悪質な撮り鉄の問題について
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悪質な撮り鉄の問題について

2018-08-18 10:13

    悪質な撮り鉄を糾弾する人達の意見で、「いつまでも撮影を続けられるためにもマナーを」という声を良く耳にします。

    私は別に撮り鉄ではないが、そういった説得が有効かという点には、疑問を持っています。
    マナーが守れない大きな要因は、今の撮影文化の風潮の方が大きいと考えるからです。

    被写体に対して被る障害物が無い写真が完品だという風潮があるから、それにこだわる撮り鉄がマナーを守れない方向についつい走るのではないか思うのです。

    矢先のことしか・自分のことしか考えてないとか、通り越して、良い写真をとれるのは一瞬という、ある種の「一期一会」の考えをしているので、撮影が禁止されてもなんとも思ないという可能性もあります。むしろ、ならばこの一瞬に賭けようと無理が出るかもしれません。
    趣味は無理のない範囲で楽しむのが一番だと私は思っていますがね。

    だから、カメラを手放してもらいたいとか、あくまで勝手に撮っている撮り鉄の意見など尊重されるべくもないとか、そういう言い方は言い過ぎだと思うのです。


    それから、「フレームにはいらないでほしい」、「写真撮影の邪魔をしないで欲しい」という撮り鉄の希望は、鉄道写真の撮影にジャマが入らないこと以外の部分を妥協するか、お金などのコストに糸目をつけなければ、他人に迷惑が掛からない方法で望みが叶う方法は、貸し切る以外にもいくつかあるのではと思う。
    片や、鉄道模型やプラレールなどを被写体を選ぶか、絵・CGなどに移転するなど、その他きかんしゃトーマスのテレビ番組の制作と同じ手法の方法だってある。
    片や、貸し切る以外にも、車両そのものを人々の交通手段じゃなく「撮影用」に購入するとかね。
    その他にも、かつて、生前のウィルバート・オードリー牧師がとった方法だってあるね。

    つまるところ、「ルールとマナーを守って大きな鉄道を撮るか、完全な撮影用の模型を撮るかの二者択一」「趣味を優先したくて、周囲を顧みる気が無いなら貸し切りなさい」「邪魔されずに撮影したのなら結局は貸し切るしかない」「それでも、というのならば、撮影に邪魔が入らない事以外のところを妥協すればいい」「交通手段ではなく明確な被写体を被写体に選べば良い」「鉄道が被写体ではなく人々の交通手段である事に納得いかないのなら、貸し切る以外にもそれなりの方法はいろいろある」…マナーアップだけでなく、こういう風潮を作るのが、一番の悪質な撮り鉄対策なのではないかと生路は思います。

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