海部俊樹首相が退陣し、宮澤喜一内閣が発足した十一月、私は十七歳になった。

平日だったけれど、徹さんは、オーボンヴュータンのデコレーションケーキを手に、会いに来てくれた。

彼は町の温泉ホテルに宿を取ったので、祖母には、誕生日だから今日は実家に泊まると言っておいた。

朝から祖母は、家中に甘い香りを漂わせてケーキを焼き、

「スポンジが冷めないと生クリームが溶けてデコレーションができない。困ったわねえ」

と、団扇であおいだりしながら何とか仕上げ、蠟燭にに火をつけ、私に吹き消すように言った。ケーキをナイフで切り分けると、真っ先に仏壇に供え、

「寛治さん、花菜が十七歳になりましたよ」

と言って涙を流し、私にケーキを食べさせるのをすっかり忘れて読経を始めたので、私は自分で皿に盛って一切れ食べた。

 私は二カ月で五キロのダイエットに成功していた。

 祖母は、ダイエットに反対だったが、何とか説得し、主菜の量を減らし、野菜を多目に薄味のおかずを作ってもらうことで妥協を図った。

誕生日のプレゼントを取りに来なさいと母から電話がきていたので、祖母に実家に帰ると言った手前、寄るべきだろうと思い、久し振りに実家へ寄った。

 妹達がミスター・ビーンを見て笑っていた。

炭酸入りの黒い飲み物を飲んでいた。まさかと思ったがコーラだった。コーラを飲んではいけないと言われて育った私には、信じられない光景だった。

「それ、コーラでしょう」と、私は妹の美穂に訊いた。

「そうだよ。お姉ちゃんも飲む?」

「いらないわ。コーラ飲んで良いの?」

あっけらかんと言う妹に眉をひそめて訊いた。

「これはペプシだからいいの」

「えっ、どういう意味なの?」

また美穂はおかしなことを言っているなと、呆れて訊いた。

「ペプシはアメリカのノースカロライナ州の薬剤師さんが調合した消化不良の治療薬だったんだって。最初は薬局で売られていたってお父さんが言ってた。ペプシンって消化酵素と原料のコーラの実にちなんでペプシコーラって名付けられたんだって」

私がいない間に新たな風が入っているのを感じ、居心地が悪かった。私の知らない習慣が家族に定着している。それが根付いた経過がわからない私は、他人の家を覗いたような戸惑いを感じたのだった。