物語における「現実世界」のメタファー
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物語における「現実世界」のメタファー

2014-07-19 16:19
  • 7
 海燕さんの記事が素晴らしくて、まわりに薦めまくっているのだが、ネットを含めていまいち反応が鈍いひとのほうが多いようです。

 いろいろ話を聞いてみて、どうやら、一番多い反応は「なるほど。だからなに?」といったかんじのもののようです。
なので、今回は、「だからなに?」の疑問への解答を与えたいと思います。

 まず海燕さんの記事はとても面白いので、正確なところは各々読んでいただきたいと思うのですが、とりあえず、ぼくが面白いと思った海燕さんの記事の要点を箇条書きにしてみます。

・ 最近、「トリコ」と「HUNTERXHUNTER」とかで、いままでいた世界よりもっと広い世界=「新世界」を扱っている作品があらわれている。この「新世界」とは「現実の世界」のことなんじゃないのか?

・ 「現実の世界」とはいいかえると「主人公が保護されていない世界」である。通常の物語の世界では主人公は保護されており、ドラゴンクエストのように主人公の前にあらわれてくる敵は強さの順番に現れてくる。これはある意味で「現実」を無視した展開であり、「保護された世界の物語」である。「現実の世界」では主人公が強くなる前にいきなり絶対に勝てない敵があらわれて負けるとかいったこともありうるはずである。

・ 結論としてものすごく理不尽なことが起こりえるのが「現実の世界」であると定義できる。また、理不尽なことが起こりえる「現実世界」と「主人公が保護された世界」が物語の中で共存する場合に、「進撃の巨人」の「壁」や「HUNTERXHUNTER」の「無限海」のように明確な境界がある場合と、「まどマギ」のように境界がない、つまり世界のすべてで理不尽なことが起こりえる場合がある。「まどマギ」の場合はキュウべぇが現実世界のプレイヤーであり境界の向こうからまどかたちの世界にやってきたとも解釈できる。

・ ちなみに海燕さんは「この世界は戦場である」という感覚、つまり「ひとは保護されていない=保護されていることは幻想である」という感覚に根ざす物語を、「戦場感覚の物語」と名付けている。これはある種のリアリズムである。

 要するに物語の中で理不尽なことがおこるのが現実世界のメタファーとして機能しているということを指摘しているわけです。これは言われてみればあたりまえですが、大変に重要なことで、びっくりしました。

 だいたい評論などで、物語に登場する「なにか」の構造が現実の「あるもの」と同じであると指摘されることはよくありますが、まさに「だからなに?」と思うことがほとんどで、よくある子宮のメタファーとか、考えてみてもまあそういえなくもないけど実感として理解できないようなものが、作品の魅力にどれだけ影響を与えているのか、おそらくは、たいして関係ないんじゃないかと思うわけです。でも、この理不尽なことが起こるのが現実世界という感覚は、違う。おそらく万人が共通としてもっている感覚だと思ったわけです。これはおそらくは本能に根ざしたところにある感覚だと思うからです。

 人間が思い込んでいる平和な現実がじつは間違いで、実は危険が潜んでいるんじゃないか、そう思う本能は人間は進化の中で持っている可能性が高いと思うのです。理性ではなく本能としてきっと持っている。

 現代社会において小説やアニメ、マンガ、映画などの物語の世界にはまっているひとたちは、ここは現実の世界ではないという気持ちがどこかにあるはずです。絶えず、どうせ現実じゃないと馬鹿らしく思ったり、興味を失う圧力にさらされながら物語の世界にいるはずです。そういった中で理不尽なことが起こるという現実世界のメタファーは、いや、ここはウソの世界ではない、むしろ現実よりも現実っぽい世界であるというイメージを沸き起こす重要な役割を果たしているんじゃないか。実際に作品を作る手法のひとつとしても理不尽なことを起こすというのはよく使われるものでしょう。

 「現実世界」のメタファーである理不尽なことがおこる世界、それは作品の中に込められたエロチズムのように、ひょっとしたら本能に根ざしたものかもしれない、いずれにせよ相当に強力な手法である。そう思うわけです。

 さて、こういうことを書いていくと、物語なんてうそっぱちで現実みろよ、というのが本質であるという結論に解釈するひとがいるかもしれません。

 海燕さんのブログの後半には理不尽な「現実世界」とはなんでもありえる「自然社会」のことであり、物語の世界とは人間の願望のオブラートのようなものでしかないなどと喝破しているわけですが、そのうえで人間の夢と希望と願いが込められた物語の世界を賞賛しているのです。ぼくも海燕さんと同じように思います。ぜひ、読んでみてください。

以上


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海燕か…批評のやろうとしてるリアリズム観の、日本製アニメやラノベへのひっつけ方はある種強引なものがあるから注意した方がいいと最近は思っている
なんでそれがぱっとしないって、現実がそもそもそうじゃない場合や別の方法で現実を表現したものなんてアニメにも漫画にもゲームにもいくらでもあるからだ。それじゃあ「けいおん!」や「らき☆すた」のような日常はどうなのかって話になる。
んでこの線の議論を回避するために、かれらは「日常系」なる言葉を使ってこれらを「分類」する。分類しとけば例外としてやってきてもいくらでも論の中にあてはめられるって話になるから。当然、そういう分類は恣意性を孕む。それじゃ「サザエさん」「ちびまる子ちゃん」はどうなのか、って言いだせば、今度は世代論的なヤツが飛んでくる。
「現実(リアル)」という位置づけの意義が有効なのは西洋の文学あるいはその影響をモロ受けして引き継ごうとしてる日本文学までだと思う。それは時代ごとの人の関心だったりで変化するもの。写実だったり印象だったりシュールだったり、いずれも「リアリズム」なのは、そういう写感性があるからなんだけど、日本の漫画が個性にあふれてるのはそういう写感性を無視していろんなジャンルが作られてるからでしょ?そういうところがホントの意味で「だから何」の原因だと思うし、其処に応えるためには一定の批評家の発想にとらわれてみてちゃ危険だと私は思うのだけど、どうなのだろうか。
62ヶ月前
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>>1
んー。文系ってこういうかんじの議論をしたがるイメージ。

定量的な視点を伴わない定性的な指摘をこれはどうだ、あれはどうだと、たくさん重ねてもなにかの意味を持つ結論に到達するとは思えないんですけど。

ぼくが海燕氏のブログでの指摘が素晴らしいと思うのは、それが一般的な読者が作品から受け取るメッセージとして実際に効果的なものであると思うからです。

なんで文系のひとってこういう思い込みの羅列をおそらくは自分では論理的な文章だと信じて書けるのかが不思議。

なにがいいたいのかさっぱりわからん。
「日常系」?、「分類」?、世代論的?、「現実(リアル)」?、有効なのは西洋の文学かそれの影響を受けている日本文学まで?なんだか自分でも定義がはっきりしていない用語をイメージだけで並べ立てるんだよね。


イメージ
62ヶ月前
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海燕さんの記事読みましたが、周りが反応が悪かったのはある意味納得したからではないでしょうか。
私自身「ふーん」て感じでした。ま、そうだよなという感覚で。
62ヶ月前
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方言(専門用語)は村の中で使うものだということがわからない人がいるみたいですね
62ヶ月前
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物語をする時に、あるていど制約を設けないと、なんか、
ほかの人たちに変な影響を与えるんじゃないか・・・と、
不安になることもあります。語りたいことを全部、作品に
ぶつけちゃうと、つくったあとが大変なことがよくある。
まあ、それをお商売にするとなると、余計気にしますねぇ。
・・・あんま感想になってなくてごめんなさい|д゚)
62ヶ月前
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あと、これを考えていくと、「ポケットモンスター」っていう
ゲームは、その辺がリアルでしたねぇ(笑) 主人公が負けると、
「めのまえがまっくら」になって、所持金が半分くらいどっかに
いっちゃいますからねぇ・・・。( ゚Д゚)で、気がつくと、なぜか
ポケモンセンターにいる、という・・・wwwww
負けることも認めていたというか、想定していたゲームでした。
62ヶ月前
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かわんごさんのコメントが逆に海燕さんの主張を否定しているような。海燕さんの記事は思い込みで書いてるから駄目だと言われているので。文系批判は同時に海燕さんの批判になるという罠。
文系理系という括り方は好きじゃないけど理系的なデータで物事を見る人程、海燕さんに噛みついていると思う。
62ヶ月前
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