雨女
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雨女

2020-11-06 18:23

     何年か前のコンビニ帰りの夜道のことだけどよ。その日は雨が降っていて、俺は傘をさして歩いていたんだ。時間は深夜0時を回っていたがまだやりかけのレポートがあったので、その息抜きがてらコンビニに夜食を買いに行っていた。コーラ1.5リットルに、特用ポテチをビニール袋にぶら下げて歩く帰り道は随分と気が重かった。用語の定義とか、言葉遣いの正確さに厳しい教授の授業で出された哲学概論の課題だったから、ほんの2、3ページのレポート作成が一向に進まなかった。煙草に火をつけたものの、気が晴れることはなくってさ。

     吐き出された煙が傘から外へ出ていくのを眺めながらしばらく歩いていた。そのうち、タバコは燃えきってしまったが、まだ家につかない。

     一応言っておくが、路上喫煙が禁止されている地域ではないし、ちゃんとポケット灰皿に灰は捨てているから。

     コンビニから住んでいる安アパートまで片道15分はかかる。だからこそ、俺も気分転換にちょうどいいと思って、徒歩でアパートから出て来たんだ。だというのに、アパートまでの途中にある、住宅街の道がなかなか縮まらない。同じような家が立ち並んでいて、引っ越したばかりのころは昼間に迷うこともあったが、今はもうそんなことはない。

     タバコは3本目を数えていた。俺はレポートがあるから、それが嫌でこんなに道のりが長く感じられるのかと考えた。だが、やはりおかしい。ちょっとの時間で帰るつもりで出かけたから、スマホも腕時計も持ち合わせていなかった。ポケット灰皿には、2本分の吸い殻、大分ゆっくり吸っていたから、15分は経っていてもおかしくはない。さらにいえば、コンビニから出て、しばらくしてから吸い始めたから、そこまで20分は経過していたと思う。

     その辺りから、俺はちょっとうろたえ始めた。20分もたっているのに、いつもの5分ぶんくらいしか進んでいない。周りの家はしんと静まり返っているし、一定の間隔で立っている街灯はところどころ電球が切れかかって明滅しているもんだから、ものすごく頼りなかった。

     別の道に曲がってみたりもしたんだが、大きな国道に出てしまって明らかに家から遠ざかっていたので引き返したりと、とにかくうろうろと歩き回っていた。

    そのうち雨も弱まってきて、結局あきらめてまた住宅街の道を進んでいたとき、向かいからハイヒール特有の鋭い足音が聞こえて来たんだ。どうやら女らしい。
     弱くなったはずの雨音がまた、強くなってきたようだった。

     俺はこんな時間に駅や繁華街から離れている住宅街をハイヒールで闊歩するそいつが気になったが、この暗闇の中で見知らぬ大柄の醜男が見つめていたらブキミだろうと目を合わせないように下を向いていた。というか、露骨に避けられて逃げるように走りだされても面白くない。しかも、いい年をして歩きなれたはずの道で迷子になっているという気恥ずかしさが、何事も無いように振舞わなければいけないと自分に思い込ませていた。相手にそんな自分の状況が分かるはずもないことは、頭の片隅ではわかっていた。わかっていてもできないことはある。

     俺はビニール袋の取っ手が食い込むのを感じながらそのまま歩いていたら、足音がゆっくり近づくにつれて雨の音がやたらと強くなっていくのに気付いた。これはおかしいってんで、煙草をくわえたまま、視線を上にあげ、すれ違いざまにその人をみたんだ。そいつには雨が降っていたんだ。

     たまたまその女の頭の上に雲の切れ目があったったんじゃアなくて、そいつの傘の内側から、女めがけてものすごい勢いで水滴が降り注いでいたんだ。ここら辺の雨が全部そこに集まってきてるんじゃねーかってくらいの勢いだ。……そりゃ滑稽に聞こえるかもしれねーよ。でも真夜中にそんなのに遭遇したら、とてもじゃないが笑っていられない。そんで、俺がたばこを落としたことに気付かずに、そいつが去っていくのをつい見つめていると、傘から降り注ぐ雨のせいでぼんやりとした人影が見えるだけだったが、そいつは足を止めて、俺の方をふり返ったんだ。雨のせいで目が合っているのかどうかもわかりゃしなかったが、すぐにそいつは何事もなかったかのようにまた歩き始めたよ。俺はその女が、道の角を曲がって見えなくなるまで、ずっと視線を外せなかった。

     俺が我に返った時にはすっかり雨は上がっていて、雲が晴れ始め、月が見えかけていた。

     そして、それまで迷っていたのが嘘のようにアパートにたどり着くことが出来たんだ。


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