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  • 礼讃・第85回「雅也君逝く」

    2015-03-05 13:00
    254pt

    二十世紀が終わり、日本興業銀行、富士銀行、第一勧業銀行が日本初の銀行持株会社みずほフィナンシャルグループを発足した。表に首里城の守礼門、裏の紫式部と源氏物語が描かれた二千円札が発行され、五百円硬貨も新しいデザインになった。

    健ちゃんが付き合って以来初めて、本を読んでいたのでびっくりした。『チーズはどこへ消えた?』というアメリカの童話だった。考えるところがあったのだろう。新しいチーズを探しに、旅立つ決心をしたらしい。

    健ちゃんは、東京の建設会社を退職し、PとRの子達を連れて、千葉の実家に戻った。

    健ちゃんはメスの子犬にランちゃんと名付けた。

    たっくんに譲ったランの妹はアンと命名された。

    ドッグショー会場で、健ちゃんとたっくんが、我が子を連れて対面した。健ちゃんはランを抱き、たっくんの手には私が買ったエルメスのオレンジ色の首輪をつけたアンのリードが握られていた。

    いくら心臓でも、二人の間でにこにこ笑って話せるものではない。私は苦しくなってきた。東京を離れる時間が長くなった。

     

    名古屋のマリオットアソシアホテルに滞在していた私に、雅也君が会いに来た。

    彼は、ロンハーマンの色落ちしたジーパンに、アバクロンビー&フィッチのパーカーを着て、トミーヒルフィガーのキャップをかぶっていた。

    久し振りに雅也君とセックスをした。これが彼との最後のセックスになった。

    「花菜ちゃんの中に入ると、フリーダイビングをした時の感覚が重なるんだ」

    と、雅也君は言った。

    「フィンをつけてひらすら潜っていくと、時間、距離、重力、全てのものから解き放たれた気持ちになって、音や光や空気もない紺碧の海にじわじわ吸い込まれていくあの感覚。潜る前に小刻みに口をパクパクさせて、肺に空気を溜め込んで頭から垂直に水中に切り込んでいくんだ。体を波打たせて力を入れて潜るのは、深さ三十mぐらいまで。そこから先は浮力がなくなって、重力に任せてすうっと落下していく。海の色も群青から闇に変わっていくんだ。太陽の光が届かないからね。そこまでいくと体と心が海と溶け合っているような気持ちになるんだ。目標深度に設置されたタグを目指して潜って、そのタグを取ってからは重力に逆らって水面を目指して必死に上がる。水面に戻って空気を吸った時の感慨と、海との一体感から離れてしまった寂しさが入り混じって、不思議な気分になるんだよね」

    「フリーダイビングねえ。あまり深く潜ると水圧で体に負担がかかるでしょう」

    「大丈夫だよ。俺は百mなんて潜れないから」

    「深く潜って水面に戻ったら、審判に向かって親指と人差し指で円を作ってアイムオッケーって言う競技でしょう? 人が生息できない深みに向かう境地にはまるのは危険よ」

    「うん。わかってるよ」

    新宿に拠点を移し、ホストとして、好きでもない女性に跪き、諂い、どうにかしてセックスをせず大金を使ってもらおうとおもねる仕事は、辛いことも多かったのだろう。私達は、夜中に歌舞伎町のバッティングセンターで憂さ晴らしをした。歌舞伎町は夜中の三時にバットを振っている人がたくさんいる街だった。

    雅也君と駿君が新宿の店に勤めるようになってから、私は歌舞伎町の住民たちの内情を知った。

    彼らが勤めていたのは『ニュー愛』で、零士がTOP DANDYで、頼朝がナンバーワンを張っていた時期と重なる。雅也君の御蔭で、靖国通りから新宿通りにかけて新宿二丁目を横断する仲通りの両側に広がる店にも出入りした。

    発展場で寝待ちしているゲイや、クラブイベントで派手な女装をして踊るドラッグクイーンや、男らしさむき出しのゴーゴーボーイ、ノンケなのにゲイや女性とセックスをする出張ホスト、バーやマンションの個室で客を待つ売り専の男性や、茶色い小瓶を鼻から吸引して男性とホテルに行く男性がいっぱいいた。

    ボーイズマッサージと呼ばれていたマジックミラー越しの待機ルームと性的サービスを行う個室がある風俗店や、マンションの一室に事務所を置き、客からの電話を受けて、従業員のボーイを指定の場所に向かわせたり、マンションにサービス専用の部屋を用意している個室ホストもあった。

    九十年代前半は、まだインターネットも普及しておらず、ボーイの特徴を電話で説明するか事務所に置かれたアルバムを見て、ボーイを指名するというシステムだった。ホストが自宅で営業したり、出張している人もいた。個人営業のマッサージ店として、ゲイ雑誌に広告を出している人もいたのには驚いた。

    私が「イケメン」という言葉を知ったのは、ゲイ雑誌だった。ゲイの嗜好は多種多様で「バラ族」「さぶ」「G─men」「Badi」といったゲイ雑誌を読むと、こんなニーズがあるのかと蒙を開かれた。

    文通欄のページ数の多さに圧倒されたし、同性との交流を求める彼らが書いたプロフィールを読むのも楽しかった。

    「男同士の愛の場所は薔薇の木の下だった」というギリシャ神話が元になった『バラ族』は、私が生まれた年に月刊化されたという。私は「アナルローズ」という言葉の意味を知った時から、雅也君がしているセックスについて想像することをやめた。

    売り専ボーイやホストが、お金を介して女性を相手にする場合、彼らはまず何とかセックスしないで済ませようと考える。

    私は、彼らがどうにかしてセックスせずお金を貰おうと権謀術数をめぐらせている会話を耳にし、びっくりしたことがある。女性が望んでいるのに、セックスしたくない男性がいるとは新鮮だった。異性愛者の売り専男性でさえ、お金を払う女性とのセックスを面倒がり、女性相手の性感マッサージでは、なるべく性的なサービスはしたくないと言うのだ。

    女性とセックスがしたくて売り専をしている男性には会ったことがない。

    ノンケの男性はともかく、ゲイの場合、女性相手に勃たせるのは大変だとも言う。私が知っている売り専ボーイは、男性ファッション誌のモデルができるレベルのハンサムな人が多かった。ルックスの良い男性とお金を払ってでも付き合いたいという女性がいるから、ホストやボーイ、サパーという職業が成り立つのだろうけれど、お金を払ってくれる女性に恋をしたとか、愛情があると言った男性には会ったことがない。

    私は、ホストに貢ぐ女性と、男性に対してお金を払ってセックスをする女性が理解できない。

     

    雅也君が体を痛がるようになり、ヘルニアではないかと思うと聞いていた。

    名古屋のホテルで「多発性骨髄腫だった」と、雅也君は言った。聞いたことのない病名だった。

    肋骨の痛みを訴えた。貧血と頭痛もひどく、視覚がおかしいので、車の運転もできないんだと言う。

     
  • 礼讃・第84回「年下のたっくん」

    2015-03-04 13:00
    254pt

    九十六年三月に美穂が高校を卒業した。

    四月から長野の短大に通うことになり、学校の近くの女性限定アパートで一人暮らしを始めた。父が、

    「美穂は短大くらい出しておかないとどうにもならんだろう」

    と言い、上田にある私立の女子短大を探してきた。

    美穂の希望は「緑がたくさんある街でえ、卒業したら幼稚園の先生になれる女子だけの学校がいい」だった。キャンパス内には、仏教系の附属幼稚園があった。

    父は、短大卒業後は美穂をそこの幼稚園に就職させることを考えていたようだった。

    美穂は寝坊するに違いないと、大学の目の前にある女子学生専用アパートを父が探し、契約した。五分と歩かず大学に通える環境だった。学校に慣れるまで、父がモーニングコールをした。

    幼児教育科と総合文化学科しかない短大に通う学生の多くは、長野か新潟出身の女子で、北海道から入学した学生は美穂が初めてだった。

    私がキャンパスを見学に行くと、附属幼稚園の園児が大学の講堂で行事をしたり、園庭や広大な敷地の裏山で遊ぶ園児の姿を学内から見ることができた。非常にのどかな所だった。

    美穂には常に彼氏がいたけれど、相手は近くにある長野大学の男子学生ばかりだった。

    「どうして長野大の男の子ばかりなのよ」

    私は美穂に訊いた。

    「だって、近くに長野大しかないから、コンパの相手は長野大の学生だけなんだもん」

    「長野には、松本に信州大学があるでしょう。あそこは国立だし、医学部と理学部は偏差値もそこそこ高いわ。合コンするなら信州大学の男の子の方が良いと思うの」

    「なんでコンパするのに偏差値が関係あるわけ?」

    「美穂、長野大学の偏差値知ってるの? 四十よ。偏差値四十ってなかなか聞かない数字よ。私の数学の偏差値だって、もう少しあったわよ。第一、学部の名前も環境ツーリズムだの企業情報だのよくわからないじゃない。信州大学は教育学部でも六十近いのよ」

    「だから何」

    「お父さんがね、美穂はきっと就職先も結婚相手も長野で見つけるだろうなって言ってたのよ。だから、私は心配しているの。美穂が長野大学の男の子と結婚することになったら、私、気絶しちゃうわ」

    「はあ? 意味がわかんない。あっ美穂ね、いいバイト見つけたんだ。別所温泉のコンパニオン」

    「えっ!? 温泉コンパニオン……。どうしましょう。ああ、くらくらしてきたわ……」

    「訳わかんないんだけど。宴会の団体客にお酌する仕事だよ」

    「その後は?」

    「後って何」

    「お酒飲んだ後よ」

    「カラオケすることもあるよ」

    「その後は?」

    「それで終わりだけど」

    「あっ……そう。それならいいの。ふうん。そういうバイトがあるの。別所温泉の宿と契約しているの?」

    「違うよ。コンパニオンの派遣会社に登録して、その日によって違う温泉の宴会場でお酌するの」

    「へえ」

    「お金もらえて、お酒飲めて、カラオケ歌えて、温泉入れて、楽しいよ。たまにチップ貰えるし」

    「勉強もちゃんとするのよ。短大留年なんて恥ずかしいんだからね」

    「わかってるよ。お父さんが毎朝起こしてくれるから、学校は遅刻しないでちゃんと行ってる。長野の人ってね、すっごく同窓会好きなの。だから宴会が多いんだよ。小・中・高の同窓会は必ずやるし、同郷会っていうのもあって、他県に出てる人も同窓会や同郷会を開くと、わざわざ長野に帰って来るんだよ。しかもね、長野って昔は信濃っていう国だった時に、長野と松本の2つに分かれてて、今でもそれぞれ文化や気質が違うんだって」

    「へえ。青森や愛媛は同じ県内で県民性をひとくくりにできないって聞くけれど、長野もそうなのね」

    「長野の人って一日三回お味噌汁飲むんだよ。今は、根曲がり竹が旬だから、味噌汁に根曲がり竹とサバ缶を入れるの」

    六月のことだった。

    「それは珍しい食べ方ね。それは美味しいの?」

    「うん。実家から通ってる友達の家で御馳走になった」

    「根曲がり竹って、秋に高知でとれる四方竹みたいな筍? 緑色で細長い?」

    「細長いけど色は普通のベージュ」

    美穂は私が遊びに行くと、コンパニオンのバイトで知り合ったお客さんから教わった美味しい店に連れて行ってくれた。蕎麦屋が多かった。

    ある日美穂が

    「長野ってお寿司が美味しいんだよ」と、言った。

    「稲荷とか巻き寿司?」

    「握りだよお。お刺身が美味しいの」

    「えっ、長野は海に面していないのに?」

    「えっ、長野って海に面してないの?」

    「……最近は、生モノの鮮度を保って流通する技術が高くなっているんでしょうね……」

    私は気を取り直して

    「コンパニオンってお客さんとどんな話をするの?」と、訊いた。

    「昨日は、ラジオの話をしたよ。チャランランってテーマ曲が流れて、自分の好きなパーソナリティの声が聞こえた途端、眠気が吹き飛んだってお客さんたちが話してた。チャランランッ」

    美穂はビタースウィートサンバを口ずさんだ。

    「オールナイトニッポンでしょ」

    「花菜おねえちゃん知ってるの? 深夜放送だよ」

    「健ちゃんから聞いたのよ」

    「そうだよね。花菜ちゃん、超早寝だったもんね。笑福亭鶴光のええのんか? とかビートたけしの村田先生のコーナーとか、男の人は懐かしいみたい」

    妹はバイトでそんな話をしているのかと頭が痛くなった。

    「お客さんはどんな職業の人たちなの?」

    「それは色々だよ。サラリーマンの人もいるし、自営業の人もいるし、昨日は医師会の集まりだったよ」

    「お医者さんになる人もオールナイトニッポン聞くのね」

    「美穂がね、子供の頃テレビがなくて、毎日ラジオを聞いてたって話したら、会長さんが、どんな番組聞いてたのって訊くから、日曜喫茶室はよく覚えてるって言ったの。日曜の昼からやってたのみんなで聞いてたでしょ」

    「うん。覚えてるわよ」

    「そしたら会長さんがはかま満緒のファンで仲良くなっちゃった。常連客の誰が好きとか出演したゲストの話とかしてた」

    美穂が結婚するまでこの会長さんはパトロンでいてくれた。私にとっての小沢さんのような存在だった。

    冬になると、美穂のアパートまでポリタンクに入った灯油を運び、西川の高級毛布や羽毛布団を買ってくれる人だった。

    この医者のおじさんが寿司好きで、美穂をよく寿司屋に連れて行ったものだから、美穂は

    「本当に長野はお寿司が美味しいところなんだよ」

    と言って、譲らなかった。

    「長野って葡萄が美味しいんだよ」とも言っていた。

    「上田の巨峰はアラブの富豪も大絶讃してるんだから。アラブの人って宗教上の理由でワインやアルコールが飲めないから葡萄にお金をかけるんだって」

    と言って、アラブの富豪が絶讃する巨峰をくれた。確かに旨味の濃い巨峰だった。

    美穂が短大に入った年、私も文京区にキャンパスがある四年生私立大学の経営学部に入学した。

    入学式は武道館で行われた。健ちゃんがついてきた。

    シラバスを見ながら書いた履修届を提出する日は、キャンパスまで雅也君の車で送ってもらった。

    高層階にある学生食堂でステーキ定食を食べた。私は安さとメニューの豊富さに驚いたのだが、雅也君は「学食なんてこんなもんだよ」と言った。

    六義園の桜を見てから目黒に戻った。

    雅也君は、合格祝いに「パリジェンヌ」でカトリーヌドヌーヴが着ていたようなベージュに金ボタンがついたダブルのコートを買ってくれた。私はカジュアルなシーンでもウールのコートを着るのが好きで、暖かみとヴォリュームのあるポロコートやテーラードコート、袖口が広がったベルスリーブのコートを羽織っていた。カシミアのコートは春先や秋口に選んだ。

    私はコートの下に着るのはTシャツや半袖セーター、袖なしワンピースが多かった。車での移動が多く、ゴルフ以外では冷暖房がきいた所にしか行かないので、コートを脱ぐと年中薄着でびっくりされた。

    外国ブランドのコートは、一重の裏なしが多いので、袖の部分にだけ裏をつけて着易くした。祖母が教えてくれたことだった。

    クレジットカードのようなプラスチックの学生証にプリントされた写真は、雅也君に撮ってもらった。学校に行くと、空き時間は図書館で過ごしていた。

    高校を卒業してから丸三年、学校の勉強から遠ざかり、受験勉強せずに入試に受かった大学だったが、浪人して入ったという人もいた。

    美穂の入学式には北海道から来た母が出席したけれど、私の入学式はいつなのかも聞かれなかった。母は、

    「どうしてそんな大学を受験したの?」

    と、不機嫌そうに言った。

    入学金と授業料を払ってくれた父でさえ

    「そんな大学に通って何になる。腰を据えて勉強して、受験し直した方がいい」と、言った。

    半年通って、両親から「そんな大学」と言われた意味がわかった。

    しかし、私と同じ年齢の現役の学生が来春卒業するという年に、再受験しようとは思えなかった。

    この年、七月十五日生まれのオスと九月十三日生まれのメスのシーズー犬を飼い始めた。

    本屋でふと目に入った『愛犬の友』という雑誌の表紙に載っていたシーズーの写真にやられた。PとRと名付けた。

    秋からは子犬育てに追われた。

    板尾さんが車を買い替えた。それまで彼はキャデラックに乗っていたので、アメ車が好きなのかと思っていたら、新しい車はBMWのZ3だった。

    その車の助手席に載せてもらい板尾さんと初めてキスをした。初めて彫物をしている人とセックスをした。

    板尾さんの体に入れ墨があることは知っていた。素肌に着た白いシャツから刺青が透けて見えたことがあったのだ。いつもとは違うドキドキに興奮した。任侠の男性に惚れる女性の気持ちが何となくわかった。

     
  • 礼讃・第83回「貞操より節操」

    2015-03-03 13:00
    254pt

    乗り物の車内で知り合った男性に、堀さんという人がいる。私より十五歳年上のカメラマンだった。上野─札幌間を結ぶ寝台個室特急ブルートレイン北斗星の食堂車で一緒になった。まだカシオペアは運行していない時代だった。

    飛行機だと九十分で行けるところを十七時間かけて移動する贅沢をしようという板尾さんの提案で、北斗星に乗って札幌競馬場に行くことになった。夏だった。

    私はまだ板尾さんと肉体関係はなく、板尾さんの事務所の慰安旅行を兼ねており、男性ばかりぞろぞろついてきたものだから、私はツインデラックスを一人で利用した。個室を一人で利用すると二人分の寝台料金と特急料金が必要だったが、板尾さんが払ってくれた。

    男性達は個室で花札をしていたので、私は一人で食堂車に行ったのだ。

    オールブラックの美しいセラミックケースの腕時計が似合う人だった。ウブロを手首にはめた堀さんは鉄道好きで、夏休みの一人旅に北斗星で北海道へ向かっていた。

     白いポケットがついた黄色いワンピースを着た私に、堀さんは、

    「ドラミちゃんみたいだね」と、言った。

    「メロンパン好き?」とか「虫は嫌い?」と訊いてきた。

    「メロンパンは好きよ。虫は嫌い。二十歳の時に住んでいたアパートで虫が1匹出た翌週に引っ越したくらい虫は苦手なの。ドラミちゃんってね、身長百cm体重九十一kgよ。前にもドラミちゃんみたいだって言われたことがあって調べたことがあるの。私、ドラミちゃんより背が高いし、ドラミちゃんより痩せているんですけど」

    私が真剣に答えると、「真面目だなあ」と言い、ぷふっと笑った。

    学生時代はアメフト部だったという彼は、ワイルドな肉体にグレーのカーディガンと白のインナーを着て、ブルーのデニムパンツを穿いていた。靴はベルルッティのスリッポン。チャニング・テイタムのようなタフネスと優しさが絶妙にブレンドした笑顔にぐっときた。

    私は愛犬が生んだ子犬を、カメラマンをしている男性に譲った話をした。

    「車を専門に撮影している方で、ご自身はベンツのステーションワゴンに乗っているんです。それは仕事用の機材を運ぶためだそうで、本当はスポーツカーがお好きなんですって。彼はエリック・クラプトンが好きで、犬にレイラと名付けたのよ。三人お子さんがいるんですけど、男の子が蘭知亜君、女の子は、瑠乃ちゃん、亜瑠葉ちゃんていうの。凄いでしょう」

    なんと堀さんはそのカメラマンを知っていた。

    「俺はモーター関係の仕事はしないけど、車は好きだよ」

    と言う堀さんは、黄色いアストンマーチンに乗っていた。

    YMOが好きな人だった。津川さんとエルヴィスプレスリーのラヴ・ミー・テンダーを聴いた回数より多く、堀さんとテクノポリスを聴いた。堀さんがご機嫌な時の鼻歌はライディーンで、カーステレオからはいつもソリッド・ステイト・サヴァイヴァーが流れていた。私はこのアルバム収録曲の順番をすっかり覚えてしまった。

    彼は、カーオーディオで良い音質を出すために、ボディ剛性や車幅、スピーカーの距離やアンプを載せるための広い収納スペースにこだわり、

    「どう? この音質。びんびんくるでしょ」

    と、聴き入っていた

    彼が連れて行ってくれるバーやカフェには、YMOとその界隈について延々と語り続ける人達がたくさんいた。たった六年の活動で、八十三年に解散した三人グループのことを、二十年以上経ってもこんなに熱く思っているファンがいるのかと驚いた。

    北斗星の車中で、堀さんは九十三年に一時的に再結成してリリースしたアルバム『テクノドン』をウォークマンで聴いていた。

     堀さんはおぼっちゃま育ちの男性だった。カメラマンの仕事をしなくても生活に困ることは全くないようだった。東麻布の広いマンションで暮らし、そのマンションの所有者は親だという。こういう人はよくいる。しかし、彼が凄いのは、マンションの建物一棟丸ごと親の持ち物で、彼にも家賃収入があるということだった。そういうことを厭味に聞こえず、傲慢な印象を与えることなく爽やかに話す彼に、好感を持った。一人旅が好きな男性というのも珍しかった。

    食堂車で、旅に持参する食べ物の話になった。

    「私はね、ドライマンゴーとマロングラッセ」

    「俺は、ピスタチオとぬれ煎餅」

    私が「ぬれ煎餅って何?」と訊くと、「銚子電鉄のぬれ煎餅知らないのかよ?」と驚かれ、気づくと私達は、個室の寝台に腰掛け、ぬれ煎餅を食べていた。

     堀さんは缶ビールを飲み、銀杏色のピスタチオをぽりぽり齧っていた。

    健ちゃんが、焼いた銀杏の殻を剥き、翡翠色につやつや光る銀杏の実をクリトリスみたいだなと言って食べていたのを思い出した。健ちゃんより細い指で、堀さんは器用にピスタチオを剥いては、取り出した緑色の実を口に運んでいる。

    会ったばかりとは思えなかった。膝がくっつく程の距離で、旅の話をした。

    すぐに打ち解けたのは、彼が本音で話す人だったからだと思う。相手に望むポジションが一致していることを、会話や仕草や視線で私達は感じ取っていた。

    「俺は、女の子の男性関係の話を訊くと興奮するんだよね。過去の彼氏とのセックスとか。現在進行中なら余計に燃える」

    これは意外だった。行きつけのホテルでも初めて来たふりをし、本命の彼氏の存在は極力隠し、他の男性関係の話はしないことに努めていた私は、堀さんの発言にびっくりした。これは、度量の大きさというより性癖ではないだろうかと思い、私は

    「スワッピングや覗きが好きなの?」と、訊いた。