『ホース・マネー』
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『ホース・マネー』

2016-08-27 23:24
    カーネーション革命における輝かしい「赤」の歴史の影に追いやられた黒い肌の人々の記憶。
    その中の一人、主人公ヴェントゥーラは記憶の回廊を巡り時制を超えるが、なかなか妻には会えない。彼の負った傷は手の震えとして表層に現れる。故に、彼が手の機能を回復する為の闘いが主題となる。ヴィタリーナは奪われた結婚指輪の話をする彼の手を癒すように触れる。
    彼は手紙を書く。電話の受話器を握る。
    遠く離れた者へメッセージを送る、という手段は鉛の兵士のライフル銃の皮肉なイメージに繋がり、ここで彼は奪われた者としての自身の歴史を自覚する。
    友を癒す為にヴェントゥーラはスプーンを握ってスープを飲ませ、その後円環状の牢獄から抜け出す。

    銃声の音のイメージは遠方へメッセージを届ける「手紙」の主題の変奏としてより具体的に
    「書くこと」「電話すること」を経て「銃を扱うこと」に可視化され(「ナイフを握ること」がその先にある)、逆に上昇下降の運動はエレベーターによって密室化され省略される。
    荷物の落下から始り、階段を登って友人に会いに行く『コロッサル・ユース』とは違い、ここでは重力を宙吊りにする意図が明確に存在しており、その宙吊り状態が時間や空間のイメージをあやふやなものにし個人主観的なアクセスを可能にしていることに驚かされる。
    『コロッサル・ユース』から『スウィート・エクソシスト』の試行錯誤を経て『ホース・マネー』でペドロ・コスタの作家性はより凝縮されたのではないだろうか。

    ジャ・ジャンクーとペドロ・コスタの「慕情」をテーマにした新作には共に時代が閉塞・越境を越えて一回りした感がある。ともに映画の母である小津の影響から「赤」を効果的に使い、母国のナショナルカラーや革命の象徴としての「赤」に変容していく様が面白い。
    映画と政治、倫理と道徳、人間と人類。
    決してどちらかに還元されることなく、2極間で振り子のように揺れ引き裂かれている。


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