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餡若さん のコメント

ブロマガへコメントを始めて書きます。

ぼくはDaiGoさんをきっかけに神也さんを知りましたが、
今では神也さんを心から尊敬してます。

ぼくはDaiGoさんの放送も拝見していて、特に感じることがあるので是非伝えたいです。

DaiGoさんの放送は非常に論理的でまとまっていて、「明日から使える実践的メンタリズム」であり、DaiGoさん自身の権威効果と相まって毎月多くの方が入会しています。
実際参考になりますし、興味深い放送です。

ぼくは神也さんの放送が負けてるとは一つも思ってません。
実際ぼくは神也さんの放送のほうが好きなくらいです。

ただ、窓口をしっかり広げて直感的に参考になりそうだと思わせることができるDaiGoさんの放送に比べて、
神也さんの放送はすぐには身に付かない技術の放送です。

これでは先細りになってしまうのではないかと心配しています。
神也さんのスタイルでは割と無料と有料の切り替えが感覚的なもののように感じます。
DaiGoさんの放送の切り替えのタイミングは「一番盛り上がってきたところ」になってるように見えると思います。

雑談ではなく、無料枠の終わりに話すテーマさえ決めておけば入会者は増えるとぼくは思います。

出すぎたことを言ってしまって不快なお気持ちにさせてしまったら本当に申し訳ないです。

神也さんの放送をみたり、今回のブロマガを拝見したりするたびに、
神也さんの誠実さ、人間臭さがとても好きになっています。

ぼくは神也さんが毎月放送を続けるとおっしゃってるかぎり、ずっと付いていくし、神也が提供する情熱と技術を一滴残らず飲み干してやろうと思ってます。

ぼく以外にも熱心な会員もいると思います。
知識と技術を提供していただいている立場なので、何ができるだと言われると非常に苦しいところですが、何か協力できるところがあればぜひそれを放送で伝えて欲しいと思っています。

今後も放送楽しみにしています!

スタッフA
No.1
102ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
もう名前は出さない。ある意味こういうことが逆に宣伝効果を持つことは重々知っている。 メンタリズムの歴史授業放送でも僕自身が語ったことだ。 そして過去のメンタリストたちが重ねてきた悪行の数々のことだからだ。 シャーロック・ホームズの作者であるコナン・ドイルが、スピリチュアルブームに母を亡くしどっぷりハマり、それを救おうと脱出王のフーディニーが奔走した。 その対決は結果的にスピリチュアルの圧勝だった。 マジシャンがいくらメンタリストたちが演じる霊能者たちの仕掛けを暴露しようとも、マジックならばそれを超える奇跡すら簡単に作り出すと再現しようとも、その種明かしまで詳細にしてスピリチュアルを信じる心を打ち砕こうと血道をあげても、ますますブームを盛り上げるだけだった。 むしろ、メンタリストたちはマジックの仕掛けを暴露から学び、取り入れ、より高度に悪どく進化させていった。 そのスピリチュアルブームに終止符を打てたのは、世界大戦という歴史だけであったし、その世界大戦すら、後にメンタリズムによって引き起こされていくという負の遺産があるという話をした。 そして、そこには確かにピカレスクヒーローの匂いがする。 どこかでメンタリストは、そういう出自に自覚的だ。 自覚してかつ悦に入ってる部分がある。 それは認めるが、そうなったのは2000年にメンタリストのダレン・ブラウンが登場し、「このパフォーマンスは誤誘導やミスリードや詐話や錯覚、心理学やトリックを用いて見せている。いっさい超能力や霊能力はない」と語るオープニングで始まるTVショーを始めたからだ。 そこから今のメンタリズムブームは始まり、それがあるからテレビドラマの『メンタリスト』も生まれたし、そもそも詐欺師と同義語的な扱われ方をしてきた「メンタリズム」というアングラ用語に表舞台の光が射した。 とはいえ、それはあくまで半分くらいの光だ。 メンタリズムはそういう出自であるゆえに、未だ自覚的にその全貌を見せようとはしていない。 それはどこかマジックの種明かしにも似ている。 知れば「なんだ、そんなことでか!」と思う種明かしで、つい先程まで驚かされた感動を、騙されたという失望に。 そしてプロが奇跡に見えるように、修練に修練を重ねたパフォーマンスを、「そんなことなら自分でも明日すぐできそうだ」という認識に、印象を固定させてしまう。 メンタリズムもまた、全てを見せてしまえば皆が思ってる心理学の使い方とは違っていたり、皆が期待しているような力を備えていたりしないというだけで、「思っている物ではなかった・・・だからこれは嘘だ、偽物だ」と感じる人が大多数となってしまうことを知っている。予測できている。 だからこそ、注意深く見ている。 スピリチュアルの効果も、それが支持される人の心の仕組みも、またそれなしで生きていられないような弱い魂がけして少なくない数で存在してるのも理解している。 だから、そのことも敢えて放送で述べた。 だが、放送後半。 スピリチュアルを生業にしているその会員の方からツイッターにツイートとダイレクトメールが届いた。 そこには汗を垂らして笑う顔文字付きで、挨拶していたり。 ダイレクトメールにはこう書かれてあったりした。 「すみません、利用したようにとられて」 「ごめんなさい。」 放送は授業なので、あまりそのことについて話してもよくないと思った。 なので、一番理由としてこちらに非がないように語った。 そのため宣伝広告に使わないでくれという話にしたが、それは本当に核となる理由とはズレている。 だが、スピリチュアルが持つ功罪の本質的な部分について語らなかったのは、僕の授業を受けに来るくらい勉強家な人ならば自覚してるだろうと思ったからだ。 でも、このツイッターの書き込みを見て「ダメだ!」と思った。 「伝わってねーぞ」と。 「まるで見当違いだぞ」と。 なので、彼に返事したダイレクトメールの全文を以下に掲載する。 大きく声には出さないが、スピリチュアルを目指して授業を受けに来てる人だっていると思う。スピリチュアルに何かを期待してる会員もいると思う。 なので、長いがじっくり読んでもらいたい。 ウチの授業を受ける可愛い生徒らに、センセイがまず肝に命じて欲しい事だ。 場合によっては、占いやスピリチュアルのていでリーディングを披露する方が得策な時も出てくるだろう。 その時に、自分がどう振る舞うべきか。 パフォーマンスが終わった際になんという言葉を添えておくべきなのか。 各自、自分の胸に聞いてみて欲しい。 この問題について自己リーディングしてみて欲しい。 ---眉村神也--- ▼「すみません、利用したようにとられて」「ごめんなさい。」というメールへの返信全文 そんな気持ちがないだろうことはわかってます。 でも君がスピリチュアルを餌に仕事してる限り、君のツイートを見る客や君に興味を持ってくるスピリチュアル好きな人も見る。 見たら何か繋がりあるのかと思う人は出てくるでしょう。 とてもフレンドリーに接してるつもりだろうけど、僕に『今日は惜しかったな、次を期待してるぜ!』みたいなフランクな書き方した書き込みをするのも、見る人が見ればとても誤解しやすいだろ? そもそもスピリチュアルや占いやヒーリングに僕らは否定的で、放送でも言ったようにそれで救われてる人がいるのも知ってる。 ビジネスなんだから生活できる最低限の収入だけ稼げるライン以上の儲けを出したら詐欺だとか、ただの人助けとして余剰の時間で無料で他人に奉仕しろとかも言わない。 ただ、それをわかってたって僕らは立場上スピリチュアルを販売する輩相手にスキルを明かしたり、授けたり、販売したりしてるような実績は残したくはない。 そっと静かに迷惑かけずに声をひそめて見てる分には、こちらとしてはどうしようもなくなってしまうけれど、じゅんやくんはDaiGo弟子の人たちにも繋がろうと積極的過ぎなんだよ。 そこから営業しないとは言えないだろ? しないってことの証明なんて誰にもできないよね? 結果的に自分がスピリチュアルの看板掲げてる限り、どう何をしたってメンタリズムの悪用であり利用をしてることになるってことをね。 立場上僕は語気荒く強く言わなきゃなんないんです。 僕は正しいスピリチュアルがあるとは言いつつも、それは精神性の問題としてであってビジネスであっても、ただプライベートでそーゆー力があると言って注目浴びるだけであっても、スピリチュアルは常に全て悪だと思ってる。 その理由はいくつか言えるけど、あえて一つ言うなら、スピリチュアルの看板掲げるのと、心理学や様々な学問を掲げて人を導くのとでは、どちらに客が集まりどちらに金を注ぎ込むかと言ったら、それはスピリチュアルの方だからだ。 人の心は弱く、自身の努力とか知見とかスキルのアップで変えられることや治せるこおよりも、ただ信じるだけで、もしくはそーゆー力のある人に助けを求めるだけで事が成せると言う方になぜか倒れやすくできてる。 医者に行く前にまずはスピリチュアルな人に金を払って会いに行くおばや母を見てるから余計にそれを感じてる。 おばも母も口を揃えて言うよ。 『あれは詐欺なんかじゃないよ、詐欺だとしたらあんな少ないお金でわざわざ時間作ってくれて、必死に祈ってくれたり体に気を送って汗だくになってくれたりしないよ。それに、実際お医者さんで全然治らなかったのに、いま痛みが減って動けるし歩けるし……うんぬん』 そんな母は、結局早く手術した方がいいって医者に言われてたのに長年手術は怖いし、その手術しても治る保証もないんだからと手術から逃げ回り、高齢になっていよいよどうしようもなくなって、リハビリもしんどいのに最近になって手術受けざるえなくなってしまった。 それまでの間に何人のスピリチュアル達が母の前を過ぎ去っていったろう。 彼らの全てが悪意の持ち主とは思ってない。中にはあからさまな悪意の詐欺師も居たが、中には本気で自分には力があり人助けのために必死で頑張ってるように見えるお婆さんとかも居たよ。 その人は悪かって? ど悪だよっ! スピリチュアルらは皆が皆、母を励ました。 大丈夫、頑張って! 私が絶対アナタを治してあげる、救ってあげるから。 辛いだろうけど頑張ろうね、と。 痛みと不安を持つ者にラポールを築き、この人なら助けてくれると信じさせ安心を与え不安を取り除き、早く手術してしまえば……筋力も精神力も今より何倍も強い時にリハビリしてれば……どんなに良かったことか…… スピリチュアルの輩の言う正義の理論はわかってるつもりだ。 それがないと駄目な人も居るだろう。 だけど、それが本当にその人を救ってるか? いま目の前の瞬間だけで見てないか考えて欲しい。 他人の人生の全てなんてたとえ一人でも誰も背負えない。 人は結局いつも一人だ。家族とか妻や子供とか、そんな話してたって、やっぱり突き詰めれば一人だ。一人一人だ。 支え合うことは出来ても背負うなんて無理だ。 自分の力で立てないと、立てるようにしてやらないと、決断も選択もそれはその人だけの神聖なものなんだ。 救えたように見えることが、実は長い目で見た時に一時しのぎでしかない事がある。 その一点においてだけでも、すべからく世にあまねく全てのスピリチュアル悪だと僕は断言できる。 申し訳ないがこれで君に伝わっただろうか? そんな軽い謝りで終える話でないよ。どころか見当違いの方向に謝ってる。 そもそも謝って欲しい訳じゃない。 スピリチュアルを辞めろ。 できないなら関わってこないでくれって話だ。
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