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(2/3)導く者は・・・「相手のために」の名を借りた「自分のため」であってはならないと思っています(主に甲子園・熱中症等について)
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(2/3)導く者は・・・「相手のために」の名を借りた「自分のため」であってはならないと思っています(主に甲子園・熱中症等について)

2013-08-16 10:54

    (1/2)導く者は・・・「相手のために」の名を借りた「自分のため」であってはならないと思っています(主に甲子園・熱中症等について)

    さて、2回にわたってお送りする、そんな大層なものじゃないけど、この甲子園の連投・登板過多の記事です。前回の記事は上からどうぞ。

     昨日は仙台育英高校対常総学院高校の戦いをはじめ多くの素晴らしい試合が行われました。また今日は我が千葉県代表の木更津総合高校の第2回戦が行われますので要チェックや!です

     さて、そんな中ですが、連日、投手の投球過多はありますね。浦和学院のエース小島くんは足がつりながら(!)182球を投げました。残念ながら高校野球ではプロ野球と違い同じぐらいのレベルの投手を複数用意することは難しいのが実情です。ですからエースピッチャーが一人で投げ抜くことが要求され、試合に勝つにしたがって消耗度合いも比例して上がっていくという事態が常態化しています。

     プロ野球のスカウトたちは有力な選手に対しては甲子園に出てほしくないと思っている、というのは広く知られるところです。2013年のルーキー日本ハムファイターズの大谷選手や、今年の超高校級選手として話題に登っていた神奈川桐蔭学園の松井選手などは残念ながら甲子園出場はなりませんでしたが、それを喜んでいる人たちが多くいるということは事実のようです。それはもちろん甲子園の悪条件下で酷使されることの悪影響を考慮してのことでしょう。

     話がそれましたが、前回の記事でもご紹介した愛媛県代表済美高校の安楽投手も彼の実力だけでなくいろんな話題を攫っている選手の一人です。彼は春のセンバツで計772球を投げ、日本国内だけでなくアメリカでも話題になりました。アメリカは皆さんご存知だとは思いますが、肩肘は消耗品であり、日本の高校野球のような連投や投球過多に対しては虐待であるという姿勢をとっています。アメリカさんの管理ってのもちょっと過敏なところもありますのでどちらがいいというわけではありませんがね^^;

     彼はまだ2年生です。後1年間彼の高校野球は残っています。どういった生活、そして練習が待っているのでしょうか。それを暗示擦るような記事を見つけましたのでちょっと読んでみてください↓

    済美・上甲監督「高校野球に球数制限はそぐわない」 

     球数制限をすることには僕も反対です。しかしそういった議論が巻き起こる背景には連投・投球数という面に配慮した采配が行われていない現状があるわけです。

    「予選が終わってから肩、肘、腰や太ももの張りがなかなか取れなかったが、だいぶ状態は良くなってきたね」
     明らかに投げ過ぎによる影響が見られる、ということではないでしょうか?
    「小島君を投げさせたのは森監督の優しさだと思います。3年生の思いを背負って投げたいと言っている2年生のエースに最後まで任せようとした。優しさですよ、あれは」
     「あの子たちには『いま』しかないんです。それを高いところから、冷静な判断で取り上げることは、私は高校野球の指導者じゃないと思います。止めたことで彼らに一生の悔いが残るかもしれない。もちろん2、3回戦なら投げさせません。でも決勝になれば、私は投げたいという本人の意思を尊重してやりたい」
    「球数の問題はプロでもよくいいますね。でもそれは日本の伝統ある高校野球にはそぐわない。肉体の限界を精神力で乗り越える。武士道精神のような厳しさもまた高校野球だと思います」

     根性論丸出しですね。私は常々こう思っています。「根性論を唱える指導者は無能」であると。こういった古き悪しき指導者が名将であるかのように捉えるのはいい加減やめましょう。「絆」をもてはやすのもやめましょう。

     私は、指導者だからこそ高いところから冷静な判断をし、その後につながる決断をすべきである、と考えます。止めたことで悔いが残るのなら、投げたことで悔いが残る結果になることだってあるんです。高校が彼らの人生のハイライトではないんです・・・。


     コーチ・カーターという映画をご存知でしょうか?2005年のアメリカ映画でバスケットボールを題材にしています。あらすじをwikipediaから↓

    アメリカのとある犯罪都市・リッチモンド。この街にあるリッチモンド高校は、落ちこぼれ生徒たちの集まりで、大学へ行く者はごくわずかで卒業した生徒の半分が逮捕される現状だった。それは高校のバスケットボールチーム「オイラーズ」も例外ではなく、ほとんど試合に勝ったことがないこのチームに、高校のOBであるケン・カーターが新しいコーチとして赴任してくる。だが、彼はバスケの技術を教えるよりも先に、選手たちとある契約を交わす。それは「学業で決められた成績以上を残すこと」「授業には必ず出席すること」「試合の日には正装すること」といったものだった。これを守らない者は試合に出さないという彼に、もちろん選手は反発。チームを去る者までいたが、彼は規律を守ることが勝利のカギだと、意見を変えることはなかった。そして、彼は残った選手に対し、激しいスパルタ練習を課していく。


     そして彼らは快進撃を演じていくのですが、その最中選手数人が「学業で決められた成績以上を残すこと」ができなかった。するとカーターコーチは、快進撃をしているにもかかわらず体育館を封鎖し、試合をキャンセルし、チームを図書館で勉強させます。しかし、それに対し選手の親やPTA、果ては街全体、マスコミまで巻き込んだ大論争の的となっていきます。

     「彼らは人生のハイライトは今なんだ」、「街全体の希望なんだ」と・・・。

     カーターコーチは常に未来を見ています。カレッジでバスケをする、犯罪者にならないような生活をすることが、今バスケで勝利するよりも大事であると考えたのです。

     条件は違いますが、この映画と甲子園は同じことです。指導者として、ケン・カーターと済美の監督。どちらが教育者、指導者として正しいのでしょうか・・・。

     また長くなってしまいました。全2回で書こうとしましたが、長すぎるので3回目を書きたいと思います。それでは
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