=女性性と見立てて、それらが物語上で交わるにつれて、相互浸透していき、散文=男性性が徐々に詩=女性性に近接していき、詩=女性性が徐々に散文=男性性に近接していく、その過程を追ってみることによって、詩と散文の本質を見極めんとする“実験”です。


    結論

    散文(男性性)詩(女性性)が近接していくと、――戯曲になってしまいました。】







     登場人物

     男(ドキュメンタリー作家)
     女(元AV女優の小倉ありす)


     場面、の塔(遊びの部屋)。
     二人、部屋の中央に対座している。女、マルセイユ版のタロットカードをケースから開き、地面に一枚のカードを置きはじめる。


      (真剣なまなざしでもって)はい、まずはこれね。

      (《杖の女王》か。《杖の女王》は、保護された田舎の女性を現すはずだ。彼女は、こう見えて、お嬢様育ちだったのかもしれない)


     女、すかさず、《杖の10》と《隠者》を差し出す。


      (《10》は、抑圧や、重圧や、多すぎる財産を現す。さらに、決定的なのが《隠者》だ。《隠者》の絵柄を見ると、杖とフード付の衣装を着用した老人が描かれている。こいつは元放浪者だ。つまり、長い旅を経ていた熟練の知識人のようなものだ。ざっくり解釈すれば、学者といったところだろうか。彼女は以前の部屋で、うちの父親は大学の教授だった、ともらしていたこともあったし、おそらくそういうことなのだろう。彼女は、この2枚のカードで、自身の生い立ちを示したがったのだろう)


     女、一点を見つめるように、黙々とカードを配置していく。
     逆位置の《》、《運命の輪》(一瞬、逆位置にしようか戸惑うが、よす)、そして《魔術師》のカード。


      (逆位置の《》――彼女は元々引っ込み思案で、優柔不断な性質を持っていたのではないか? その原因の大半は、おそらく彼女の父親の教育の影響だろう。《運命の輪》。これは、単純明快、人生の転機だろう。逆位置にしようとした一瞬の戸惑いも、これまでのカードの解釈からいけば別段不自然ではない)


     女、忌々しそうに、《魔術師》のカードを置く。


      (《魔術師》か。金髪の巻き髪に、派手な帽子を被り、豪華な衣装を着用している、うさんくさい大道芸人の姿だ。右手にはコインを持っている。右手のコインは、当然“お金”を象徴し、商売人であることを示唆するだろう。――十中八九、AV監督だろう。


     女、《聖杯のⅡ》と《世界》を続けざまに並べる。


      (《聖杯のⅡ》。これは、愛のあるセックスを意味するとされているし、《世界》は、“完成”や“調和”や“成就”を意味するとされている。・・・体を売ることによって、彼女の夢が成就したということだろうか。いや、これらの並びは、男の私には簡単には解釈できない。女体のもつ無性格の神秘の領域だ。――今一度《世界》を見ると、着ている衣装を全て脱ぎ、生まれたままの姿をさらけだし、あるときは、雌獅子のように強く、またあるときは、大鷲のように猛だけしく、またあるときは、牝牛のように母性的に、男優の前で振舞ったのであろう)


     女、《貨幣のⅢ》と《恋人》をセットのように差し出す。


      (《貨幣のⅢ》。これは、“名声”を現す。彼女も、きっと一時代を築いたAV女優だったのだろう。それに対して《恋人》。このカードには、左の女性と右の女性に挟まれた若者が描かれている。左の女性は王冠をつけていることから社会的な身分が高いことが示唆され、左の女性は若者の心臓あたりを触っていることから積極性を持っていることが伺いしれる。つまり、このカードの本質は迷いだ。転じて、このカードは彼女のAV女優としての迷いを示しているに違いない。


     女、《吊るされた男》と《死神》のカードを、少し間を空けて、《愚者》のカードを放り投げた。落ち着いた様子だが、少し顔色が暗くなる。
     それから、唐突に女は男に問いただす。

      どこから、きたの?

      え?

      だ・か・ら、どこから来たのか、聞いているの。

      東京の…

      違う!

      え?

      だ・か・ら、場所じゃなくて、今まで何をしてきたの?

      ああ、・・・ドキュメンタリー作家だよ。

      …たいへんだった?

      うーん、まぁ、今、ドキュメンタリー自体に疲れてるから遠ざかってる、って感じかな。・・・でも、考えてみると、何もなかったんだよなぁ・・・。

      撮りたいもの、撮れなかったの?

      ほんとはさ、物語映画っていうの? うん、そういうのも、撮りたかったんだよねぇ・・・。

      (にやけた面で)撮ればいいじゃん。――じゃあさ、今から、カントクって呼ぶね。

      (困惑の態で)え?

      (児童のような笑みで)これから、カントクって呼ぶから。ねぇ、いいでしょ? カントク~。(そして、えへへへとあどけなく笑う)

      ・・・辞めてくれよ。

      そんな動揺しないでよ、カントク~。

      (からかわれているような気がして、黙り込む)


     女、《》のカード、《》のカード、この順序でひっそりと置いたあと、男に静かに話しかける。



      …あのさ、わたしのこと、撮りたい

      え?

      撮ってもいいよ、わたしのこと。


     女、そこで、《節制》のカードを、男に向けて投げつける。
    そこには青い壷から赤い壷へと白い液体を注ぐ姿が描かれている。青と赤の壷は男性性と女性性など異質なものを意味し、このカードはそれらを繋ぐ中庸的な役割を示す。
    それによって交じり合う色は白。

     男、カントクと呼ばれた動揺がまだ残っているのか、まばたきが多くなっている。果たして、AV監督とドキュメンタリー作家とどう違うというのか?





                                   


    そんな問いに
    戸惑いながら、――幕。 


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