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見間違い
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見間違い

2021-06-18 18:51

     その時僕は、慣れない都会のある駅のホームで電車を待っていました。あの男性もそんな電車を待つ一人だったのですが、ホームにつくまでの間、ずっと僕の手前を歩いていたのでよく覚えています。その男性は僕と離れた場所に立って、ぼうっとしていました。少しくたびれたスーツを着て、髪はうっすら茶色がかっていました。他にもたくさん人はいましたが、彼は何か、負のオーラが漂っていたとでも言うか、特別周囲から浮いて見えました。実際何度もため息をついていましたし、何かがうまくいっていないことは明らかでした。

     僕は友人から連絡があったので、その対応を始めました。いくつか愚痴を含んだ文章を送り終えて携帯電話のスイッチを切ると、視界の端にゴールデンレトリーバーくらいの大きさの黒い影が動いたように感じました。四つ足で移動していましたが、前足が浮きがちに歩く様はサルのようでもありました。一体何なのか確かめようとしましたが、辺りにそれらしい影は見当たらず、見間違いかと思ったのです。ところがその瞬間に、先ほどのスーツの男性が突然片足を線路側につきだし、まるで計ったように入ってきた電車に巻き込まれてしまったのです。僕は彼が足を引っ張られていたようにも見えましたが、警察の方には言わないでおきました。だって証拠もないのにそんなことを言って、変人扱いされるのはごめんですし、単なる見間違いに過ぎないと思います。不幸な列車事故です。道端に白い兎がいると思ったらただのビニール袋だったという類の話です。一瞬奇妙なものが視界に紛れ込んだとしても、実態がない以上すぐに消えるか正常な認識に修正されるのです。

     5月末、友人と旅行に行こうという話になりました。友人の運転する車の助手席で束の間の沈黙にヘッドライトに照らされるアスファルトを眺めていました。梅雨を思わせる大雨が降っていて、路面は水浸しでした。すると、水に濡れるアスファルトの中を細長い蛇のようなものがとても追いつけないような速さで泳いでいったように見えたのです。友人は見えなかったらしく、左折のため方向指示器を点灯させました。僕はいちいちそんなものが見えたと言うのも馬鹿らしく、口には出しませんでした。左折しようと友人がハンドルを切り始めた瞬間、直進方向の前方で大きな衝撃音が鳴り響きました。友人は事故かな、と驚いたようにつぶやきました。僕は相槌を打ちましたが、宿泊先である民宿にチェックインをする予定時間を過ぎていたので、わざわざ事故の様子を見に行くようなことはしませんでした。

     19時を過ぎてもまだ辺りが薄ら明るい季節に、周囲4件を巻き込む大火事がありました。私はと言えば晩御飯をどうしようか考えあぐねて自転車でうろうろしていました。コンビニで何か買おうか、外食で済ませてしまうかと考えていると、消防車のサイレンがドップラー効果を伴って走り去ったのです。その行く先には鮮やかなグラデーションを描き暮れなずむ紺青の空を照らす大火が見えました。僕は誘われるように自転車をそちらへ走らせました。傍から見ればそこらの迷惑な野次馬の一人にすぎません。燃えている家屋の輪郭が明確になるころ、僕の視線は放水される2階建ての民家の屋根付近から飛び立つ巨鳥のシルエットに奪われました。うわあ、と間抜けの様な声を発しながら火の巨鳥が飛び立ち雲散霧消する一部始終を目撃していましたが、周囲の人々は消火活動に夢中でそれに気づいた様子はありませんでした。

     僕はいつしか見間違いや錯視に異様に関心が向くようになり、神経をすり減らしながら生活するようになりました。因果関係があるとは思えませんが前後に事故が起きた見間違い以外にも、落ち葉に紛れて風に流される人型の何か、視界の端にちらつくこちらの様子を窺うような視線など、数え上げればきりがありません。そのうちのどれが見間違いで、どれが実在するものなのか、僕には断言できる自信がありません。もし実在するとしたら、それらの実在を実感できる瞬間は僕たちが何か害を被った時だけなのです。それが死に直結するものではないと言い切ることなど可能なのでしょうか。


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