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  • 小説『神神化身』第二部 三十七話  「舞奏競 星鳥・修祓の儀(後編)」

    2022-01-28 19:002時間前
    Twitter公式アカウント(@kamigami_keshin)にて連載中の小説『神神化身』本文アーカイブです。


    小説『神神化身』第二部 
    第三十七話

    舞奏競 星鳥・修祓の儀(後編) 


     御斯葉衆のところから逃げるように──実際に逃げはしたのだが──去った後、水鵠衆は互いのことを見つめ合いながら、ただひたすらに黙り込んでいた。阿城木も、七生も、こういう時に口火を切ってくれそうな去記ですら、言葉を探して黙り込んでいる。
     何かを言うべきなのかもしれない。ただ、何から話せばいいのかもわからない。嵐が過ぎ去って阿城木に残ってしまったのは動揺だ。
     自分は本当に六原三言の代わりなのだとしたら──七生が選んでくれた理由がそれなら、自分はどうすればいいのだろうか?
    「……九条鵺雲と何を話したの?」
     沈黙を破ったのは、七生の鋭い声だった。久しぶりに自分に言葉が投げかけられたと思ったらこれだ。思わず、阿城木も刺々しく返す。
    「散々ふてくされといて、開口一番それかよ」
    「はあ? 僕はこれでも心配してあげてるんだけど。九条鵺雲はそれこそ阿城木に酷いことを言って精神攻撃してくるかもしれないし。それで舞奏競に支障が出たら洒落にならない」
     七生は噛みつくようにそう言って、阿城木を睨みつけた。まるで既に九条鵺雲の掛けた呪いが効果を発揮していて、阿城木の舞奏を損なっているとでも言いたげな態度だ。
     精神攻撃と七生は言うが、本当にそうだろうか? しげしげと阿城木のことを見つめながら、独り言のように囁かれた言葉を思い出す。あれが単に阿城木を動揺させようと言った言葉には聞こえなかった。ただ単に、ああして言葉が口を衝く程に、阿城木入彦(いりひこ)と六原三言が似ていただけなのだろう。
    「精神攻撃してくるってんなら、お前の方がよっぽどだけどな」
    「なっ……それ、どういう意味!?」
    「散々こっちのこと避けといて、九条鵺雲と話したらきゃんきゃん言ってくんのかよ。お前の情緒不安定の方がよっぽど俺の舞奏に悪影響だろうが」
    「原因を作ったのはそっちのくせに被害者ぶるんだね。阿城木のそういうところ本当に嫌い」
    「あーそうかよ。じゃあ六原のことも嫌いなのか? 俺に似てんだろ?」
     半分は本気で、半分はカマを掛けてやるようなつもりで。こうして七生を試そうとするようなところが、彼に嫌われる由縁だろう。だが、阿城木はこういうやり方以外で七生に近づく方法を知らなかった。
     殻に傷を付けて、ひび割れた箇所から中身を引きずり出すようなやり方を、昔の阿城木ならきっとしなかっただろうに。
     案の定、七生は受けた衝撃を隠そうともせずに、子供のような声で言った。
    「……どうして三言の話が……?」
    「お前が聞きたがったんだろ? 九条鵺雲と何話したのか」
     阿城木が噛みつくように言うと、七生はいよいよ顔を蒼白にして、今にも倒れ込みそうだった。
    「み、三言……とは何なのだ? 何の話……なのだ?」
     知らない名前に、去記が不安そうな顔をする。
    「さあな。俺もわかんねえよ。映像で観た舞奏だって大分昔のだし、人となりなんか余計わかんねえ。けど、七生はよく知ってる。そうだよな」
     七生は阿城木の方を睨みつけたまま、全く動かなかった。その憎しみとも悲しみともつかない目に息を吞む。蔵で七生を見つけた時は、こんな風に七生を責め立てる日が来るなんて想像もしていなかったのに。本当は、こんなことを言いたかったわけでもなかったのに。阿城木は改めて苦しくなる。
    「…………お前が俺を選んだ理由が、六原三言に似てるからだったとしても、今更何も言わねえよ。それが九条の言うように郷愁の為のもんだったとしても、それがお前に必要だったなら……無下にはしない」
     自分の声がただの虚勢になってしまわないよう、阿城木は慎重に声を発した。それがどれだけ七生に響く言葉なのかは分からない。
     ややあって、七生が静かに言った。
    「……代わりなんかじゃない」
     その様があまりに弱々しかったので、思わず七生、と名前を呼んでしまう。すると、七生が弾かれたように阿城木の方を見た。そして、苦しげに言う。
    「代わりになんかなれると思う? 六原三言は化身持ちだ。お前とは違う。カミにその才を認められた覡だった。阿城木はそうじゃない。そんな人間が、六原三言の代わりになれるはずがない」
     その言葉には悲壮感すら漂っているようだった。手負いの獣が、精一杯死力を尽くして立ててくる爪のようだ。傷つかない、と言えば嘘になる。だが、目の前にいる七生が血を流していることを知っているから、辛うじて耐えられた。
    「似ているところは、その独善の具合くらいじゃない? 六原三言もそういう人間だった。……いつだって三言が一番正しくて、他の人間は間違ってて……。だから、いつだって周りの人間は、六原三言に従うしかなかった。……阿城木だって、そうして……周りの人間をなんだかんだ従わせたり……引っ張ったりしちゃってさ。そういうところが、本当にずっと、……疎ましかった。六原三言が憎いから、お前のことだって嫌いだった」
     ──あんま好きになっちゃ駄目だよ。僕なんか。そう言われたのは、一体いつのことだっただろうか。
    「見苦しいな」
     その時、一段冷え切った声で、去記が言った。
    「自分の価値を下げる為に、入彦を使うのは少々趣味が悪くはないか? それを妙手と思うなら、続けるのもよかろうが」
     駄々をこねる子供を窘めるような調子で、去記がくすくすと笑う。それを見て、七生が正気に戻ったように口元を押さえた。
    「好悪が口先一つでどうにかなるものであれば、我だってもう少し上手く立ち回れていたであろう。そうではないから、我はああなったのだ。好意から逃れることが叶わなかった。末路を知る千慧が同じ穴の狢となるのは、少々頂けぬよ」
     去記が今晒している傷は、彼が拝島綜賢に利用されていた時のものだ。言葉や理屈で嫌いになることが出来ていたなら、拝島去記はここまで傷ついたりはしなかった。
    「これ以上は不毛な言い合いになるであろうな。ならいっそ、我らは舞奏競まで離れようではないか。何事も咎めず関わらず……舞台の上でのみ交わるものとなろう。それがこの場を収めるもっとも冴えた裁きであろうよ」
     去記が八重歯を見せながら、この世のものならぬ笑みで言う。勢いに気圧されたのか、やや冷静になった七生が言った。
    「……そうだね。僕は阿城木といると落ち着いていられないから。これまで通りなるべく関わらないようにするよ。無用な衝突は……確かにもううんざりだ」
    「……ああ。俺もそれでいい。今のこいつと話しても平行線だ。修祓の儀は別に茶飲み話をするイベントじゃないらしいからな。話さなくてもどうにかなるだろ」
    「よし。これで決まりであるな。何もかも元通りだ。我も一旦の安寧を得ることが出来て嬉しいぞ」
     去記がにっこりと目を細めて笑うのを見届けてから、七生は黙って他の部屋に行ってしまった。全く、行動の早い覡主だ。その点だけはご立派なことで、と阿城木は思う。
     その背を見送った後、去記が口を開いた。
    「我は……わかる。千年生きているから……わかる!」
    「何がだよ」
    「千慧のあれは……つんでれというやつなのだ」
    「ぜってー違うだろうが。九尾データベースはどうなってるんだ」
    「いやはや、一時はどうなることかと思ったが、収まるところには収まったの」
    「収まってねーよ。クソ、六原三言だの何だの……ここにいんのは俺だろうが。化身の有無とか痛いとこ突いてきやがって」
     阿城木の記憶にある少年を脳内で加齢させたものの、自分と似た容貌になっているかは分からない。
     外見はともかくとして──親交のあったであろう七生の言うことだ。六原三言と阿城木入彦は、中身の面では似ているのかもしれない。だが、言うまでもなく阿城木と六原三言は別の人間だ。
    「……畜生、暴いたら暴いたでろくでもねえことばっか出てくんな。それをどうこう言うつもりはねーけど、普通に堪えるわ」
    「うう、その気持ちはわかるぞ。辛かろう。あ、でも、ああ言ってはいたが、千慧はきっと六原三言のことが嫌いではないぞ!」
    「六原のフォローをされても別に嬉しかねーよ」
    「あっ、あっ、えーと、だからつまり我が言いたいのは、六原三言が嫌いではないということは、その六原三言に似ている入彦のことだって大好きであろうということで」
    「ばーか。お前の言いたいことは分かってるっつーの。ちょっとからかってやりたくなっただけ」
     阿城木が悪戯っぽく笑って言うと、去記が「あーっ」と大声を上げた。
    「千慧に冷たくされているからといって、我に意地悪した! 我そういうのよくないと思う!」
    「悪かったよ。なんか……ついな。つい」
    「ぐう、ついで済まされてしまうとは……。我が一本尻尾であったら赦してやれんかったかもしれぬぞ」
    「お前が九尾で良かったよ」
     阿城木がそう言うと、去記はころっと表情を変えて嬉しそうな笑みを浮かべた。九尾であることを褒められて、素直に嬉しくなったらしい。これからはちゃんと九尾であることを認めてやらないといけないのかもな、と阿城木は思う。
    「……それにしても、六原三言……か……。もしかしたら、それが千慧の……目的なのかもしれぬな」
    「あ? もしかしてあいつ、お前には何か話してんのか?」
    「うう、そんな睨まないでほしいぞ……。……我が、水鵠衆に入ることを拒んでいた時のことを覚えているか?」
    「ああ、そりゃあな」
     あの時、去記は頑なに水鵠衆への加入を拒んでいた。それが、阿城木の家に泊まり、七生と話をしただけで態度を一変させたのだ。あの時のことは、阿城木も気になっていた。
    「あの夜……千慧は我に、その身を捧げよと言った」
     思いがけない言葉に、阿城木は一瞬戸惑う。
    「は? それどういう意味だよ」
    「そのままの意味であろうな。カミへの復讐と贖罪を共に果たせるものと言っていたのだ。千慧には何らかの理由で我が必要なのだ」
    「それはつまり……大祝宴に辿り着く為に力を貸せっていうことだろ?」
    「そうではない。上手く言葉には出来ぬが、そうではないのだ。千慧は我に身を捧げよと言った。それが単なる比喩ではないと感じたからこそ、我は水鵠衆に入ったのだ」
     コンタクトレンズの下に隠れている、去記の化身を強く意識した。
    「我はこの身を捧げる場所を求めている。それが千慧の下ならば、こんなに嬉しいことはない」
    「……ていうか、この間から思ってたんだけどよ。そんな捨て鉢なこと言うなよ。身を捧げるとか、そういう生け贄染みた話は違うだろ。俺らは一応仲間なんだからな」
    「ふふふ、そこは我と入彦の平行線であるな。我はそうではなければ、水鵠衆にはいなかった」
     同じ言葉を喋っているはずなのに、去記とも七生とも会話が成立していない気がする。だからいっそ交流を絶ってしまうという去記の解決方法は、一番理に適っている。
     なら、自分達はどうしたらいいのだろうか? 何もかも不透明で、導く光すら届かないこの状況で、一体何を標にすればいい?
    「………………決まってるよな」
     自然と、その言葉が口を衝いて出た。
    「俺はあいつに教えてやらねえとな、そろそろ」
     独り言めいた呟きが漏れたことに驚いたのだろう。去記が「入彦……?」と首を傾げる。
    「何を教えるのだ?」
    「全部だよ。今までわからせてやれなかった全部。大体あいつ居候のくせに生意気過ぎんだよな。やれシュークリームが食べたいだの、やれチョコの気分だから抹茶は明日だの、人を菓子調達人みたいに扱いやがって」
    「それは入彦が千慧にあまあまだからなのではないか……?」
    「ないか……? じゃねーよ! 俺のせいかよ!」
    「お陰かもしれぬが……」
    「まあいい。俺が言いたいのは、ここらで一つあいつに思い知らせてやんなきゃなんねえのかもなってことだよ」
    「思い知らせる……?」
     去記が子供のように復唱する。水鵠衆の中で一番大人であるはずなのに、と阿城木は思わず笑ってしまう。首を傾げたままの去記の胸をトンと指さしながら、阿城木は不敵に笑った。
    「俺が阿城木入彦で、お前が拝島去記で、俺らは水鵠衆だってことだよ」
     全ては遅々として進まず、七生がどうして自分を──六原三言に似ている自分を選んだのかも、去記の口にした七生の目的についても、何も分からない。おまけに七生とは舞奏競までまるで口を利けないときている。
     だが、七生は舞台に上がるしかないのだ。その目的の為に。そこからは、七生は絶対に逃げられない。なら、それでいい。自分達には、言葉よりも雄弁なものがある。
    「言葉で言っても分かんねえなら、舞奏でだ」


      *


     九条鵺雲は回想する。
     鵺雲の一番好きな本は、自分の日記だ。日記は自分の同一性を高め、自分を九条鵺雲たらしめてくれる。鵺雲にとっての標とは、過去の己自身だった。
     おまけに自分の日記には、しばしば弟の九条比鷺についての記述も多く出てくる。それを読み返す度に、鵺雲は弟が生まれた時の幸せな気持ちを新鮮に思い返すことが出来るのだ。
     今でも弟のことは大好きだし、考えると幸せな気持ちになりはするのだが、自分のことを慕い、後を着いてきてくれていた頃は筆舌に尽くし難い。
     しかし、日記を付けていようといまいと、九条鵺雲は記憶力の良い人間だった。大抵のことは忘れない。舞奏に関することならば尚更だ。
     だから、鵺雲は初めて秘上佐久夜と言葉を交わした時のことをちゃんと覚えている。社人である秘上佐久夜は、御斯葉衆の誰よりも堂々とした佇まいをしていた。対戦相手である覡達よりも、鵺雲の目を惹いたのは彼の方だった。社人である佐久夜には、当然ながら化身が無かった。だが、御斯葉衆に所属している覡達にも化身は無かった。なら、佐久夜と彼らの立場は同じだろう。
     自身の仕える御斯葉衆が鵺雲の率いる櫛魂衆に敗れたというのに、佐久夜はさして残念そうな素振りも見せていなかった。むしろ、それが当然であると言いたげですらあった。
     その態度が気になって、鵺雲は佐久夜に話しかけたのだ。
    「やあ、君は遠江國の秘上家の子だね? 舞奏競に社人が付き従ってくるなんて珍しい」
    「秘上の家では、そのようなしきたりになっております。……貴方は九条鵺雲様ですね」
    「うん。はじめまして。僕が九条家の嫡男、九条鵺雲だよ。君のお父上には、九条の家もお世話になったんだよ。合同舞奏披の時とかね」
    「恐縮です」
     そう言って、佐久夜が深々と頭を下げる。所作の一つ一つが整っていて美しく、ここまでくると、彼が何故舞奏をやっていないかが──もっと言うならば、彼に何故化身が無いのかを不思議に思ってしまうほどだった。尤も、カミが彼に化身を与えなかったのであれば、その才は見初められるだけのものではなかったのかもしれないが。
    「考えてみれば、はじめましてというわけでもないかな。修祓の儀の時に、顔は見ているはずだものね。君は従者らしく、他の人の世話に終始していた覚えがあるから、言葉を交わすのは初めてだけど」
    「そうですね……。あの社でお目に掛かりました。増築を繰り返した、大きな社で」
    「そうそう。まあ、君だけに教えてあげるけど、僕はあの社がそんなに好きじゃないんだ。あそこで修祓の儀が行われると知って、少し残念に思っちゃったよ」
    「そうですか……。私は、美しいと思いましたが……」
     そう言って、佐久夜が困ったように黙り込む。ややあって、寡黙そうな彼がゆっくりと口を開いた。
    「……鵺雲様の舞奏を拝見しました。あれを目の当たりにすれば、御斯葉衆が何故勝てなかったのかが窺い知れます。本当に素晴らしいものでした」
    「あは、僕の舞奏が素晴らしいのは自明のことだけれど……御斯葉衆が戦ったのは櫛魂衆でしょう? 僕だけじゃない」
    「それでも、貴方様の舞奏が一番美しかった」
     面白い目をする子だ、と鵺雲は思った。爪の先まで礼に浸され、決して表に出ようとしない従の態度を崩さないのに、その目はどこか深く鋭く、こちらを取って食おうとしてでもいるようだった。貪欲で、残忍な目だ。こんな目をする人間はそういない。
     その目が自分に向けられていることに、少し驚いてしまうほどだった。この九条鵺雲に、臆さず手を伸ばさんというその姿勢。
    「……申し訳ありません。出過ぎたことを申し上げました」
    「ううん。素直な賛辞は心地がいいよ。ありがとう」
    「それが見られただけでも、私がここに立ち会えたことへの望外の喜びを噛みしめずにはいられません」
     口調は素っ気なく、話し方は朴訥だ。だが、鵺雲には彼の言葉が本心からのものだと察せられた。いっそ切実ささえ滲んでいる。彼は至高の舞奏を──その才を貪欲に求めている。
    「君は、もしかすると飢えているのかな」
    「……飢え……?」
    「少し抽象的な言葉になってしまってごめんね。でも、それ以外に形容する言葉が出てこなくて」
     すると、佐久夜は少し黙り込んでから、その腹に手を当てた。そのまま、静かに答える。
    「鵺雲様の言葉は正しいと思います。私は──もうずっと長く、飢えている」
     佐久夜がゆっくりと目を閉じる。その様は、鵺雲の目には殉教者とも見えた。
    「気になっていたことがあるんだ。秘上の家といえば、舞奏の名家である栄柴の家に仕えるものでしょう? 君の主人は一体どこにいるの? 化身が出なかったわけでもないのに」
    「栄柴家の嫡男──栄柴巡は、舞奏を辞めました」
    「辞めた?」
     舞奏に対し『辞める』という言葉が充てられることに驚き、思わず訝しげな声を上げてしまった。鵺雲の弟の比鷺も舞奏から一時的に離れてはいるが、いずれ必要になれば舞奏に戻るだろう──九条の血、舞奏との縁はそういうものだ。
     栄柴の家ともなれば、何代も続く名家だ。その縁は深く、その責務や血も重いだろう。それなのに、どうして辞めるなんて話が出たのだろうか。鵺雲のように、他に血を分けた控え子がいるわけでもないだろうに。ますます不可解だ。
     そんな鵺雲に対し、佐久夜はまっすぐに目を見て言った。
    「私の責任です。私が彼を舞奏から離れさせてしまった。それを悔やまぬ日はありません。私には、その罪過を浄める機会すら与えられないでしょう」
    「……君が舞奏を辞めさせたの? 君が引き継がれてきた歴史をも撥ね除けて、栄柴巡くんに影響を及ぼした、と?」
     佐久夜は静かに頷いた。彼を縛る罪悪感は、ただの思い上がりと切り捨てられないものだった。栄柴巡が舞奏を辞めたのは、秘上佐久夜の所為なのだ。
    「それで、栄柴巡くんは今何をしているの?」
    「栄柴の血を引く後継に注力しています。つい先日、妻を迎えました」
    「舞台から降りたのなら、それが栄柴の家の為に出来る一番のことかもしれないね」
     後に託して子を成し、血を次代に繋いで行くことは名家に生まれた者の最低限の責務だ。それだけは無事に果たされそうであると知り、鵺雲は密かに安堵する。舞奏の豊穣には、他家の繁栄も欠かすことが出来ない。
    「だから、巡様が舞台に戻られることはありません。あの舞奏は永遠に失われてしまった。あれほど美しい舞奏は他になかったというのに」
    「君はそうして一生苦しみ続ける運命にあるんだね」
    「私は、咎人です」
     佐久夜はよく通る声ではっきりと言った。
    「今生で罪過を浄めることの出来ない私は、きっと未来永劫報いを受けるでしょう。ですが、私は今でも諦められない。巡様が大祝宴に辿り着くところを見られるのなら──いいえ、あの方の舞奏がもう一度見られるのなら──生皮を剥がれても構わない」
     佐久夜は腹の中にあったものを吐き出すように言った。
    「私は、巡様が生きている限り、きっと死ぬことすら出来ない……。これを抱えて、生きていくしかないんです」
    「失われたものに焦がれ続けるのは苦しいだろうね」
    「それでも、私はあの舞奏と共に心中したい」
     佐久夜が苦しそうに──だがはっきりと、そう宣言する。
     鵺雲は記憶力がいい。だが、その佐久夜の言葉を聞いた時の感情だけは、正しく思い出せなかった。日記を読み返し、弟への感情を呼び起こすのとは違うのだ。
    「なら、僕が救おう」
     鵺雲ははっきりと言った。
    「素晴らしい舞奏が失われるのは耐え難いことだよね。カミに与えられた才があるなら、それはきっと貴ばれるべきだ。たとえ相模國の外のことであろうと──こと舞奏に関することであれば、僕が手を差し伸べぬ道理が無い」
     鵺雲の言葉が理解出来なかったのか、佐久夜がまじまじとこちらを見た。その目には飢えた獣の獰猛さと、迷う信徒の揺らぎが奇妙に混じり合っている。鵺雲の暮らす相模國では特定の家に仕える社人の家系、というものは存在しない。そのことが少々惜しく思えるほどだった。彼は、ある意味で遠江國に脈々と受け継がれる伝統そのものであった。彼は忠義を尽くしつつ、尽くす相手を縛るものだ。
    「……本当ですか」
     佐久夜が絞り出すような声で言う。まともに言葉を交わしたのは今日が初めてだ。よっぽどのことがなければ、これから先はもう無いだろう。そろそろ鵺雲はここを離れ、舞奏衆を組んでいる二人のところに戻らなければならない。
    「君のことを覚えておくよ、佐久夜くん」
     鵺雲はそれだけ言って、佐久夜に頷いた。
    「鵺雲さん? あ、鵺雲さん! その……三言が探していましたよ。御秘印も……」
     案の定、自分を呼ぶ声がする。
    「それじゃあまたね」
     だが、こうして秘上佐久夜と言葉を交わすことは、今の鵺雲にとって必要なことだった。秘上佐久夜を救うことは、栄柴家の舞奏をも救うことだ。可能性は、どこにおいても存在する。だとすれば、これは覚えておくに値するものだろう。
     それ以降、罪過を浄める機会を与えられなかった秘上佐久夜とも、後に託すことだけを選んだ栄柴巡とも、九条鵺雲は相見えなかった。鵺雲自身も、わざわざ彼らと会う必要性を見出さなかった。何しろ、九条鵺雲には櫛魂衆の覡主としてやるべきことがあった。
     そこから、思いがけない出来事が起こり、あの時の言葉を意図とはまるで違う形で叶えることになるとは、九条鵺雲は想像もしていなかった。

     修祓の儀はつつがなく終わった。こうした場に慣れているであろう鵺雲に、社人である佐久夜、それに、一通り学ばされている巡が揃っているのだ。手間取る理由も無い。水鵠衆の方も比較的早くに済んだようだった。ああした個性の強い覡達は手間取るのではないかと思っていたが、ああ見えて覡主が儀式の上ではしっかりとしているのかもしれない。
     迷路のような惑わしの社から出ると、開放感があった。門を背に巡は大きく伸びをして、明るい声で言う。
    「はーあ、終わった終わった。ねえ、水鵠衆との懇親ってこれもう無い感じだよね?」
    「無い……ようではあるな。今からでも申し入れれば、受け容れられなくもないかもしれないが」
    「佐久ちゃんってば、鵺雲さんと水鵠衆の覡主とのあの感じ見て、まだそう思える? だとしたらなかなかのもんだけど」
    「……まだそう思えると問われれば、そうではないという答えにはなるが……」
    「本当にごめんね。巡くん、佐久夜くん。重ねてお詫びするよ」
     鵺雲がしゅんとした顔をする。それを本気でやっていそうなところが、鵺雲の鵺雲らしいところだ。
    「そういう時はごめんなさいって言った方が可愛げありますよ」
    「可愛げ?」
    「いいから素直にリピートしてくださいって」
    「……ごめんなさい?」
     鵺雲が不慣れな外国語でも口にするような調子で言う。
    「はいオッケー。じゃ、佐久ちゃん。適当にここら観光して帰ろ」
    「ここらに観光出来るところがあるとは思えないが」
     佐久夜がつれない調子で言う。それに合わせ、九条鵺雲も言った。
    「観光となると、それこそこの舞奏社こそが見るべきものだと思うしね。食べ物も……ここは何かあるのかな?」
    「修祓の儀をやるような舞奏社なんだから、食べるところくらいあるでしょ。舞奏衆同士の会食とかセッティングしなくちゃいけないだろうし」
    「巡くんの言う通りだね! とはいえ、その会食が執り行われるような場合も、最近では少ないようだけど」
     鵺雲が小さく首を傾げながら言うが、巡にとっては当然だろうという感じだ。これから鎬を削り合う相手なのだし、よっぽど社交的な覡じゃなきゃ成立しないだろう。
     おまけに、九条鵺雲が化身すら持たない覡と会食をしようという気になるかといったら、それこそ怪しい。というか、絶対にそんなことはしたがらないに決まっている。だから、御斯葉衆が他衆と交流を深めることすら、これからあるとは思えなかった。
     それこそ、水鵠衆のように前々から見知った間柄である、という裏事情が無ければ、余計に。
    「……まあ、仲良しこよしご飯したいかって言われると、それも微妙だしね。昔は家同士を仲良くさせようっていう集まりにあれこれ呼ばれたもんだけど」
     佐久夜にも似たことを言ったが、改めて鵺雲にも言っておく。
    「舞奏の名家同士の結びつきを深めることには意味があると思うけど」
    「とはいえ名家って簡単に消えてくもんだからね。枯れた滝を蘇らせた御堂とか、戦で所領が焼き払われる前まで時間を戻した藤澤とか、歴史ある家も今じゃすっかり音沙汰もない。名字だけ残って舞奏なんか知らないって家もあるしね」
     正直なところ、栄柴の家だってそうなる可能性が十二分にあったのだ。巡があのまま逃げ出していれば、きっとそうなっていたことだろう。
    「それをさせない為に、僕らは仲良くするのかもしれないなって今思ったよ。それこそ、僕がここに来たことで、巡くんが舞奏への意欲を燃やすようになったみたいに……って言うと、少し思い上がりが過ぎて恥ずかしいかな?」
    「そんなこともないですよ。その通りですしね」
     家同士を縛ってしまうやり方の有用さは、巡にも重々分かっている。それが家と家を超えて、人と人との結びつきになってしまったら尚更だ。その繋がりを断ち切りたくないという気持ちが、家への強い従属を生む。
    「じゃ、俺らはさっさと帰りましょうか。この近くに何も楽しいところが無いんなら、祝大に戻ってから楽しませてもらおっと。ねー、佐久ちゃんもそれでいいでしょ?」
     気がつくと、佐久夜は舞奏社のことを振り返り、じっと見つめていた。まるで、家を恋しがる子供のようだった。
    「どうしたの、佐久ちゃん」
    「……この社が、何故か名残惜しい」
     佐久夜がそんなことを言い出すとは思っていなくて、一瞬呆気にとられてしまう。あの人を惑わせるような社が気に入ったのだろうか。無秩序な増築と中の豪奢さは目を見張るものがあったが、佐久夜の趣味はあまり分からない。
    「貴方はあまり好ましくないと言うでしょうが」
     その時、不意に佐久夜が鵺雲の方を見て言った。鵺雲は驚いたように目を見開き、おずおずと言った。
    「……えっと、僕はそんなことを言ったかな?」
    「いえ、そんなことは……ですが、そうではないかと」
     佐久夜が自分でも不思議そうな顔をして言う。すると、鵺雲はまた一つ大きく頷いた。
    「うん。合ってるよ」
    「えー? ああでも鵺雲さんはそうかもね。考えてみたら納得するか」
     巡も彼に合わせて、一つ大きく頷いた。彼の今までの発言や価値観に則ればそうかもしれない。そして鵺雲は、やけに真剣な色をした目で言った。
    「巡くんが覡になってくれて、僕は本当に良かったと思っているよ」
    「え、何ですか急に」
    「巡り巡ってこの縁で良かったことがあるとすれば、それなのかもしれない。いや、そうであるからこそ、僕は可能性に気がつけたのかもしれない。ね、まさかこんな形になるとは思わなかったけれど」
     鵺雲が何を言っているのか、巡にはよく分からなかった。常々理解の外にある男だとは思っていたけれど、今日はそれが一入である。あの七生という旧知の少年にあれこれ言われた所為だろうか。それでも、鵺雲はどこか楽しげですらある。
     その時、巡の目が舞奏社の二階に佇む一人の覡の姿を捉えた。あの例の──水鵠衆の覡主、七生千慧だった。
     彼は自分達ではなく、ただ御斯葉衆の覡主である九条鵺雲のことを見ていた。その夕暮れのような奇妙な色の瞳に、自分の姿が映っていないことが訝しくてならない。何故なら自分は、栄柴家の血を引く栄柴巡なのだから。そんな風に扱われては困ってしまう。
     上等だよ、と巡は思う。およそ交わることすら赦されなかったはぐれ者達。栄柴巡とも九条鵺雲とも、当然ながら秘上佐久夜とも相容れないだろう自由の徒。およそ言葉では理解し合えないのであれば、自分達が発する言葉は、ただ舞奏のみでいい。
    「舞奏は楽しい。この期に及んでこそ」
     七生千慧の視線に気がついたのか、九条鵺雲が歌うようにそう言った。あまりにも優雅なその言葉が、御斯葉衆にとっての開戦の烽火であるようだった。







    著:斜線堂有紀

    この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。


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    ©神神化身/ⅡⅤ

  • 「舞奏競(まいかなずくらべ) 星鳥」新ルール説明

    2022-01-28 12:009時間前
    「舞奏競(まいかなずくらべ)」ルール説明



    ■舞奏競とは
    ニコニコ動画とYouTubeに投稿されたミュージックビデオの再生数とコメント数の合計値でチームの勝敗を決定するユーザー参加型評定システムです。『神神化身』においては、動画再生を「拝観」、コメントを「拍手」と呼称し、観囃子(ファン)による拝観と拍手を募るといった趣旨で実施します。
    拝観(はいかん)

    ミュージックビデオを再生すること。拝観数(=再生回数)により勝敗が左右される。

    拍手(はくしゅ)

    ミュージックビデオにコメントすること。拝観とともに、拍手の数(=コメント数)においても勝敗が左右される。


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    ■公開されるミュージックビデオ

    ❖水鵠衆舞奏曲
    『藍の反証(あいのはんしょう)』 
    作詞・作曲・編曲:Δ
    歌唱:水鵠衆

    ❖御斯葉衆舞奏曲
    『寡二少双(かじしょうそう)クロニクル』 
    作詞・作曲・編曲:夏山よつぎ
    歌唱:御斯葉衆

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    ■ミュージックビデオの配点(加点)について 

    ①各舞奏曲MVフルバージョン(YouTube・ニコニコ動画)
    1再生(拝観)につき1点
    1コメント(拍手)につき5点がチームに加点されます。

    ②テーマソング『円環之歌・改』ミュージックビデオ
    動画投稿時(10月2日)~集計期間終了時までの再生数とコメント数の合計値を両ユニットに等しく分配※いたします
    ※一の位切り上げ

    ※YouTubeでの加点方式について補足※
    YouTubeにつきましては再生数とコメント欄に記入されたコメントが加点対象となります。

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    ■特別拝観拍手

    ニコニコ『神神化身』公式チャンネル(https://ch.nicovideo.jp/kamigamikeshin)会員の方は「特別拝観拍手」にご参加いただけます。
    特別拝観拍手は1回につき100点が選択した衆へ加算されます。

    1日5回までを上限とし、最大2衆までお選びいただけます。
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    ▼特別拝観拍手受付イメージ
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    ■新ルール適用の再生(拝観)数とコメント(拍手)数の集計期間
    2月28日(金)21時00分~2月16日(水)21時00分

    ■結果発表
    2月17日(水)21時00分
    公式Twitterアカウント、公式ブロマガにて発表。

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    改めまして、この度は「舞奏競」に関しまして観囃子の皆様ならびに舞奏社所属覡に対して多大なるご迷惑をおかけいたしましたことを心よりお詫び申し上げます。
    また、再開に際してご理解、ご協力を頂きました観囃子の皆様、関係各位に感謝申し上げます。

    拝観と拍手をより多く集めた舞奏衆へ御秘印が授けられます。
    観囃子の皆様の「拝観」「拍手」を賜りますようお願い申し上げます。


    舞奏社



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  • 小説『神神化身』第二部 三十六話  「舞奏競 星鳥・修祓の儀(中編)」

    2022-01-21 19:00
    Twitter公式アカウント(@kamigami_keshin)にて連載中の小説『神神化身』本文アーカイブです。


    小説『神神化身』第二部 
    第三十六話

    舞奏競 星鳥・修祓の儀(中編) 


     修祓の儀が行われる社の雰囲気は、巡のよく知っているものだった。ここはどことなく遠江國の舞奏社に似ているのだ。伝統とカミへの思いの粋を極め、ただ舞奏の為に建てられた社である。そのことが、一歩また一歩と奥に進むにつれ伝わってくる。
     社全体が複雑に入り組んでいて、意図的に来客を惑わせる造りになっているところも、ある意味でとても『舞奏』らしいというか、凝っている。
     この社を建てた人間が何にこだわっているかがひしひしと伝わってくる作りだった。そう思うと、思わず笑ってしまいそうになる。人はいつでも形を変えて夢を見るのだ。
    「巡」
     その声に振り向くと、佐久夜が厳しい顔つきで立っていた。
    「さっきからふらふらと何をしているんだ。お前が好きに動くから、鵺雲さんとはぐれてしまった」
    「えー、だってこんなに不思議な舞奏社だったら、色々見て回りたいじゃん! 迷路みたいで楽しいし、装飾も豪華だし」
    「修祓の儀の前に手間を掛けさせるな」
    「時間になったら社人がどうにか俺らを探し当てるだろうし、鵺雲さんなんかは修祓の儀には絶対遅れないタイプでしょ。平気だよ。もー、佐久ちゃんってば心配性なんだから」
    「お前の分まで心配すべきところを心配しているんだ」
     つまらなそうな表情で答える佐久夜に、巡は小さく笑ってみせた。きっと佐久夜はふらふら好き勝手に奥に入って行こうとする巡と、あくせく動くはずもない鵺雲を天秤に掛け、こちらを選んだ。ささやかな勝利だ。自分でも切実過ぎて笑ってしまう。けれど、勝利は勝利だった。
     佐久夜は少しの間巡を見つめていたが、やがて諦めたように大きな溜息を吐いた。
    「……お前の言うことも一理あるかもしれない。ともあれ、これからは俺の傍にいろ。道すがら鵺雲さんと合流出来るかもしれない」
     強欲な佐久夜は、巡を見つけたことにすっかり安心して、次は鵺雲を探そうとしていた。全く、佐久夜には風情がない。だが、一応及第点を与えてやって、巡は次の話題に移った。
    「この舞奏社って結構モチーフがはっきりしてるよね」
    「モチーフ……とは何だ?」
    「何だろ。全体のテーマ? 遠江國舞奏社は遠江國の伝承を色濃く反映している場所だけど、ここも相当だなって」
     佐久夜はあまりピンときていないのか、不思議そうな目を向けている。遠江國に仕え、遠江國の中で生涯を過ごす佐久夜にとっては、外のことなど知る必要もないことだろう。仕方が無いので、一つ分かりやすく教えてやることにした。
    「時に佐久ちゃんに回りくどい話をしてあげよう。しかと拝聴するように」
    「……分かった」
    「俺が舞奏を辞めてしばらくは本当に大変な騒ぎだったよね。んでそれが落ち着いてからは恨み節の雨あられ。よくもまあまだ子供だった俺にあれだけの無体が働けたもんだよ! 彼らは俺を憎んでいたけれど、その後数年に渡って囚われ続けもした。他の人間が御斯葉衆を組み、俺が粛々と指導を行っていることに陰口を叩きながらも、俺の復活を望まずにはいられなかった」
     周りがあれだけ巡を冷遇し、苦境に立たせようとしたのは、そうすれば巡が舞奏の世界に戻ってくれるのではないかという涙ぐましい努力の一端だ。確かに心を傷つけられながらも、巡はそれを栄柴家の次の主として受け容れていた。
    「俺がこうまで切望されたのは……まあ栄柴家に生まれた化身持ちだからっていうのも当然あるんだけど、それ以上にもっと大きい理由があると思うんだよ」
    「大きい理由……。お前が他の代の覡よりも優れた舞奏の才を有しているということか?」
    「はーあ、佐久ちゃんって本気でそういうこと言えちゃうからずるいよねー! マジでムカつく」
    「どうして腹を立てるんだ……」
     佐久夜が憮然とした表情で言う。顔つきこそ不満げだが、彼が内心では不安がっていることを知っているので、巡はそれだけで少し気分がよくなった。
    「そういうことじゃなくてさ、俺の才がほんとに最強でみんながだーいすきっていうのは置いといてさ! ……俺が狂おしくも求められてたのは、俺が失われた存在だったからだよ」
    「どういう意味だ?」
    「俺が舞奏をやめちゃったからね。他の人にとったらようやっと生まれた栄柴家の跡継ぎが死んだようなもんだったんだよ」
    「……お前は生きてる」
    「舞奏が出来なきゃ死んだも同然! そりゃ佐久ちゃんは一応俺の親友としても在ってくれたからピンと来ないだろうけど」
    「ああ……そうだな」
     佐久夜がどこか苦しげに言う。親友としての佐久夜が、その中に確かに存在している。だが、今となってはこうも思う。佐久夜は巡の舞奏を諦めたり、忘れたりすることがなかった。だからこそ、覡の巡をその腹の中で生かし続けていたのだ。仮に栄柴巡が本当に死んだとして──果たして秘上佐久夜は諦められるのだろうか。と、少しだけ恐ろしいことを思う。
    「だから、余計に素晴らしく思えたんだろうね。失われた栄柴巡の舞奏が失われず時を重ねていたら、どれだけ美しかっただろう、どれだけ素晴らしかっただろうって」
     人間はどういうわけだか、そこに在るものよりも失われたものに弱いのだ。栄柴巡も同様だろう。今ここに居る栄柴巡よりも、失われた栄柴巡の方がずっと貴い。
    「それでだよ、佐久ちゃん。この社の来歴って知ってる?」
    「いいや。知らない。他の國の社人はまた変わってくるだろうが、秘上の家の社人はやや特殊だからな。遠江國および栄柴家のこと以外は明るくない」
    「それでいいよ。この社ね、昔はこんな山の中にあったわけじゃないんだよ。本当は麓の林のところにあって、脈々と継がれていた小さな社だったんだけどさ……。ある事件をきっかけに移動したんだ。そこからこうして増築に増築を重ね、ウィンチェスター・ミステリー・ハウスっぽい社になったってわけ」
    「そうだったのか……移転するということは、それだけのことがあったのだろうが」
    「それだけのことがあったんだよ。燎原館集団失踪事件とかね。聞いたことある?」
    「それは……確かに聞いたことがあるな。優れた覡が舞奏を奉じ、カミに願いを叶えてもらったという」
    「そうそう。雨を降らせたり、死んだお姫様を生き返らせたりの亜種だね。願いを叶えた覡の名は昏見貴生。だが、彼は住人達と一緒に忽然と姿を消し、カミを満たした奇跡の舞奏は二度と見られなかった」
     今でも昏見貴生の名前だけは、都市伝説のように語られている。彼の人となりはまるで分からないのに、彼が素晴らしい舞い手であったことは、外の世界ではいざしらず、こと舞奏の世界ではまことしやかに語り継がれている。尤も、反対に彼のことを忌むべきものだと認識している家も多くあるようだが。
    「昏見貴生がここまで俺達の間で知られているのは、彼が真っ当に大往生を迎えなかったからだぜ。優れた舞い手が不幸にも失踪したからこそ、ここまで残った」
    「……理屈は分からないでもないが」
    「この社は入り組んでて、目を離せば簡単に消えられる。その点で、この社は燎原館集団失踪事件のことを今でも忘れてないんだなって思うよ。ここは憧憬の社だ」
     巡が言うと、佐久夜は改めて社を見回した。素直な男だ、と巡は思う。
     失われたものに拘泥しているのは、巡も同じなのかもしれない。巡は自分の親友であった、自分の為だけの秘上佐久夜を求め続けている。自分が遠江國の人間と違うところは、それをこの手で取り戻そうとしているところだろう。ただ手をこまねくつもりはない。
     化身を与えられたこの左手で、求めるものを引きずり得てみせる。
    「ねね、水鵠衆の奴らってもうこの社にいるのかな?」
    「どうだろうな。到着していてもおかしくない頃合いだろうが」
    「仲良くなれるかなー? 俺人見知りだからドキドキしちゃう」
    「どの口で言ってるんだ、お前は」
    「ドキドキしちゃって縮こまるならまだいいけどさ、愛想を撒けるか怪しくなっちゃうから」
     巡は真面目な顔をして言った。
    「今回、上野國舞奏社はかなり思い切ったことをしたじゃない? 拝島の家の人間を入れたり、化身至上主義なのに化身の無いノノウを入れたり。おまけにリーダーは来歴不明な覡ときた。俺は与り知らぬところだけれど、よっぽど素晴らしい舞奏で社も観囃子も納得させたんだろうね。それを考えると、ほんと眩しいくらいだよ」
    「きっとさぞかし実力があるのだろう……とは思うが」
    「まー、見られたもんじゃないってことはないんだろうけどさ」
     そう言って、巡はいつになく厳かな笑みを浮かべた。
    「奴らの中で一番注目を集めてるのは誰だと思う? よりによって化身の無い阿城木入彦って覡らしいよ」
     鵺雲のように化身を持たない人間の舞奏を下に見ているわけではない。佐久夜はそのことをちゃんと理解出来ている。だから、敢えて正直に言った。
    「阿城木入彦はずっと覡になりたくて、けれど化身が顕れずに機会に恵まれなかった。けれどとうとう夢を叶えたってわけだ」
     化身が無く、自由に生きられたはずの人間が覡となり舞奏を奉じるようになったのは美談なんだそうだ。美談! その言葉の意味を辞書で引き直してやりたくなった。
     たかが化身が無い程度で、絶望したような顔をすることは赦せない。何にも縛られていない人間が、生きる道がいくらでもあった人間が、手に入らない獣道一つを指して不幸を知ったつもりになるなんて許さない。
     とはいえ、阿城木入彦からしてみれば巡こそ憎いのではないだろうか。自分が外でどう勇名を轟かせているかは知らないが、化身を持ちながら舞奏に背を向けた贅沢な愚か者が良いところだろうか。
     けれど、巡は巡で同じ言葉をくれてやることが出来る。
     手に入れられなかった一にこだわる人間は、その一を持っている人間を羨む。自分が持っているそれ以外の万の可能性から目を背け、自分には何も無いと嘯きたがる。
     巡の人生には与えられなかった万の道があり、自由に生きられたはず栄柴巡の屍が壮麗な舞車を形作っていることに、阿城木入彦は気づけない。気づけるはずがないのだ。
    「慣例をぶち壊し、自由の為に戦ってる奴らは強いよ。きっと皆さんそういうのがお好きだ。俺らが縛られている鎖を憐れに思う人間こそ、一層水鵠衆を応援したくなるだろう」
    「伝統よりも革新というのは理解が出来るが」
    「でもさ、俺はこの鎖に意味があったって言い張ってやりたい。これこそが栄柴巡を栄柴巡たらしめていたのだと教えたい。俺達が絡め取られた運命を貴び、心ゆくまで愛したい! 俺達の舞奏競ってそういうもんじゃない?」
     巡が言うと、佐久夜は大きく頷いた。
    「……俺はその一助でありたい」
    「…………」
    「お前がこの舞台に立つことの意味が、俺が浅ましくも諦められなかった無二が、寡二少双が、千年先も語り継がれるよう」
    「ああ、そうだな」
     寡二少双。いい言葉じゃないか。御斯葉衆が巡と鵺雲の二本柱により成立している舞奏衆であるからこそ、そう思う。唯一無二が二人という矛盾を孕み、それを解消しようと自らを舞奏に窶す自分達。
    「よし、これで上手くやれそうだよ。水鵠衆の前でも、めちゃくちゃキュートで人当たりのいい巡ちゃんでやっていける。サンキュー佐久ちゃん、俺のスーパー人気者スイッチを押してくれて!」
    「……そんな珍妙なものを押したのか、俺は」
    「そうだよー! そのお陰で水鵠衆の覡主とも、阿城木入彦ともちゃんとやれる。はーあ。あ! でも、あの狐耳とだけはちょっと仲良くなれそうかも。俺は拝島家の呪いとかも別に? って思ってるし」
    「お前、犬派じゃなかったのか」
    「まあそうだけど、狐の耳着けてるの可愛いじゃん。佐久ちゃんはどう?」
    「………………俺は犬派だ」
     佐久夜の回答に、巡が笑う。こんなやり取りをした後だからなお、巡はちゃんとやれると思っていたのだ。
     まさか、鵺雲がキツいことを言われているのを聞いて、佐久夜が一、二も無く飛び込んでいくなんて思わなかった。


     巡がちょっと仲良くなれそうだと称していた狐耳の覡──拝島去記が中に入ってきてくれたお陰で、佐久夜は場の空気がやや持ち直したのを感じた。それと同時に、口の奥に苦いものを感じる。
     文脈は分からない。一部始終を聞いていたわけじゃないからだ。だが、水鵠衆の覡主である七生千慧に鵺雲が酷いことを言われているのを耳にした瞬間、佐久夜の身体は勝手に動いていた。
     偉そうに従者についての言葉を吐いたが、その態度は従者として失格に等しい。出過ぎた真似を、何の許可も無くやってしまった。会話に割り込むことなど、特にしてはいけないことだろうに。
     おまけに上手いこと啖呵を切ってくれたのは巡である。栄柴の家に生まれた彼の、土壇場での肝の据わり方は佐久夜の比ではない。その点も恥じ入るべきところだ。
    「……去記……は、凄くいいタイミングで来てくれたよ。……ありがとう」
     七生千慧が殆ど焦燥したような笑みで言う。それを聞いて、拝島去記が「むう……」と小さい声を上げた。
    「……ごめんね。僕が至らなかった所為で、修祓の儀の前の交流が、あまり良い空気の中で行えなさそう。舞奏競を戦う二つの舞奏衆は、ある程度互いを知り合うべきなのに」
     鵺雲が申し訳無さそうに目を伏せる。それを見て、拝島がぎょっとした顔をした。
    「まだ交流出来ないわけではないぞ! 我なら全然おーるおっけーっていうか、千慧も入彦もちょっと落ち着いたらそうなるはずだぞ!」
    「ふふ、ありがとう。君は拝島去記くんだよね。コンタクトレンズで隠されているのが勿体無いな」
     何が、というのを明言しなくても拝島には分かったのだろう。右目の方にバッと手を当て、彼がぱくぱくと口を開閉する。
    「そ、そう……? で、でも、我はこの目の方が好きだから」
    「隠されたところで、君が素晴らしき化身持ちであることは変わらないものね」
     鵺雲が楽しげにくすくすと笑う。
    「空気をよくしてくれたお礼に、一ついいことを教えてあげる」
    「な……何?」
    「君の化身は呪いではないよ。カミは君を呪わない。だから、誇ればいい」
    「え……?」
     鵺雲の口調は確信に満ちていて、言われた拝島の方も戸惑いの表情を見せている。それでも、コンタクトレンズが嵌められているという目には安堵が浮かんでいるようだった。
    「去記を妙な甘言で惑わせないで」
     七生千慧が冷たい声で言う。どうしても七生は鵺雲のことが気に食わなくてたまらないようだった。
     佐久夜は社人として、たとえ他國に所属している覡であろうと、一定の敬意を払っている。巡が仲良くなれそうにないと溢していた時も、自分なら上手くやれるだろうと思っていた。
     だが、実際に相対してみて理解した。佐久夜は七生千慧のことがあまり好きにはなれそうになかった。
    「……あんたには色々言われたけど、俺はその言葉の真の意味を理解出来てるわけじゃないんだと思う」
     そう言ったのは、阿城木入彦だった。彼は鵺雲の方をしっかりと見つめている。
    「けど、正味この場で俺だけが化身持ちじゃない。あんたにとっては蚊帳の外だ。あんたは俺を覡として見ていない」
     阿城木入彦は──巡が並々ならぬ思いを抱いていることなど知らない、どこまでも恵まれた自由の徒が、高らかに言う。
    「けど、俺のことを見てもらうぜ。才能も化身も関係ない。俺は努力と熱意だけで大祝宴に辿り着いてみせる」
    「……そう。努力と熱意ね」
    「じゃ、一旦これで失礼するから! 修祓の儀終わった後にまた話す機会があるといいよね! じゃーまたばいばーい!」
     鵺雲がそれ以上何か言う前に、ということなのだろうか。巡が口早に言って、鵺雲の手を取った。
    「わ、巡くん。そんなに引っ張られたら戸惑っちゃうな」
    「……それでは、これで失礼します」
     佐久夜も一応そう言ってから、頭を下げて部屋を出た。
     七生千慧だけが、最後までこちらのことを──佐久夜と巡と鵺雲のことを、じっと睨みつけていた。


     どうして鵺雲や水鵠衆の面々があの部屋にいたのか分からないほど、あそこは修祓の儀が行われる広間とは違った方角だった。まるで迷路のようだ、というより、これはまさに迷路だ、と佐久夜は思う。幸いながら、佐久夜は方向感覚には優れている。一度通った廊下であれば難なく脳内に地図を作ることが出来た。
     遙か昔、巡と隣町まで冒険に行った時、この能力を褒めてもらったことを思い出す。どれだけ遠くに行っても、遠江國舞奏社まで戻って来られるので、巡は安心して気ままに歩けるのだった。
    「佐久ちゃんは俺の案内人だね。いや、カーナビ……カーではない……」
    「案内人でよかっただろう。何故微妙な方向に持っていこうとするんだ」
    「なんか語呂が微妙な気がしてさー。あ、でも」
     巡が何かに気がついたように言う。
    「佐久ちゃんがそんなんだから、俺達は迷子になれないんだね。ずーっと遠江國にいるまんま」
    「それでいいだろう。俺もお前も、ずっとあそこで」
     佐久夜は珍しく強い口調で返した。
     巡がそれに対して何と言ったのかを思い出せず、佐久夜は少しだけ悲しい気持ちになった。
     広間近くで彷徨っている三人を見つけた社人が、近くの部屋を御斯葉衆の控えの間として解放してくれた。最初から大人しく社人に問い合わせていればよかったのだ、と佐久夜はしみじみと思う。
     巡は無言のまま用意された椅子に鵺雲を座らせ、自分も隣の椅子に腰掛けた。差し当たって、佐久夜は二人の向かいの椅子に座り、向かい合う姿勢を取ることにする。ややあって、巡が口を開いた。
    「鵺雲さん」
    「うん? どうしたのかな? もしかして、水鵠衆とちゃんとした交流が出来なかったことに対して怒りを覚えている? そうだとしたら、至らなくて本当にごめんね」
    「この戦いに勝ったら温泉行こう。俺と佐久ちゃんと鵺雲さんの三人で」
     巡はよく通る声で、一語一句聞き間違えようのないくらい明瞭に言った。鵺雲が大きな目を見開いている。あまり見ない表情だった。
    「……おんせん」
    「ちょっ、温泉知らない人の言い方しないでよ! 温泉くらいわかるでしょーが」
    「温泉についての知識はあるよ。旅館を仮住まいにしていた身だし……けれど、舞奏競に勝ったら何故温泉に行くの? もしかして、栄柴家の伝統か何かなのかな」
    「そんなんが伝統の浮かれたお家だったら俺ももう少しくらいのびのび暮らせてそーなんだけどなー!」
    「そうじゃないなら、そんなことを提案する理由がわからなくて」
    「行きたいっていうのは理由じゃないの! 自分の思うままに好き放題やってるやりたい放題佐久ちゃんなら分かるでしょ!」
    「……何だその言い草は」
    「えー、反論出来る? 俺の許可も無く、さっきいきなり割って入って話を中断させた佐久ちゃんが?」
    「あれはやむを得ない状況だったと思うが」
    「とはいえだよ。佐久ちゃんはもうちょっと慎みを持て。今の佐久ちゃんは覡なんだからな」
    「……………………本当に申し訳ないとは思っている」
     当てこするように言われて、佐久夜は反論の余地無く黙り込んだ。
    「まあまあ、あのままだともしかしたら、少し感情の高ぶってしまった七生くんにぶたれていたかもしれないし、それで舞奏に支障が出るような怪我を負ってたかもしれないし」
    「あのちょっとチビっこい奴に殴られてそんなことになるかなー?」
    「……俺は鵺雲さんに万一のことが無くてよかったと思う」
     佐久夜が言うと、鵺雲は素直に「そうだね。ありがとう」と言った。
    「話を戻すけど、行きたいから行くんですよ。こんなの」
    「それは分かったけど……」
    「俺は鵺雲さんのことそんな好きじゃないけど」
     巡があっさりと、明日の天気でも口にするような調子で言った。
    「むしろ、俺が矜持を賭けて戦うべき相手がいるとしたら、あんただとも思っているけど。それでも、あんたが意味無く相手を踏み躙るような人間だとは思ってないし、ああいう言葉を投げかけられるような人間だとも思ってない。いい意味でも悪い意味でも、目的が無きゃ動かないから。優先順位と価値観の違いで、旧友に憎まれることもあるんでしょ」
     巡が反抗的な笑みを浮かべる。栄柴の家にも舞奏社にもおもねらない、佐久夜のよく知っている顔だ。そのまま、巡は続けた。
    「だから、意味無いことやらせちゃおーかなって」
     鵺雲は黙って巡のことを見つめていた。そうしてしばらく経った後、ようやく口を開く。
    「果たしてどこを勝利と置くかを考えていたんだ。こと七生くん相手だからね。彼が場外戦術を是とするなら、僕も対策を考えなくてはいけなくなる」
     舞奏競の勝利とは、観囃子の歓心を多く集め、御秘印を得ることではないのだろうか。少なくとも佐久夜の中ではそうであるし、巡だって同じ認識であるはずだ。
     だが、佐久夜も巡も口を挟まなかった。少し黙ってから、堪えきれないと言わんばかりに吹き出した。
    「でも、巡くんと佐久夜くんの二人と一緒に温泉に行けるなら、そこを勝利に置いてもいいかなって気がしてきたよ」
    「……そうですか」
    「うん。そうだね。およそ僕の発想の中には無いものだったけれど、他ならぬ巡くんの提案だし、とてもいい考えかもしれない」
    「マジで? 変な意味じゃなく鵺雲さんがオッケーするとは思わなかったわ。よっしゃ決まり決まり」
    「思い返してみると、旅行というもの自体初めての経験かもしれないね。各地の舞奏社に行ったことや、舞奏の交流会には出たことがあるんだけど」
     鵺雲が懐かしげに目を細める。それに対し、佐久夜は穏やかに言った。
    「所感ではありますが……楽しめるものになると思います」
    「そうそう。カミもそっちの方がむしろ喜ぶんじゃない? 覡がほんのたまにでものびのびしてたらさ」
    「それは賛同しかねるけれど」
     鵺雲が困ったように言う。鵺雲の中のカミは、随分厳粛なのだなと心の中で思う。すると、巡も同じことを思ったのか、冗談めかして「鵺雲さんの中のカミってそんなに良い奴じゃないんだね」と言った。
     すると、鵺雲は思いがけない言葉を口にした。
    「うーん、そう思っているわけでもないよ。そう思えるようなものではない、というのが正しいかもしれないけれど」
    「何それ。鵺雲さんにとってカミってどんなイメージなの?」
    「……そうだなあ。VDOって感じかな」
     ますます意味の分からない返答だった。訝しげな視線に気がついたのか、鵺雲は笑顔で補足する。
    「これは僕の好きな小説に出てくる造語なんだけど……イメージといえばそれかもしれない」
    「なんか循環参照染みてて怖いんだけど! つまり、その造語ってどういう意味なの?」
    「これを話すと小説のネタバレになってしまうし……一応その小説、知っている人間が書いているものだから、無体なことはしたくないんだ。あ、ベストセラーだというし、片端から読んでいけば、いずれ行き当たると思うよ!」
    「そんなの確率的にキツいんですけど! はあ、まあいいや」
     巡りが呆れたように言ったその時、社人が修祓の儀の開始を告げた。
    「それじゃあ行こうか、二人とも」
     御斯葉衆の覡主が、一番最初に立ち上がった。佐久夜は大きく息を吸い込み、修祓の儀に臨む。







    著:斜線堂有紀

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