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【No.21】塩谷町に息づく、住民による反対運動の歴史(見形町長に聞く─上)
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【No.21】塩谷町に息づく、住民による反対運動の歴史(見形町長に聞く─上)

2015-01-01 05:48
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    木野龍逸の「ニッポン・リークス」
                       2015/01/01(No.021)
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    [目次]
    1.東電福島第一原発事故トピック
    見形町長が語る処分場問題──
    塩谷町はいかにして反対の意思統一ができたのか(1)
    2.気になる原発事故ニュース
    3.編集後記
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    1.東電福島第一原発事故トピック
    見形町長が語る処分場問題──塩谷町はいかにして反対の意思統一ができたのか(1)

    <楽しみながら続けていく反対運動>
     肌寒く小雨降る12月中旬、「電通と原発報道」などの著作のある本間龍さんに誘われ、栃木県塩谷町を訪れた。指定廃棄物処分場の候補地になっている場所を見て、塩谷町の見形和久町長に話を聞くためだった。
     新宿から埼京線、快速ラビット、東北本線と乗り継いで2時間と少しで矢板に着くと、塩谷町役場の指定廃棄物処分場対策班長を務める星育男さんが出迎えに来てくれていた。矢板駅から塩谷町まではクルマで十数分だが、まずは現地に向かった。
     走り出すと、ほどなく塩谷町に入る。すると星さんが「看板がすごいでしょ」と、楽しげに話し始めた。
     なるほど、塩谷町に入ったとたんに路肩に多数の看板が並び始めていた。スローガンは、各自がめいめい考えて書いているという。
    「母なる山 心の山 ふるさとの山」
    「票は少ないけど作らせないぞ」
    「高原山の自然 未来に残そう」
     10月29日に反対同盟の人たちが環境副大臣に署名を提出にいった時には、看板の写真もたくさんつけていたと、星さんはいう。
     最初は、わずかな数だったそうだ。ところが反対運動が盛り上がってくると、我も我もと立て始めた。自宅の庭、畑、田んぼ、仕事先の事務所など、立てる場所はいくらでもあった。
     自分たちで「のぼり」も作った。これも最初は赤地に白文字の1種類だったが、青、緑と黄色のグラデーションが追加された。
    「楽しくないと、長続きしないんです」
     星さんはそういって笑った。
     看板のコンテストをやろうという案もあるらしい。それはぜひ、見てみたいところだ。(https://www.youtube.com/watch?v=pKPcUtRpZ0A)
     2014年11月11日、指定廃棄物処分場候補地を巡る話し合いをするために環境省が開催した栃木県の市町村長会議の日には、1000人以上の塩谷町民が宇都宮駅に集合し、県庁まで数キロ、小雨がぱらつく中で雨具を着てデモ行進をした。
    (https://www.youtube.com/watch?v=GoAhSpr1Bhk&feature=youtu.be)
     参加していたのは老若男女、家族、お年寄りの仲間、近所の仲間、農家、自営業などほんとうにさまざまな人たちだった。 
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