腹の虫
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腹の虫

2020-10-30 19:57

     私の小学校からの友人Fの話です。

     Fとは、高校まで同じ学校に進み、大学も同じ県内だったので、進学してからもちょくちょくあっていました。Fは国立大学、私は地元では有名くらいの私立大学で、Fの方がかなり頭はよかった上に、趣味も違うというのに、不思議と気が合うので、同じ趣味を持っている別の友人よりもよく遊んでいたかもしれません。

     ある日、学校が終わってから酒でも飲もうということになり、駅前の居酒屋で待ち合わせました。私が講義を終えて居酒屋にたどりつくと、Fはすでに飲み始めており、機嫌が悪い、というよりはやけになっているようでした。もともとFはどちらかというと傷つきやすいたちなので、何かあるたびに自殺をするというたぐいのメールなどを送ってきていて、そのたびに私は驚かされていたので、また女性にでも振られたのだろうと予想しました。

     そして案の定、Fの悩みは女性に袖にされた事でした。どうやら以前3年ほど付き合った事のある女性に、復縁を申し込んで断られたそうなのです。私は、Fが先月も同じ大学に通っていた他の女性と別れることになったときに、自分を変えるために禁煙をすると言い始めたことを思い出し、まあ、冗談で次はダイエットでも始める気かと言ってやると、Fは酔った勢いもあってか、そうすると頷いたのです。確かにFは部活をやっていた高校のころから比較すると、ずいぶんと肉付きが良くなっているようだし、それで気がまぎれるならば実に健康的なので、私は応援するよといいました。とはいっても、Fは根気がある方でもないので、どうせまたすぐにあきらめるだろうと思いながら、話題を変えました。

     それから1週間後、久しぶりに映画でも見ようという話になり、昼ごろにFと再び会うことにしました。そして、喫茶店でコーヒーを飲みながら待っていると、それほど間をおかずにFはやって来ました。向かいに座ったFは随分と顔色が悪く、頬がこけており、痩せたというよりはやつれたと形容すべき様相だったため、私はFにどうしたのかと尋ねました。すると、Fはあれからほぼ毎日断食をしているのだといいました。私はまた、Fらしい愚直な方法をとったものだと思いながら、ダイエットの方法を変える事を勧めました。しかしFは、それを断り、コーヒーを注文しました。水分が唯一の栄養源なんだなどと自慢げに言いながら、Fがコップを傾けると、どこからか、苦い苦いと声が聞こえてきました。私はFが言ったものと思い、無理をしてコーヒーを飲まなくてもいいではないかとFを笑いました。しかし、Fは不思議そうな顔をして、コーヒーをすすり続けました。

     映画を選ぶのに少々もめましたが、私はポップコーンを、Fは何も持たずに館内の椅子につきました。休日だというのに人はまばらで、ちょっとした貸し切り気分を味わうことができました。映画が始まってしばらくして、隣に座っていたFが、とうとう我慢が出来なくなったらしく、私の手元にあるポップコーンのカップに手を伸ばす気配がしましたが、私は黙認しました。Fの心中を察したというよりは、映画に集中したかった、というのが理由でしたが。そしてFがポップコーンを口に運んだと思われるタイミングで、突然苦しみ始めたのです。まるで腹の中で何かが暴れているような様子で、あまりの痛みに全身が緊張し呼吸が難しくなっているようでした。口を大きく広げ、何かを吐き出そうとしていましたが、何かが出てくる様子はありませんでした。そのうち映画の登場人物のセリフの隙間から、何かの言い争う声が聞こえてきました。

     数人しかいなかった客も異変に気づいたらしく、スタッフへの通達をかってでてきてくれました。周りに人が集まり始め、言い争う声も大きくなってきました。しかし、どうも何かが言い争う声は周囲の人が発しているものではないようなのです。Fはとうとう意識を失ったようでした。そしてひときわ大きな甲高い声で、それは俺のだ! というのが聞こえました。私は驚いて、周りを見回しましたが、他の人も驚いた様子でどこから聞こえたのかときょろきょろしていました。やはりやつから聞こえたものだと考え、Fに視線を戻すと口から血を流し始め、得体の知れない声も聞こえなくなっていました。そしてFは誰かが呼んだ救急隊員に、運ばれて行きました。

     信じがたいことにFは次の日にはけろっとして、映画の続きを見るなどと言い出し、私は再び呼び出されました。実際にFにあってみると、まだ頬はこけていましたが、すっかり上機嫌で私の矢継ぎ早の質問を、別に大したことなかったの一言で片づけました。しかもその上、映画館で倒れた事を復縁し損ねた女性に報告したところ、気の毒に思ったその女性がまた付き合ってくれることになったなどとのたまったのです。

     死んだ人間であれば、解剖して胃から何か出てくるか確認のしようもあったのでしょうが、生きている人間は常にものを消化し代謝を繰り返しているわけですから、一時的に胃の中に入っていた何かの正体など知る術はないのです。


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