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  • 今、何時?

    2021-06-11 19:31

     始まりは一月、年が明けて間もない日の話なんだけど。新年初めての講義の後、ちょっと暗くなった駅のホームで電車を待っていたのね。ホームにある電光掲示板は16時56分を示していた。家から大学まで嫌がらせじみた遠さだから、あーつかれた、電車で帰るのめんどくせえなんて思いながら、携帯電話をいじっていたわけ。寒かったから、指先がタッチパネル対応になっている安物の手袋を着けていた。

     そうしたら背の低いおばあさんがひょこひょこ近付いてきて時間を聞いてきたんだよね。その時はちょうど17時になったところだった。ちゃんと答えたけどさ、でも、見えるところに時計があるんだよ? 何でわざわざ聞いたのかって思ったんだけど、まあ気付かなかったのかなってんで、適当に自分の心に居り合いつけてようやく来た電車に乗ったんだよね。その電車で変な奴がぶつぶつ言ってるし、出入り口に陣取っているおやじはにやにや笑ってるしで、気味悪かったんだけど、まあ、それ以外には別段何もなく家に着いた。

     そんで次の日。その日は講義が遅くまであるんで憂鬱だったんだけど、その講義自体は嫌いじゃないから少し早めに教室に行って待ってたわけ。いつも一緒に講義を受けている奴は予鈴が鳴り始めてから入って来たけど。そんでそいつが珍しく腕時計を忘れたってんで、時間を聞いてきたから教えてやった。センセイが遅れてたこともあって、17時だったな。そうしたら、そいつはセンセイがなかなか来ないことをいいことに、怪談を話し始めやがったんだ。大学に来てまで、トイレで老婆の幽霊を見たとか何とか言ってやがんだ。俺はうんざりしちまったよ。

     そんでさらに次の日。その日は資料探しだけだったんだが、午前中から粘って、結局16時までかかっちまった。それから、マンガを立ち読みしたりしながら、その前々日と同じ電車を待っていたわけ。そうしたら、またあの婆が、時間を聞いてきやがるからよ、そこに時計があるよって教えてやったんだよ。その時も、17時だった。そしたら婆は、恐縮そうにお礼を言うと、どこかに行っちまった。

     そのさらにさらに次の日。俺は、ちょっと遠出して買い物に行ってたんだ。んで、俺は車の運転はできないから、電車でそこまでいっていて、慣れないホームでやっぱり携帯電話をいじってたわけ。そうしたら、なんと! またあの婆が現れて、時間を聞いてきやがるのよ。それも17時ちょうどに。俺は面食らいながらも、時間を教えてやると、やっぱりお礼を言ってその婆はどこかに行っちまったけどよ。でも、信じられねえだろ。こう何日も続けてってのはもちろん、その駅は大学の最寄り駅から、電車で1時間半以上かかるんだぜ。もちろん、俺の家からはさらに遠い。俺は気味悪くなってな、でもどうしようってんだ? 相手は時間聞いてくるだけだぜ。だから俺は次の日は家に引きこもってることにしたんだ。そうすりゃ他人に話しかけられる事なんかありゃしないってな。

     そうしたら、携帯電話に電話番号非通知で連絡が来た。普段知らないやつからの電話なんか一切取らないし、ただでさえ気味の悪い目に遭っているというのに電話を受けちまったんだよ。表示をスワイプして通話が始まった瞬間に後悔したね。案の定あの婆からだった。時間は17時。いったいその時間に何があるって言うんだ。

     もう、その時にはまともじゃないのは明らかだったし、何なら人間を相手にしているとも思っていなかった。時間を教えるだけで相手が納得してくれるなら、そいつになるべく関わらないように、刺激しないようにするしかないと覚悟を決めたよ。

     それから4カ月、あの婆も飽きもせず俺に時間を聞いてくる。俺は未だに慣れないが、とにかく時間だけ伝えて余計なことを言わないように気を付けている。いつか婆が現れなくなる日を願って。


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  • 人魚の骨

    2021-06-04 18:39

     人魚の肉は不老不死の効果があるという。

     数年前、とある知人が人魚の骨だと言って背骨らしき骨の一部を見せつけてきた。気まぐれに出汁を取ろうとして購入した冷凍された豚の背骨と違いのない形状だった。違いといえば、豚の背骨は出汁が取りやすいように真ん中で切断されていたが、知人が持っていた骨は切断されていなかったという程度だ。雑に布に包まれているその骨を、そいつは本当に人魚の骨だと信じ込んでいるようだった。どうやって手に入れたのか聞いたところ、骨董品店で購入したと素っ気なく言った。私は悪質な骨董品店で騙されて豚の骨を買わされたのではないかと思った。いったいいくら騙されたのかと思ったが、知人は入手の件はもういいから、という。

    「それより、人魚の骨を粉末にして飲んだら不老不死になると思うか」

     私は何を言い出すのだと呆れ果てたが、知人はどうやら本気のようだった。私はそこでもうこいつとこれ以上関わってはいけないと感じた。答えをはぐらかそうとする私に、しつこく食い下がって、効果があると思うか問い詰められ、私はつい、効果があるんじゃないかと言ってしまった。

    「そうか、やっぱりそう思うか」

     私の答えに満足したのか知人はそれから骨を大事そうに仕舞うと、そそくさと帰っていった。恐らく、私の民俗学的知見をあてにしたのだろうが、人魚についてどのような話が語られているかどうかはともかく、実際に効果があるかとなると民俗学よりも医学薬学の領域になるから、私に判断がつくわけがない。仮に効果があったとして、一人の人間がいつまでも老いずに生き続けているのなら、有名になっていてしかるべきではないだろうか。すなわち前例が報告されていないという事は効果がないか、人魚など存在しないという事だ。私は彼に悪いことをしたかなと思ったが、同時に腹も立った。

     あの手の人間はどうしてこう、一問一答で自分の欲しい答えが見つかると考えているのだろうか。白黒がはっきり分かれる問題など世の中にそう多くはないというのに。

     それからしばらくして、とある個人宅に保管されていた人魚の骨が紛失したという噂を聞いた。他県の漁業で成功した一族の末裔で、代々受け継いでいたものなのだそうだ。

     私はそれを聞いて、例の知人が持ってきた骨を思い出した。知人は漁業とは何の関わりもないから、盗品をつかまされたかと推測したが、その骨が同一の物とは限らない。とはいえ、好奇心が疼いた私は人魚の骨を保管していたという一族について調べ始めた。

     一族の先祖は江戸中期人魚が網にかかっていたのを水揚げしたのだという。人魚は既に弱っており、人語を解しなかったものの、美しい容貌に惚れ込んだその漁師は大きなたらいに水を張って看病した。だが、見る見るうちに弱っていく人魚に成すすべなく間もなく物言わぬ骸となった。人魚の死を悲しんだ漁師は庭に墓を作って、毎日死を悼んだのだという。それからというもの漁師は不漁に悩まされることなく、漁に出れば必ず大漁旗を掲げて帰ってくるようになった。漁師は人魚の加護があると考え、子孫たちに自分が死んでも人魚の供養を毎日欠かさずにするようにと言いつけた。

     やがて時代が変わり、明治初期に漁師の子孫が家を移すにあたり、墓を移動しようと掘り起こしたところ人魚の骨が本当に出てきたために仰天し、それ以来、骨を家宝として大事に保管していたのだという。

     人魚の骨は経年による影響を受けておらず、完全な状態であることから学者はどこかで入手した人骨とイルカの骨を合わせたものか、全くのまがい物だろうと評価した。人魚の加護を信じている一族の代表が詳細な検査を拒否したことも骨が偽物ではないかという推測に拍車をかけた。

     盗難にあったのは12個ある胸椎のうちの1つだという。まさか、同じような骨が連なる背骨の一部なら抜き取ってもばれないとでも思ったのだろうかと考えたが、さすがにそこまで馬鹿な話はないだろうと私は一人かぶりを振った。

     結局その後、人魚の骨が戻ったという話は聞いていない。あれ以来知人とも会ってはいないが、不老不死になったのかはわからない。SNSを見る限り生存しているようだが、不死というのはその現象の性質上、今のところ死んでいないという事に他ならず、未来永劫死なないという保証はどこにもないのである。


  • 本当の怪談

    2021-05-28 17:54

    「ほんとうに体験した怖いことは人に話してはいけないよ」

     ぼさぼさの長い髪、胡乱な目、袖や襟元がのびきって何か所かにほころびのある服。何故その胡散臭い男と話をすることになったのか、少年は覚えていない。いつものようにぼんやり下校しているところを、男から声をかけられて、ぼんやりとついて行って、神社へ続く石段の一段目に座って話を聞いていた。何故ついて行ったか、覚えていないのも当然だ、何も考えていなかったのだから。

     その男はこの神社は由緒正しい神様がおわすから、困ったらここに神頼みに来ると良いだの、2丁目の事故の多い交差点は地縛霊がいるから近付かないほうが良いだのと、少年に注意を促すような話を取り留めもなくしていて、その中の一つが本当に体験した怪談を人に話すな、ということだった。

     少年は、その忠告が真実であれば、世の中で語られている怪談は全部嘘なのだろうかと疑問を持った。

    「僕は怪談とかは苦手だな。怪談を話している人なんかたくさん居るけどそれはいいの。人に話したらどうなるの」

    「まあ、まて。質問をそういくつもしなさんな」

     怪談師と呼ばれる怪談を人前で語ることを生業とする人々でも“この話は避ける”というものがあるらしい。怪異、バケモノ、幽霊、呼び方は様々だが、他人からその話を聞いて知ってしまっただけで霊による災い、すなわち霊障を引き起こすことがあるのだ。単に怪談を語る会場で照明が不自然に点滅したり、音響にノイズが混じったり、頻繁にハウリングが起こり怪談どころではなくなるというだけなら運がいい。帰り道に事故に遭ったり、怪談を聞いてから一週間も寝込んだりという身体に影響する被害もあるという。

     実際に不幸が立て続けに起きる事と、怪談を聞いたという事の因果関係を証明することは困難だ。とは言え、因果関係を証明することが出来なかったとしても、因果関係を否定する根拠があるとは限らない。もしかすると、と不安に思いつつも恐らく関係ないだろう、と人々は自分に言い聞かせる。

     全ての怪談が恐ろしい災いをもたらすわけではないが、触らぬ神に祟りなしという言葉もある。日本では妖怪や鬼、神様の基準があやふやになっていることがあり、”人間の力が及ばない何かよくわからない恐ろしいもの”という広い意味での神々が、人を守るだけでなく祟ることがあると考えられている。だから、必要もないのによくわからないモノに接触しない、話題に出さないに越したことはないのだといった。

    「しかし、ね」

     男は悲観的な視線を少年に向け、人は自分だけが知っていると思うものを話したがる生き物なのだ、という。その男は、重要なのは自分が本当に体験したかどうかという事だ、と念を押した。恐怖体験をもたらした何か悪いものが憑いたまま人に話してしまうと、それが相手に乗り移ってしまうかもしれない。だからこそ多くの怪談は人から聞いた話としてや、仮の名前を付けて語られているのだろう。

    「怪談を話すことが良い事とは言えない。でもどうしても話したいときには、できるだけ相手に災いが降りかからないように工夫して話すんだ」

     話は終わりだ、と男は立ち上がった。少年は今まで散々怪談じみた話を男に聞かされたことを思い返して、釈然としない気持ちを抱いた。

    「ねえ、おじさん」

     男は既にフラフラと歩きだしていた。少年は遠慮がちに男の後を追いながら何度か呼び掛けたが、男は振り返ろうともしない。やがて人の往来がある歩道に差し掛かると、角を曲がってきた自転車と男がぶつかってしまい、男はよろけた。そして、男は倒れ込んだ拍子に頭を強く打って死んでしまったのだった。人々はこんなことで人が死ぬことがあるのかと不思議がった。