『かぐや姫の物語』
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『かぐや姫の物語』

2013-11-27 19:20

    異形のアクション映画。
    所有欲やら自己顕示欲やら親のエゴやらの人間の魑魅魍魎の暗部がてんこ盛りで、それらから逃れる唯一の術としてアクションが描かれる。

    子供達と爺の「たけのこ!」「姫!」コール合戦。姫は育ての親である爺の元に来て、満足げな爺に抱き上げられる。微笑ましい幼少期のワンシーンに見えるが、これはその後姫をめとる為争う貴族達の所有欲に繋がる。

    高貴な者の所作としてアクションを禁じられた姫が刹那的に駆けだす場面の瞬発力と爆発力が素晴らしい。予告編で見るより本編の破壊力は段違い。爆発前の音楽の付け方も異様で、このシークエンスでは高畑も久石も狂気に満ちている。


    月に帰ることを姫が悩む辺りからやや失速。それを爺婆に打ち明けるシーンが単調な会話劇で演出上の工夫が見受けられない。締めきりが差し迫ったのか?ここで一気に説明台詞を片付ける為か?

    捨丸との再会シーンもやや雑。羽織っていた桜色の衣装を脱ぎ捨てる動作は飛翔への助走として描くべきではないか。ここはとことん重力の演出に拘った『風立ちぬ』と比較してしまう。

    爺婆との暇乞いを終えたかの確認もせずに、無言で姫に衣を着せる天井人の母はかなり残酷だ。一見メロドラマのように見えて、実は情緒の流れをぶった切る冷徹で反メロドラマ的な演出が各シークエンスに通底している。中断される花見もそうだ。
    そしてなにより、あの素晴らしいアクションシーン「疾走」と「飛行」が、天井人の禁忌を破った罪として「無かった事」とされ処理される罰。

    「ここではない何処か」というフロンティアはあらかじめ奪われ、逃れ得ない運命の輪廻と知りつつ、それでも一瞬の春に徒花を咲かせること。
    この作品は、その「刹那の美しさ」に満ちている。
    そして季節の記憶は「唄」という種子に封じ込められ、かの地の長い冬を耐え抜き、いつか来る春にまた輪廻の花を咲かせるのだろう。


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