総長です。

今日は、ある親と子の相談にアドバイスをしたいと思います。
先日、ある子から相談メールをいただきました。
そのメールでいろいろ回答しました。(詳細は放送にて)

その後、お母さまからこのようなメールを頂きました。

ーーー
総長

こんにちは。その後ご無沙汰してしまい、申し訳ありません。
**と共に体調を悪くしていた我が家の黒柴が、信じられないことに亡くなってしまいました。
一緒に元気になることを願っていたので、本当にショックです。

**は1週間学校を休んだ間、よく考え、よく勉強していました。
総長のメールへの返事をどう書いたらよいかもよく考えていました。
2日間の中間試験に登校し、その後は登校できるようにはなりました。

体調のことをお伝えしていないと思い、改めて状況お伝えします。
自立心の強い子で、小さい頃から私の困るようなことはしない、穏やかで、本を静かに読むのが好きな子でした。マイペースで、給食の時間になっても本に集中して気づかないこともあったようです。
1年前から、自分でお弁当を作るといい、見事に続けていました。おやつも手作りしたものを学校に持って行っていました。
総長の添加物の話、朝が最高だという話、最近の血糖値の話、食事の順番の話、どれも聞き入れ、実行していました。そして冬にはランニングも始めました。
自分に厳しく、決めたことをやり通していました。家族は感心するばかりでした。
春休みは時間を見つけて、鎌倉や高尾山へ私と2人でハイキングに行き、見つけておいた美味しいジェラートやそばを食べて帰ったりもしました。

ところが4月の健康診断の直後、保健室から連絡がありました。体重が激減し、脈拍が落ちていて、危険な状態だと。ランニング、犬の散歩、体育、部活(空手)、すべて中止しなさいと。すらっとしてきていいね、と喜んでいたのが一転しました。お風呂のときにのぞくと肋骨が見えていました。

それから学校生活が変わってしまいました。体育は見学、そのうち5月末の体育祭も出られないと告げられ(本人曰く見学の時間は絶望的)、部活も見学しているだけなのは時間の無駄と顔を出さず、クラス替えをしたばかりで、馴染みの子もできず、何のために学校に行っているのかわからなくなってしまったようです。

1か月たってから聞いたのですが、毎朝8:10に涙が出てくると。それを話してくれた翌朝は、靴を履いた後、玄関で嗚咽してしまい、私は学校を休ませました。総長に相談すると言ったのはその日です。

休んでいる間、ちょうど私が誘われていた美術館に一緒に連れていき、他の大人の話を聞く機会を作りました。気分転換に主人と妹と犬と七里ガ浜に行き、散歩しました。中間試験が終わると、気持ちを持ち上げて登校していました。

そんな時に犬が亡くなりました。保健室の先生に反抗の意思をはっきり示し、散歩だけは続けていた、その犬です。犬の横で横たわっている**をみて、ぞっとし、寝息を確認し安心しました。

近所の犬の散歩仲間に相談し、夕方の散歩に寄ってもらうことになりました。犬を2匹飼っているその方は、一緒に歩くと元気をくれる気がしたからです。

数日後曽祖母が亡くなり、そのお通夜の食事の席の匂いに気分が悪くなってしまいました。食欲が戻らずその日は寝てしまいました。

一昨日の月曜の告別式は、また匂いを思い出すのでやめてよいと言うと、また葛藤し、登校するのが辛そうでした。

火曜水曜は落ち着いて朝は出発できました。
とにかく今は食事をとり、安静に過ごして体重を戻し、運動できる身体に戻すことが優先です。

1人で山小屋で暮らしたいと言った日がありました。人は1人では生きていけないこと、私たちは人とのつながりの中で、生きていることを伝えました。
「お母さん、私は何をしたら楽しいと思えるのかわからない」と言った夜もありました。
私は、人の役に立つと喜んでもらえるでしょう、それを見ると、ああ、よかったって思えるよ、と答えました。 

総長にお話する必要があるのかどうか悩みましたが、兄からも少し耳に入っているかと思い、今の家の状況をお伝えしました。
**は、兄のふるまいに、許せない気持ちを心の内に持っているような気がします。

こんな日々の中でも、彼はゲーム時間を削らず、自分のやることに気づいていません。朝起きられない、放課後も塾に行かないなら、夕方家でやるしかないだろうに、なかなか身が入らないように見えます。私は何も気にしないでいます。
日曜に総長とお話しできたことを嬉しそうに私に報告し、月曜から朝メールできたことは、私も前向きにとらえています。
ーーー

大体の流れを掴んで相談室にお越しください。

では、時間をお待ち下さい。