カエルさんの携帯電話所有歴(1)
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カエルさんの携帯電話所有歴(1)

2013-12-29 00:46

    普段「あの日にカエル枠」として懐メロ垂れ流し放送をしたり、ブロマガでケータイ関連の記事を投稿してるのだから、やはりこれはやっておくべきネタじゃないかと思いたちました。

    恥ずかしながら自分がこれまで所有してきた携帯電話の歴史を記憶と記録を頼りに晒していきたいと思います。

    古いものほど記憶があいまいですが、がんばって思い出していきます。なおここではルータや
    通信カードなど通話できない機種、およびスマホは省きます。


    ~~~~~~~~~



    時代が昭和から平成に変わる頃の移動体電話と言えば、893屋さんや会社重役が乗るベンツの後部座席に搭載された自動車電話や、地上げ屋かそのライバルの マルサの人達が使っていた肩から下げたショルダー型の電話のことを指していました。バブルな時代の中でも特にバブルな代物という印象でした。

    やがてバブルもはじけ浮かれていた時代も落ち着く頃、それまでレンタルのみだった携帯電話の売り切り制度が解禁されます。1994年のことでした。街でも携帯電話が買えるようになったのをきっかけに、一般企業や普通の人でも携帯電話を所持する人が徐々に増えていきました。

    マッ キントッシュやPCといった機器が少しずつ職場に置かれ、PCのOSが16bitから32bitにシフトしていった頃、携帯電話はそれまでのアナログ方式 (1G)からデジタル方式(2G)に移行されます。通話しかできなかった携帯電話も9.6kbpsでの高速通信wが可能となります。


    織田裕二がドコモのCMを始めた頃、ついに自分も生涯最初の携帯電話を所有しました。

    1. NTTドコモ デジタルムーバ F101 HYPER

    ・1995年発売

    ・連続待受時間 約80時間
    ・重量 約185g


    機種は「デジタルムーバ F101 HYPER」。色は黒しか無かったような。

    発売されてすぐ飛びついたわけでは無く、しばらく経ってから迷いに迷って購入に踏み切ったと思います。

    ご覧のとおり中年のオヤジのようなチビデブな形をした機種で、これを使ってIBMのThinkPadからパソコン通信してたよう記憶しています。

    はたして誰に向かってドヤ顔していたのでしょうね。

    ~~~~~~~~~

    さて、携帯電話が企業やお父さん達に浸透していった頃、女子高生達の間ではポケベルが大流行していました。ポケベルでは英数字ならぬ数字のみを伝達することができたのですが、10種類の数字の羅列をメッセージとして送り、その語呂合わせにより彼女たちはコミュニケーションをしていました。
    「10105」=今どこ、「114106」=あいしてる、「0833」=おやすみ

    広末涼子がドコモでポケベルのCMをしていたと思います。

    ちなみに自分の会社は組合との決まりで一般社員がポケベルを持たされることを原則禁止していたこともあってポケベルを使ったことはほとんどありませんでした。


    まだ携帯電話が重く長時間の使用に耐えられず値段も高かった頃、微弱電波を使用するPHSが登場します。電話ボックスや電柱などあちこちにアンテナを立てることで端末本体の機能を簡易化でき、携帯電話ほど音声の圧縮率を高くする必要が無いので音質も良く、データ通信の高速化もできるということでした。コードレス電話を持ち出すようなイメージでしたね。

    PHS登場に伴い発足したキャリアは以下の3社。
    NTTパーソナル・・・・・・テレビCMはとんねるず→萩原健一&木村佳乃
    DDIポケット・・・・・・・テレビCMは大塚寧々、柄本明、岡本麗、鈴木清順他
    アステル(東京電話)・・・テレビCMはバカボン達w
    あ、東京の場合です。

    PHSではそれぞれ独自の方式で国内版SMSの先駆けとなるショートメール機能も実装します。DDIポケットのPメールの場合は、半角カナ及び半角英数字と絵文字が20文字まで送受信できました。

    確か携帯電話の10分の1位の値段で入手でき通話料も安いPHSは、世の奥様方や女子高生共の間で一気に普及します。数字のみそれも片方向のコミュニケーションしかできなかったポケベルは捨てられ、「ピッチ」と呼ばれたPHSは彼女たちの必須アイテムになりました。


    そんな中、自分も携帯電話との併用でPHSを所有します。

    2. DDIポケット PS-801

    ・1997年発売
            
    ・連続待受 720時間
    ・重量 79g

    DDIポケットは3社の中でも電波が強いということで選択。機種は京セラの「PS-801」を購入しました。色はシャンペンゴールドだったかな。
    小ささと軽さ、そして何より携帯と違って通話時の相手の声がとても自然なことに感動した記憶があります。

    「αDATA 32」という32kbps通信機能を使ってパソコン通信およびダイヤルアップPPP接続もしていました。


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    1997年からはドコモの携帯もショートメールサービスを始めます。携帯どおしで文字メッセージを送受信できるのです。画期的ですね^^

    そして翌年、初めて携帯の機種変更というものを行いました。

    3. NTTドコモ デジタルムーバ P206 HYPER

    ・1998年発売
           
    ・重量 約79g
    ・連続待受時間 約220時間

    機種は「P206」。色は黒。
    さすがは明るいナショナル・世界の松下、携帯もここまでスリムかつ軽量化されます。デザインも悪くないですよね。ていうか現在でもスマホと2台持ち通話専用ガラケーならばこんなので十分な気がするけどなあ。

    それまで携帯の着信音といえばピリピリとか決まり切った音でしたが、この世代からはコードを手入力で設定し音階を出せるようになります。そう「着メロ」が産声を上げたのですね。本屋には着メロ本が並びます。着メロ産業という新しいビジネスの始まりでもあったのですね。


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    この頃携帯の普及で電話番号が足りなくなります。030,080などを増やしていきましたがいつか限界に達する恐れが出てきます。
    ということで1999年つまり平成11年1月1日、語呂がいいこの年の元旦午前2時00分に移動体通信の電話番号11桁化という一大ビッグイベントが行われます。

    携帯電話
    010 - XX - YYYYY → 090 - 1XXY - YYYY
    020 - XX - YYYYY → 090 - 2XXY - YYYY
    030 - XX - YYYYY → 090 - 3XXY - YYYY
    040 - XX - YYYYY → 090 - 4XXY - YYYY
    080 - XX - YYYYY → 090 - 8XXY - YYYY
    090 - XX - YYYYY → 090 - 9XXY - YYYY
    PHS
    050 - XXY - YYYY → 070 - 5XXY - YYYY
    060 - XXY - YYYY → 070 - 6XXY - YYYY

    人々はこの変換表を元に電話帳を設定変更したり、あるいは変換表を片手に電話かけたりといったことがこの正月以降行われました。携帯電話機あるいは一般電話機の中には電話帳機能が11桁に対応してないものもあったんじゃないかなあ。

    ちなみに東京03地区の市外局番以降の8桁化は遡ること1991年(平成3年)に、大阪06地区はこの年1999年(平成11年)にそれぞれ行われました。


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    そういえばノストラダムスの大予言来ました?ウチにはまだ来ませんがとか言っていた頃、携帯電話界にノストラダムスどころではない革新的サービスが登場します。
    そう「iモード」の登場です。携帯電話単体でネットができるのです。すごいですね。


    4. NTTドコモ デジタルムーバ F501i HYPER

    ・1999年2月発売

             
    ・重量 約92g
    ・連続待受時間 約200時間

    自分も「F501i」を入手しました。色は黒。

    まだ白黒ですがちょっと広くなった画面でメールやネットにアクセスすることができます。着メロも本を見ながらポチポチ手入力するのでは無く”ダウンロード”することができるのです。携帯の主目的が通話から情報端末へとシフトしていくきっかけとなる出来事が1900年代中にあったのですね。


    ~~~~~~~~~


    さてドコモでは長年、織田裕二が「織田主任」と称してスーツ姿でバリバリかっこよく働くCMを流していました。エレベーターで手を後ろに回してこっそりメールを書き、目的のフロアに着いたらもう相手にメールが届いているというすごいワザも持っていたと思います。

    ある日テレビを見ていたらいつものようなスーツ姿の織田裕二がケータイショップの前をうろつくCMが流れました。ところがカメラがパンすると何とその店は「IDO(現au)」のショップ!。その後やはりミニドラマ仕立てのCMが繰り返され、サラリーマン織田裕二はIDOのcdmaOneの携帯に機種変更していったのでした。

    これにはビックリしましたねえw
    まあしばらくして織田裕二はまたドコモのCMに帰ってくるのですけどね。

    ちなみに織田裕二の後にドコモの携帯のCMを受け継いだのは広末涼子でした。彼女はポケベル使いから携帯電話へとレベルアップし、それに引きずられるように世の若い男女達も携帯を所持するようになっていきました。CMってうまいねえ。

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    携帯電話と競う形でPHSも進化を続けます。PHSから携帯に乗り換える人達も多くなり、PHS業界もがんばります。

    PHSという言葉を使わず”ハイブリッド携帯”というよくわからない用語を使い出したDDIポケットでは、Hに濁点を付けて「H"」と読ませるサービス名だかシリーズ名だかを開始。ベストエフォート64kbpsデータ通信(PIAFS2.1)の「αDATA 64」、約1000文字の全角かな漢字・半角英数字・絵文字の送受信に対応した「PメールDX」などの機能を持つようになります。

    5. DDIポケット PS-T25

    ・1999年12月発売
       
    ・重量 約79g
    ・連続待受時間 約700時間

    PHSの2代目、京セラ「PS-T25」です。色はシルバー。

    この頃はノートPCの他にPDAも持っており、PIAFS2.1のアクセスポイントにダイヤルアップ接続して使っていました。

    携帯もPHSも各キャリア独自のショートメール方式でしたが、後ろに@を付けることですでにEメールとして送受信することもできていました。このPHSを購入する時店員さんに画面が小さすぎないか?と質問したところ、そんなの上下に画面移動すれば問題無いよと言われた記憶があります。使うケースも頻繁では無かったので深く困ってはいなかったものの、ケータイやPHSからのメールが「ひと言」から「文章」に代わりつつ有る中、使いにくかったのは事実でしたね。


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    ドコモではiモードシリーズの2世代目502iシリーズの一部機種から、早くも画面のカラー化が行われます。また高機能版の500番台シリーズと平行して普及版の200番台シリーズがあり、モデルチェンジの度に500系機種から200系機種へ機能がフィードバックされていきました。

    2001年には第三世代携帯電話(3G)こと「FOMA」が登場します。テレビ電話などSFで見た世界のことが現実化されるようになります。しかしまだ実用で持ち歩くには技術がこなれていなかったためもうしばらくは2Gの機種を使い続けます。


    6. NTTドコモ ムーバ F211i

    ・2001年11月発売
           
    ・重量 約73g
    ・連続待受時間 約400時間
    ・TFTカラー4096色、96×128ドット、表示文字数8字×7行、16和音着メロ

    「F211i」です。色はメタルブラック。
    画面が大きく色も付くようになりました。

    軽いし使いやすいしで、しばらくこの機種で落ち着くことになります。



    (つづく)



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