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幸福への儀式
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幸福への儀式

2021-01-22 20:55

     瀬谷は古書店でのアルバイトの帰り道、駅前で笑顔を顔に張り付けた2人組に声をかけられた。

    「あの、突然すみません。お疲れのようですが、何か悩み事などありませんか」

     確かに瀬谷は現在住んでいる安アパートで奇妙な八本足の怪物を目の当たりにしてから、未だ居るかどうかわからないが大声を上げて追い払うということを欠かさずしており、気が休まらない日々を送っていた。疲労のかさむ脳髄で瀬谷はああ、宗教の勧誘か、と勘付き、蔑みに似た視線を向けた。

     髪を丁寧に整えた中肉中背で中年の男性と、男性より年配に見えるふっくらした体型の女性は、相変わらず笑顔を崩さずに瀬谷の返答を待っていた。

    「いや、別に」

     瀬谷はそっけなく返答すると、さっさと立ち去ろうとした。実態はわからないが、それがわかる程深入りするとろくなことにならないだろう、というのが瀬谷の宗教勧誘に対する考え方だった。2人組はお話だけでも、と言いかけたがすでに歩き始めた瀬谷を強引には引き留めず、笑顔を崩さずに見送った。

     数日後、また駅前にあの2人組がいたが、スーツ姿のサラリーマン風の男と会話を弾ませており、瀬谷には気付いていないようだった。2人組の後ろには配布するためなのだろう小冊子を展示するラックが新たに置かれていた。瀬谷は側を横切った際に、悩みや迷いを解消するとか、一人で悩むとよくない、救いがどうとかいう話を小耳にはさんだ。瀬谷は昨日話を聞かなくてよかったと感じたが、サラリーマン風の男は半信半疑ながらももう少し話を聞こうとしているようだった。瀬谷は2人に気付かれないようにと祈りながら立ち去った。

     それからしばらくして、駅前でまた宗教勧誘している光景を目撃した。瀬谷は盗み見るように視線をちらちらと向けると、年配の女性と、以前勧誘されていたサラリーマン風の男性がラックの側に立って、街行く人々を笑顔で見守っていた。サラリーマン風の男はスーツ姿ではなく、チノパンにオックスフォードシャツ、薄手のカーディガンを着ていたが、ずんぐりむっくりした体型と厚ぼったい瞼、目元にあるクマのような太田母斑は間違いなく彼だった。瀬谷は、結局彼は疑うようなそぶりを見せながら入信したのか、と思った。その日、アルバイトが休みだった事や、女性関係のトラブルで遊びにいくのを避けていて暇をもて余していた瀬谷は、その男をからかってやろうと近づいた。

     傍らの女性は素っ気ない態度をとった瀬谷を覚えてはおらず、口角をあげて微笑みかけた。

    「パンフレット、もらってもいいですか」

     男はどうぞどうぞと、長身の瀬谷から後頭部が見えるくらい頭を何度も下げながら、小冊子を渡してきた。

    「何か悩み事があるんですね」

     キリスト教をベースにした新興宗教のようで、小冊子には責めさいなまれるイエス・キリストの様な男性を主役にした油彩画がプリントされていた。

    「いや、まあ」

     曖昧な返事をする瀬谷に言葉を窮した男に、年配の女性が助け船を出す。

    「わかりますよぉ、人に言いにくいものですから、悩み事と言うのは。私たちはそういった方々の心に寄り添って、幸福への道を一緒に探すお手伝いをさせてもらっているんです。いかがですか、私たちの集会を見るだけでも。こちらの古山さんは、実際に集会を見て入会なされたんですよ」

     古山と紹介された男は、自分も何か言わなければと思ったかのように言葉を付け足した。

    「強制されるものなどはありませんのでご安心ください。自分は救われたと言いますか、こう、長年悩んでいたことが、すっと軽くなったようで、日々を楽しく過ごせるようになったのです」

     瀬谷はそんな話を聞きながら、古山の手首に巻いてある仏教で用いられるような数珠やら、首から下げているキリスト教のシンボルと思われる十字架やらちぐはぐな装飾品が気になった。

    「この、数珠はもともと古山さんが持っていたものですか。小冊子を見ると、キリスト教の様ですが」

     古山は興味を持たれたのが嬉しかったのか、目尻に余計にシワを増やして話した。

    「実は自分は入ったばかりで恐縮なのですが、幸福への儀式に……」

     年配の女性がそれを遮った。

    「我々は、神道を起源として、数々の宗教の教えを取り入れた全く新しい宗派です。数珠は選ばれた人しか手に出来ない稀少なパワーストーンで作られたもので、古山さんは特別にお持ちになっています。お入り頂いてもすぐには手にできませんよ」

     瀬谷は一気に胡散臭くなったなと感じた。見ると年配の女性から笑顔が消え去り、何かを警戒しているようだった。瀬谷は彼らの言うことが滅茶苦茶で、どこがどう破綻しているか考えるのが面倒くさくなり、小冊子だけ貰って帰ることにした。人々は相変わらず忙し気に彼らの目前を横切っていた。

     瀬谷はアルバイト中、途中で遮られた古山の言った幸福への儀式、と言う言葉を思いだし妙に気になりだしたが、それ以来彼らの姿を見ることはなかった。

     それから数ヵ月が経ち、アルバイト先の古書店店主が瀬谷に新興宗教絡みの集団自決の話題を持ちかけた。

    「まだニュースにはなってない様だがよ、駅南に本部ビルがある新興宗教の連中が何かの儀式で集団自決したんだってよ。この時代にそんなことがあるとはな」

     瀬谷は儀式という言葉にギクリとした。帰り道、珍しくキオスクで夕刊を買うと、もうすでに死亡した人たちの身元は判明しており、死者17人の名前と、自殺幇助か殺人かはっきりしていない様だが、責任者の名前が掲載されていた。

     死者には古山忠博という名前が含まれていた。それがあの男かははっきりとはわからないが。


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