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礼讃・第91回「終章」(最終回)
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礼讃・第91回「終章」(最終回)

2015-03-11 13:00

    2013年八月(平成二十五年)。初稿を書き終えたのは、関谷さんが四十九歳になって一ヶ月経った日だった。十日には、高知と山梨で四十・七度を観測し、東京も四十度を超えた。翌日は、都心の最低気温が三十度を下回らず、1975年の統計開始以来の最高値を記録した。

     埼玉の拘置所にいた頃は、気温を肌で感じていたが、エアコンが作動している東京の施設は廊下側にある大きな通風口扉から冷気が入り、運動場はビル風が激しく吹き乱れ、四十度という実感が持てずにいる。

     処遇は全く変わらない。このままでは鬱になりそうだ。埼玉では、窓口で原稿を受け渡しできたのだが、東京拘置所は、郵送しか許可しないと言われた。

    二木さんに手紙で伝えると、お盆の開庁免業日初日に、彼はやって来た。

     愛媛県境に近い山間の高知県四万十市で、国内の観測史上最高の四十一・〇度を記録した日だった。

    「御機嫌伺いに来ました」

    ジャスティン・ティンバレイクのような髭を生やした二木さんは言った。ガブリエル・オーブリーかと思わせるお洒落男子は、大学生になった。

    「機嫌は変わりませんよ。エアコンついているから涼しいだけで、不愉快なことばっかり」

    「えっ冷房ついてるの?」

    二木さんは、拘置所にエアコンが作動していることに驚いていた。

    「今ね、三十六冊目のノート書き終わったところです」

    「あと何冊で終わりそうなの?」

    「それはわからないなあ。あと1週間はかからないと思うので、二冊ぐらいかな」

    「未使用のノートは何冊持ってるの?」

    「五冊ぐらい」

    「じゃあノートは差入れなくて大丈夫かな」

     私は、二木さんが瞬時に引き算できたことに感動した。会話に数字がたくさん出てきた。出版社でバイトをしている大学生みたいだった。

    中学生が高校を飛び級して大学生になった。忘れずに石鹸を買ってくれた。とっても嬉しかった。私は物品制限の為まだ自分で石鹸を買えずにいたのだ。

    二木さんが差入れ窓口で買ってくれた石鹸が私に届いたのは、面会に来た翌々日だった。

    「混雑していると交付が二~三日後になることもあります」と、職員に言われた。

    二木さんの石鹸はフレッシュフローラルの香りがした。被告人が自分で購入することができる牛乳石鹸ではなかった。

     東京拘置所では、日用品も食料品同様、窓口の差入れ業者が違うという。所内で自弁購入する物より、窓口で差入れに出来る物のほうが種類が豊富で質が高いのだ。チリ紙の量や手触りまで違う。

     私は、東京に移送されてからというもの、毎日、石鹸とチリ紙を欲していた。埼玉から持ってきた物の残量が少なく、日々減っていくのに、新たな購入は認めてもらえなかった。

    埼玉の麗子さんから、

    「東拘は官物の給与量も厳しいのよ。生理用ナプキンやチリ紙でさえ、決められた量以上渡さないんだから」 

    と、聞いていた。

     無料貸与される官物は粗悪品だ。一般のスーパーで売っているレベルのものではない。チリ紙は、犬の糞を始末する為のペット用ティッシュを薄くしたような質感の、ごわごわして水にすぐ溶けてしまうものである。試しに触らせてもらったが、それはひどい材質だった。

     私がよく布巾や雑巾を石鹸で洗っているのを見た麗子さんが、

    「掃除用なら官物の石鹸あげましょうか。使いきらないで、出て行った人が残した物がたくさんあるのよ」

    と言って、官物の洗顔用石鹸をごっそりくれた。

    「あれで顔を洗うと肌が荒れそうですね」

    「あの石鹸は横浜刑務所で作ってるのよ」

    「ああ、そうですか。お店で売っている商品ではない感じがします」

    「官物は刑務所で作ってる物か三流メーカーの粗悪品しかないのよ」

    「掃除用にはあれで十分です。小さいと使いにくいので、水に浸けて柔らかくしてから練って一つの石鹸玉にして使っています」

    「今の若い人は、あなたみたいに物を大切に使う気持ちがないのよね。なんでも使い捨てで生活の知恵がなくても生きていける世の中になっちゃったのよ」

    と、麗子さんは嘆いていた。

     官物のチリ紙を渡すときも「これが一日分の目安だから大切に使ってね」と、言っていた。足りなくなれば、渡してくれた。私はそれを当然だと思って見聞きしていた。

     しかし、東京拘置所ではそれが当たり前ではないのだ。麗子さんが言っていた通り、官物は決められた量以上絶対与えない。

     浦和では女子がいる区画に共同室が四部屋、単独室が五部屋しかなかった。東京は同じ区画に単独室だけが七十近くある。そういうフロアが何十もあるのだから、規模の大きさが違うのだ。「ケーリさん」と呼ばれる職員の助手をするいわゆる雑役囚がいることも驚きだった。

     近くの部屋の人が、

    「これで二週分です。それまで補充はしませんから考えて使って下さい」

    と言われ、半分に割られた石鹸を渡されていた。

    「チリ紙がなくなったので下さい」

    「今朝、今日の分は渡しましたよね。明日までもうあげられません」

    「一枚もないんです。どうしたらいいんですか」

    「そんなこと知りません」

    というやりとりを聞き背筋が寒くなった。新たに日用品を買えない私は、他人事ではなかった。

     途方に暮れた私は、仕方なく母に連絡した。

    東京拘置所に移ってからの処遇の変化と、窮状を訴えた。

    速達で返事が届いた。開封するまで、やはり彼女も母親としての情を持っているのだと嬉しく思った。どんなひどい仕打ちを受けてきても、子供は母親を求め期待するものなのかと、思いながら手紙を読んだ。

    「現在の処遇は、自業自得ではありませんか。世間ではこれからお盆休みになります。綾子は幼稚園が夏休みの間、旅行に出ています。正博と美穂は、それぞれの家庭で予定があります。愛音と晃成は夏休み中です。子供と孫達の夏休みの予定を花菜の我が儘勝手で潰すことは、母親の私が許しません。自分で買えるようになるまでは、官物を借りて使って下さい」

     早生まれの姪は八歳で小学三年生になり、六歳の甥は幼稚園の年長クラスに通っている。夏休みは、遊びに連れて行ってもらうことが嬉しい時期だろう。

     美穂が初めて幼稚園で担任を持った生徒が今年、成人したという。

    確実に年月は過ぎているのだ。

    独身で子供を持たず、健康な私には実感しにくい年月が、刻々と経過しているのだ。

     私はしばらく家族のことを考えないことにした。

     

    頭のなかにプレッツェルがはいっているような混乱した状態で、私は新聞記者の藤井さんに手紙を書いたらしい。いつ送ったか、何を書いたか覚えていないのだ。部屋の中には便箋とボールペンしかなかった。

    多分、埼玉から移送され、それまでとの処遇の落差に動揺していたのだと思う。その時の心情を綴って送った気がする。彼女からの返信に

    「お心が穏やかでないご様子、文面を読みながら大変心配しております」

    と、書かれてあった。私は彼女を心配させてしまうような内容の手紙を送ったようだ。

    「お手紙の中で、何度も内容について謝罪されていましたが、書くことで気持ちが少しでも落ち着かれるようでしたら、遠慮なくどんどん書いて下さい。一番最初のお手紙でも書きましたが、どんなことでも受け止めます」

    私は感涙に噎び、しばらくその手紙を読み返すことができなかった。

     確かに藤井さんは、十一年の夏に初めて送ってきた手紙で、私の素の声を聞きたい、私の考えていることを教えて欲しい、趣味、好きなもの、最近気になるもの、日々の退屈しのぎなど、なんでも構いませんと書いてきた。

    二木さんは、知り合って二ヶ月経ってから

    「何かに思い悩んだときは、いつでも本音で打ち明けて下さい。自分の気持ちを人に話すことは、とても気持ちを軽くしますから。そうして頂いた方が、僕もとても嬉しいです」という手紙を書いてくれた。

     二人には素直な気持ちを伝えている。

    家族より本音で語っている。

     

    この本を書くにあたって、家族にはフィクションではなく真実を綴りたいと伝えてきた。

     過去の出来事やその折々での家族の思いを聞いていくうちに、母に対してだけは、今でも共感や賛同できない面が多いけれど、ありのままを書くつもりだと言った。

     母は激情に駆られ、執筆をやめないのならば、弟妹と連絡を取ることを許さない、今後の支援は考えさせてもらうことになるとわめいた。母が、弟妹との連絡を許さないとヒステリーを起こしたところで、同居しているわけではない弟妹との交流はあった。

     しかし、本の出版に関して理解を得ることは難航した。

    「ノンフィクションではなく、小説の形にしようと思っているの。全てを正確に再現することは出来ないのだから、事実の断片を要素にした私小説になると思う。教養小説のような趣のあるものになったら良いなと考えているの」

    「花菜ちゃんの立場で教養について書くなんて……」

    美穂は言った。

    「教養の在り方を書く小説じゃないわよ。若者が成長して大人になってゆく過程を書いたビルドゥングスロマンのことよ」

    「ロマン…」

    「私はね、万人に好かれたいと媚びたり、リーダビリティが高いものを書こうとは思っていないの」

    「りいだびりてぃ…」

    私小説という言葉も知らない美穂と本について話すのは難しかった。

    原稿が完成に近付いた折の移送だった。

     
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