外は日が沈み、辺りは一面に薄暗くなっていた。実家までの車中、父とは一言も口をきかなかった。私は後部座席に倒れ込み、一時間眠った。相当疲れていたらしい。実家のガレージに到着し、父に起こされるまで寝入っていた。
父が険しい顔つきでコーヒーを淹れている間、私は子供部屋に置かれているコードレス電話の子機から徹さんの番号をプッシュした。
「こちらはNTTdocomoです。おかけになった電話は、電波の届かない場所にあるか電源が入っていない為、かかりません」というアナウンスが流れてきた。
留守番電話サービスセンターに繋がることもない。こんなことは初めてだった。心がざわざわ落ち着かない。
「花菜、書斎まで来なさい」
と、父が居間から呼んでいる。私は、
「はい、今行きます」と、返事をし、子機を置いた。
書斎にはレコードがかかっていなかった。ラジオも入っていない。音楽が流れていない書斎に父がいることは異常事態だ。部屋の空気が張り詰めている。
「今回の件は、本家の爺さんと町長が、新聞に出ないよう動いてくれた」と、父は静かな声で言った。
今日のでき事が、新聞記事として載るような事件だとは、未だに信じられなかった。
今の町長は親戚ではない。孫の不祥事の隠蔽工作をするために、祖父よりもかなり若い町長に頭を下げてくれたという。この働き掛けは功を奏し、地元紙にさえ報じられることはなかった。
父は、パイプを左手に持ち、黒くなった刻み煙草を灰皿の中に掻き出している。そして、右手の人差し指と中指でボウルの底をぽんぽんと叩き、灰を落とす。それからマウスピースを捻りながら軽く抜き、軽く爪でしごいた白いモールを吸い口から火皿の底まで通し、回転させる。長年見続けてきたパイプの手入れだが、無言で見詰めるのは初めてだった。
父は、煙道が曲がったベントタイプのパイプに刻み煙草を詰め、太いマッチで火を付けた。ダンヒルのペン型タンパーで火種を移動し、燃え尽きた灰を押し下げながらパイプを燻らせる。父を思い浮かべるとき、パイプを銜え、白い煙の中でタンパーを使っている姿が真っ先に記憶から飛び出してくる。
「宮部というのは誰だ」
父は感情を押し殺した声で言った。それが長い沈黙の後で、父が私に向かって口にした最初の質問だった。
ネクタイを締めた父と書斎で向き合って話すのは初めてだ。上着を脱ぎ、シャツの上からVネックのカシミアセーターを着ている父を見て、刑事のベストを思い出した。
父は同じ形のセーターを色違いで数枚持っている。それはどれも父の体にとても良く馴染んでいた。毛玉やほつれはないのに、程好くこなれている。おろし立てにも、くたびれているようにも見えない絶妙な具合のセーターのからくりを、私はぼんやり考えていた。
私は言葉を選んで答えた。
「お付き合いをしている人です」
「お付き合い?」
父は意味ありげに言った。私は黙っていた。
「付き合いにも色々ある」と、父は言った。
「宮部さんは私の恋人です」
「恋人?」
父は潤いを欠いた声で言った。
「いつから付き合ってるんだ」
父の声は徐々に大きくなっている。
「一昨年の夏です」
私は父の目を見て言った。小さな声しか出なかった。
「そいつの年はいくつだ」
険のある顔で父は言った。
「三十八歳です」
「何だって? 三十八だと?」
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