一九八六年(昭和六十一年)の春、西の祖父が体調を崩し、町立病院に入院した。肝硬変だった。西の祖母は、毎日祖父の病室で付き添っている。
私も毎日学校帰りに病院へお見舞いに寄った。祖父の肌は少し黄色っぽくなったように見えたが、私が祖父の病室に顔を出すと、喜んでベッドから起き上がり、売店までいっしょに歩いてお菓子を買ってくれた。
喫煙コーナーの長椅子に腰掛け、祖父は懐から取り出したセブンスターを吸った。しかし、そこには煙草を吸うときにいつも浮かべる美味しそうな表情はなかった。どこか物悲しい顔に見えた。
「具合はどうなの?」
「まあ、ぼちぼちだな」
そう言って目を伏せた祖父の顔が寂し気で、私の胸はざわざわと騒いだ。私は表情を硬くして訊いた。
「煙草は吸っても良いの?」
「いかんだろうな。よし、行こうか」
祖父は吸っていたセブンスターの火を灰皿の中で揉み消し、腰を上げた。
「ねえ、おじいちゃん、もうすぐ退院できるんでしょう?」
病室へ帰る廊下を歩きながら、私は訊いた。
「どうなんだろうな」と、祖父は力なく黙りこんだ。
「今年の夏休みも、いっしょに旅行できるでしょう? 入院して治療したら元気になるんでしょう? 大丈夫よね?」
その私の懸命な口調がおかしかったのか、祖父は頬を緩めて私の頭を撫でた。でも、言葉はなかった。
病室では、祖母がりんごの皮を剝いていた。祖父がベッドに腰掛けて、フォークに刺したりんごを口に運んだ。しゃりしゃりと良い音がする。私も食べた。蜜が入った甘いりんごだった。
「美味しいからおばあちゃんも食べたら」と、私は祖母に勧めた。三人がりんごを咀嚼する音だけが、病室に響いた。三人の頭の中は、祖父の病気のことでいっぱいなのに、何も言えずりんごを齧ることで忙しいふりをしているようで切なかった。
私が六年生になると、腹水が溜まった祖父は釧路の病院へ転院することになった。その週末に私達は家族全員で釧路の病院へお見舞いに行った。立派な設備の大きな病院であることに、祖父の容体の悪化が窺い知れた。
看護婦さんが案内してくれた病室のベッドに、祖父は静かに眠っていた。ベッドの脇に置かれたスツールに座っていた西の祖母は、私達に気付くと、すっと立ち上がり、
「談話室に行きましょう」と促した。