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こんにちは、ライターの蚩尤です。
「Histoire of June~麻枝 准作品の軌跡~」こと「イスジュン」の連載第10回をお届けさせていただきます。なにとぞ、よろしくお付き合いください。
今回のお題は、2015年放送のTVアニメ『Charlotte』です。さてはて、どこをテーマに掘り下げるかですが……すでに坂上さんが深く掘り下げておられるところをここで述べても、それこそ縮小再生産になってしまいます。まずは書籍「Keyの軌跡」を紐解いてみましょう。星海社新書で好評発売中ですよ(CM)。
主人公・乙坂有宇が、Key作品ではめずらしい"ゲス"な主人公で、そのキャラクター造形が極めて特殊であること。『Charlotte』は、そんな彼の成長譚であること。そしてその核にあるのは、友利奈緒との"相棒"と呼ぶにふさわしい深い信頼関係であること。
友利奈緒が二つの意味で不在――ときに能力を使って有宇の視界から姿を消しつつ見守り、海外を旅する孤独な有宇の側で支えとなるのは、彼女本人ではなく手ずから作った単語帳だったこと――であったことが、有宇を二度の窮地から救ったこと……などが記されておりますね。
では、本稿ではどう視点を変えようか……というときに思い当たったのが、「イスジュン」前回記事のコメント欄です(コメントをくださった方、ありがとうございます)。いわく、ポストロックバンド・THIENDのボーカル、サラ・シェーンは何者だったのか? よし、今回のテーマは彼女にしましょう!
サラは、言ってしまえば本筋に大きく関わるキャラクターではありませんでした。ただ、物語のターニングポイントで登場し、有宇に自身の経験からくるアドバイスをしてくれること、その助言が極めて意味深長であり視聴者の想像力を刺激すること、そしてゴーカイかつミステリアスであることなどから、深く印象に残るキャラでした。
キャストは沢城みゆきさん、歌唱担当はmarinaさんであることに加え、赤い髪をしていることから『Angel Beats!』の岩沢のセルフオマージュキャラでもあることがうかがえます。
とはいえ、彼女について語れることは多くはありません。正確にいうと、語れるのは推測の域を出ないことばかりです。しかし、TVアニメの放送からもう5年が経ちますので、そろそろよいのではないだろうか……? と、まずは麻枝さんにメールで直球の質問を投げてみることにしました。うなれ剛速球。
「麻枝さん、サラはその言動や、視力を失っている姿から、かつては乙坂隼翼のようなタイムリープ能力者だったのではとする考察も多く見られます。サラは、彼と同じ力を持つ能力者だったのでしょうか?」
「はい、その通りです」
……!!? サラっとおいしい回答が返ってきたあああああーー! そんなわけで、麻枝さんご本人の口から「サラはかつてタイムリープ能力者だった」ことが明らかになりました! 今回はこの事実を大前提として、作中の彼女の発言をあらためて振り返ってみましょう。
有宇とサラが出会うのは、第8話「邂逅」でのことでした。ライブのために来日していたサラと偶然すれ違った有宇は、その瞬間にTHIENDの曲を聴いたときに抱いたものと同じ感覚を覚え、彼女に思わず声をかけて呼び止めてしまいます。
ところが、当のサラはモダン焼きをあまりに食べてみたくてイライラしている真っ最中。有宇はそんな彼女をお好み焼き屋にエスコートします。そして、ファンだというそこの店員に気前よくサインをしている姿を見て、有宇は彼女の失明は後天的なものなのだろうと推測するのでした。
「その目、生まれつき見えないってわけじゃないんだよな」
「ああ。でもこれは懺悔なんだ。罪滅ぼしのようでもあるな」
隼翼と同じ能力ということは、視力を失う=一定回数のタイムリープを行った、ということです。タイムリープすることが懺悔や罪滅ぼしになるとはどういうことか? それも、サラ自身の口から語られています。
「日本でも、すげー売れたことがある。
社会現象、時の人…そういう成功の仕方だ。
莫大な金が動く。周りの目も変わる。もちろん、悪い方にな。
結果、家族にも迷惑をかける。金目的で弟が誘拐されたこともある。
だから、そういうのはやめにしたんだ。
結果、地味なバンドのフロントマンになる決心をした」
予備知識なしでこのセリフを聞くと、「昔は一世を風靡していた人なのかな?」と思ってしまいそうですが、彼女がタイムリープ能力者であったと確定した今、これは"昔"の話ではなく、"最後のタイムリープをする前"の話だったのではないか(=今、それを知る人は誰もいないのではないか)という可能性が浮上してきます。
事実、有宇の目の前に現れたサラは、確かな作曲センスと歌唱力を持ち、来日公演ができるほどにファンを大勢抱えていますが、その知名度は一般にまでは浸透しきっているとはいえませんでした。有宇だけでなく、ジャンルも国も違うとはいえ、プロの現場で音楽活動する西森柚咲ですら、THIENDのことを知らなかったくらいです。
「いつも聴いているその音楽って何かな、と……」
「これ? THIENDっていうバンド」
「知らないな…」
「ええと…THIENDのライブチケット、ですね」
「じえんど?」
「柚咲さんは知りませんでしたか。友利さんが大好きなロックバンドですね」
「ロックじゃねー! ポストロックだ!」
また、彼女がかつて能力者であったとなると、THIENDの楽曲のひとつ「Trigger」が実に示唆に富んでいたことがわかります。以下に、日本語バージョンの歌詞を一部引用してみましょう。
脳が冴え まるで全能になった気がするんだ
有名人気取り あなたあたしを知らないの?
ここらへんをループしてる史上最強の堕天使
「Trigger」という曲名に込められたものは、引き金を引く(最後のタイムリープをする)ことで、「もう狂気の沙汰」だった自分に別れを告げる、ということなのかもしれませんね。
サラについてもうひとつ考察しがいがあるのは、能力者の中に有宇のようなダブルホルダー(複数の能力持ち)がほぼいないことを考えると、彼女の歌そのものには特殊な力は何もなかったであろう、ということです。
どうやってスターダムを駆け上がったのでしょうね? 僕の脳裏をふとよぎったものは、原作:藤井哲夫、作画:かわぐちかいじによるコミック「僕はビートルズ」でした。
「僕はビートルズ」は、ビートルズを愛してやまないコピーバンド、ファブ・フォーのメンバーがビートルズデビュー前の時代にタイムスリップしてしまい、「自分たちがビートルズの曲を先に発表すれば、本物のビートルズが自分たちの時代では実現するべくもない"ビートルズの新曲"を世に出してくれるのではないか」と考え、行動を始める物語です。当然、彼らは凄まじい才能の持ち主として一躍脚光を浴びることになります。
そしてサラは、スターダムを駆け上がれた理由を「自分の欲だけのためにズルをした」と述べています。僕は、意図は違えどサラもファブ・フォーと同じことをした可能性があるのではないかと考えています。つまり、自分しか知らない未来のヒット曲を先取りした。
そして同じことをしてしまったら最後、サラが最初に生きた時間軸ではミュージシャンとして名を馳せた人が、埋もれたまま人生をふいにしていくこともあったのではないか? そんな悲劇もまた、想像に難くありません。
だからこそ、思うのです。サラは家族だけでなく、その人たちに対しても懺悔や罪滅ぼしをしているのではないかと。最後のタイムリープをしたあとに同じことをしていなければ、その人たちは、出るべくして世に出ているでしょう。でも、それで彼女の心から罪悪感が消えるとはかぎりません。往々にして、感情は理屈だけでは計れませんので。
そして、それを知っているのはサラだけであるゆえに、彼女は自分が犯した罪を誰かに許されることは未来永劫ありえません。知らなければ、許しようがありませんので。だからこそ「Trigger」は、もっと言うならTHIENDの歌は、あれだけ聴く者の心を締め付け、惹きつけるのではないかなと思うのです。
さあ忘却の彼方へ沈めておくれ
孤独な未来からひとり手を伸ばすよ
もう分かっているよ 贖罪する日々を
いつか許される日を夢見てる
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うーん、サラがより考察しがいのあるキャラになりましたね。ただ、最後にひとつ言及しておきたいのは、「サラの素性はCharlotteにおけるマクガフィンのようなもので、作中でそれが明確に描かれていなかったからといって、物語の持つ魅力がなんら損なわれるものではない」ということです。
マクガフィンというのは、映画監督のアルフレッド・ヒッチコックが広めた("提唱した"ではありません)概念とされており、かいつまんでいうなら「ある物語や作品における、本筋ではない枝葉の要素」のことです。
1954年公開の名作映画「ゴジラ」で例えてみましょう。ゴジラは海底深くにある洞窟でひっそりと生きている怪獣でしたが、人間の度重なる水爆実験で棲み処を追われ、やがて都市で破壊の限りをつくしはじめます。
同作においては「海底の洞窟にそんな怪獣がいた理由・これまで生きていられた理由」がマクガフィンにあたると言えるでしょう。作品の根幹をなすのはそこではなく、ゴジラの襲撃で生まれるドラマや、自分たちで棲み処を奪っておきながら挙句の果てに命まで奪う人間の身勝手さ、現実における核実験への警鐘などだからです。
サラの素性も、これと似たようなものではないかと思います。もちろん、そうした要素にあれこれと想像をめぐらせるのはいいことなんです。とても楽しいですし。でも、それが明確に描かれていないからその作品がマイナス評価になるかというと、そうとはかぎらない。マクガフィンや舞台装置と呼べるものは、そういう性質のものではないかなと思います。
特定の作品についての話ではないのですが、マクガフィンや舞台装置に引っかかりを覚えてしまっている感想を見かけると、僕はいつも「この作品のメインはそこではないだろうに、もったいないなぁ」と思ってしまいます。触れる作品、見る作品を自分の好みで判断して選り分けるという意味では、何も悪いことではないんですけれどね。
今回のお話が、『Charlotte』の持つさらなる奥深さの開拓や、みなさんが何かの物語を読み解くときの一助になれば幸いです。それでは、また次回の「イスジュン」でお会いしましょう!
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