• 沖縄ソングっぽくなる方法

    2019-12-01 11:18
    「こういう感じの曲を作りたい」というとき、その「こういう感じ」の曲を何曲か聞いてみると、何かしらの共通点が見えて(聞こえて?)くると思います。それを用いれば理論上は「こういう感じ」の曲を作ることができます。心理学でいうところの「モデリング」ですかね。実際はそうならないことも多いのですが^^;
    ここでは私がそれなりに調べた「これを使えばそれっぽい曲になる」というのを紹介していこうかと思います。初回は「沖縄ソングっぽくなる方法」です。

    「沖縄ソングっぽい曲」を出す第一の要素はやはり独特の音階ですね。
    一般的にはスケールの13457に相当する5音ハ長調ならレとラを除いたド・ミ・ファ・ソ・シのみを用いる…と言われています。しかし沖縄の民謡をいくつか調べてみると、曲の中での使用頻度は他の5音に比べると少ないものの、割と2の音(ハ長調ならレ)も使われています。ちなみに6の音(ハ長調ならラ)の音は使われていません。

    それから特にアップテンポの曲に使える要素として「音符の長さが均一ではない」というのがあります。例えば音の長さが2:1のシャッフルビートを使うというような感じです。これは3連符(タタタ、タタタ…)の2番目を1番めにくっつけた感じの「タンタ、タンタ…」のリズムです。付点8分音符+16分音符(音の長さが3:1)も考えられますが、個人的にはシャッフルビートのほうがより「っぽくなる」と思います。

    あとは三線(さんしん)、蛇皮線の音色(ない場合は三味線でも代用できます)を使うと沖縄民謡っぽくなりますね。とはいえこれは特に必須というわけではありません。


    まとめると、
    • 使う音は1(2)3457(ハ長調ならド(レ)ミファソシ)
    • アップテンポの場合はシャッフルビート
    上記の要素を使うと「沖縄ソングっぽい感じの曲」になると思います。

    ここで沖縄ソングっぽい感じの自作曲を紹介します。

    【がんじゅーラジオBGM】


    上に挙げたとおり、使ってる音は1(2)3457、シャッフルビートのリズム、メロディには三線代わりの三味線の音色を使っています。

    雰囲気は出ていますよね。


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  • 孫子の兵法書から学ぶこと

    2019-10-27 09:29

     最近は「孫子の兵法書」に目を通すことが多い。孫子の兵法書は2500年ぐらい前の春秋戦国時代の中国で孫武(孫子)によって編纂された13篇の書物である。最近は文庫本サイズで全文(書き下し文)と解説を掲載している書籍もあるので、機会があったら一度読んでみてはいかがだろうか。
     孫子の兵法書は文字通り兵法書、つまり戦について書かれた書物である。「風林火山」や「敵を知り己を知れば百戦して危うからず」という言葉を一度は聞いたことがあると思うが、これらの言葉も孫子の兵法書から来ている。また、戦い方について書かれたものではあるが、2500年経った現代の社会にも当てはまりそうな部分が多い、つまり応用力が高いのも特徴である。

     例えば「兵は拙速を聞くも、いまだ巧の久しきを睹ざるなり」という一文がある。孫子の兵法書における「兵」は戦争のことである。先の文は「短期決戦で成功する例はよく聞くが、長期戦に持ち込んで成功した例は見たことがない」という意味である。戦は時間がかかればかかるほど費用はかさむし兵力の消耗も激しくなる、つまり国はだんだん疲弊する。疲れ果てた状態で勝利を収めることなど到底できない、ということである。創作活動に当てはめるとさしずめ「何か作ろうと思い立ったらすぐに制作に取り掛かれば完成する。じっくり考えてから取り掛かろうとすると完成する前に疲れてしまう。」といったところだろうか。

    「百戦百勝は善の善なるものにあらず。戦わずして人の兵を屈するは善の善なるものなり」という一文は、「百戦して百勝するのは最善の戦い方ではない。最善なのは戦わないで相手を降伏させることだ」という意味だ。戦う前に相手の国力や兵力、戦略や政情を徹底的に調べ上げ、相手を屈服させるよう手を尽くせ、ということである(もちろん自分の国のそれらも考慮した上で)。「準備八割」という言葉があるがそれ以上の「準備十割」といった感じだろうか。
     現代に当てはめると「ライバルがいっぱいいる既存の分野でライバルを倒しまくってトップになるよりも、ライバルがいない分野を調べ上げ、新規開拓して乗り込んだほうが良い」といったところだろうか。ただ応用例を挙げてはみたが応用が間違っているかもしれない。ライバルを屈服させるというよりは、相手の虚を突く、つまり思いもしないところを攻めるといった感じだし。


  • シンプルさと自由度と実現性

    2019-10-27 09:25

     シンプルさと自由度は反比例し、自由度と実現性もまた反比例する。ゲームにおける自由度とは、プレイヤーができること、すなわち「選択肢の数」であると考える。また、ここで言うところの実現性は「頭の中のアイデアがゲームとして実現する度合い」のことである。

     例えば武器を手に入れるとき、店で所持金の範囲で自由に選んで購入する、イベントをクリアして手に入れる、ダンジョンの宝箱から入手するといった方法が一般的だろう。選択肢はそれなりにある。たとえば「ダイスに対応した武器を自動的に装備する」システムだと、システムそのものはシンプルだが選択肢はほとんどないようなものである(ダイスの目に応じて、なので自由に選択できない。せいぜい武器を購入するかしないかが選択できるくらい)。この場合、奇抜さはあるが自由度はないと言える。

     自由度を上げるとどうなるだろう。例えば武器入手の方法を加えてみるとする。鍛冶屋に持って行って強化する、素材を集めて錬成する、貿易を行う、などなどが考えられる。いろんな方法を採り入れるとそれだけ選択肢は増える、つまり自由度が高くなる。しかし、自由度が高くなりすぎると「何でもできるけど何をすればいいかわからない」という状態に陥る。また、ゲームを開発するときも、最初から選択肢の多い状態にしてしまうとその分実装する量が増えてしまう。故に自由度が高くなると実現性は低くなると言える。開発の途中で終わってしまう可能性も高くなるだろう。開発において最も悲しいことは完成しないことだ。どんなアイデアも実現の場を失ってしまっては雲散霧消するのみである。

     最初はシンプルな状態でとりあえず完成させ、更新作業で徐々に適度なところまで選択肢を増やしていくようにすれば、途中で終わる可能性は低くなる。選択肢のバランスも大事だが、まずは完成を目標にしよう。話はそれからだ。