トントン・マクートさんチャーミングな名前の割にナマハゲ感強め。
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トントン・マクートさんチャーミングな名前の割にナマハゲ感強め。

2014-01-08 23:59



    ハイチの民間伝承上の「子供の誘拐魔」が、その名の由来である。クリスマスには、よい子の家にはサンタクロース(クレオールではトントン・ノエル、「クリスマスおじさん」)が来るとされるが、悪い子の家には「ナップザックおじさん」「南京袋(麻袋)おじさん」が来て子供をさらうとされる。これがトントン・マクート(トントン=父さん・おじさん、マクート=麻袋)である。

    トントン・マクートは独裁者となったハイチ大統領フランソワ・デュヴァリエが、独裁色を強めるなかで1958年に前身の秘密警察を拡大し結成され、1962年に国家治安義勇隊と改称された。彼らは都市の黒人貧困層・地方地主の傭兵から募集され、その活動には自動的に恩赦が与えられ、給料はなく犯罪と略奪により生活した。

    トントン・マクートは主にブードゥー教の祭司者や秘密結社のメンバーなどで構成された。隊員たちは黒いサングラスを着け、大抵は火器を所持していたが、遺体の見た目の凄惨さから、マシェーテや刀を使うことを好み、時にブードゥー教の悪魔や神などに扮してマシェーテを振い、見せしめのために被害者の遺体を広場に晒すなどして反体制派を弾圧した。その振る舞いは、日本でいえば暴力団にも似ており、国民を恐怖に陥れ、デュバリエ父子への表向きの忠誠を醸成した。拷問も敵に対する警告として日常的に行われた。小作農から土地を奪うなどしたため都市の貧困層を増大させる要因となった。




    ハイチといえばブードゥー教とゾンビ、さらには独裁者パパ・ドックことフランソワ・デュバリエ元大統領とその手下である秘密警察トントン・マクートによる凄まじい圧政、あるいはアフリカ諸国よりも貧しく世界でも最下層クラスの貧乏国であることなどで有名だ。「ロクなものがひとつも無いじゃないか」と言われそうだが、そのとおりなんです。人口の1%弱が総収入の50%を独占し、失業率は70%、平均寿命49歳、幼児死亡率は10%近く、歴史を見ても軍事クーデターと民衆弾圧の繰り返し、と良いところなどひとつもありゃしない。どこか良いところがあったら教えてください。



    ◆実は世界初の黒人国家
    ハイチがあるイスパニョーラ島は15世紀末にコロンブスによって発見されている。どこが似ているのか皆目見当がつかないが、コロンブスは「この島はスペインに似ている」ということでイスパニョーラ島と名付け、そのままスペイン領にしてしまった。この島に銀があることを発見したスペイン人は原住民アラワク族を奴隷にして酷使するのだが、50年も経たないうちに銀は掘りつくされ、そしてアラワク族は絶滅してしまった。すると、スペイン人は悪びれることもなく、今度はアフリカから黒人奴隷を連れて来て、サトウキビの栽培を始めた。
    しかし、17世紀になるとこのあたりを通るスペイン船はイギリスやフランスの海賊に襲われるようになり、また入植が進んでおらず土地が空いていたイスパニョーラ島西部にフランス人が住み着くようになった。かつては無敵艦隊を擁して植民地ビジネスで栄華を誇ったスペインもこの頃になるとかなり没落しており、17世紀末には島の西側3分の1(現在のハイチの領土に該当する部分)をフランスに脅し取られてしまった。

    イスパニョーラ島西部はフランス領サン・ドマングとなり、黒人奴隷を使った林業とサトウキビ栽培で巨万の富を生んだこの地は、「フランス領で最も豊かな植民地」と言われるまでに発展した。もっとも、その豊かさを享受しているのはフランス人だけなのだが。
    ところが、1789年にフランス本国で革命が勃発し、ハイチの黒人奴隷とムラート(白人と黒人の混血で奴隷ではない)達はその混乱に乗じて反乱を起こした。一度はナポレオンが本国から派遣した軍によって鎮圧されたのだが、アメリカ大陸からフランスを締め出したいイギリスやアメリカが黒人達を支援したこともあって、黒人達はついに領内のフランス人を叩き出し、1804年に世界初の黒人国家「ハイチ共和国」として独立を達成した。
    現在のハイチに黒人が多く、彼らがクレオール語(フランス語とアフリカ系の言語が入り混じった言葉)と呼ばれる変わった言語を話すのはこのような歴史的経緯による。


    「お前は落第」と言われたハイチ人
    せっかく独立したのだから自国の経営に専念すれば良いものを、調子に乗ったハイチ人達は東部(当時はスペインとフランスが奪い合いをしていた)に攻め込んだりするものだから、宗主国のフランスやスペインはもちろんイギリスやアメリカまで怒ってしまい、経済封鎖を食らっている。白人から見れば、ハイチは奴隷として搾取していた黒人達が反乱を起こして作った好ましからぬ国であり、現に建国直後はどこの国も承認していない。にもかかわらず、北部と南部に別れて内乱を起こしてみたり、黒人とムラートが権力闘争を繰り返してるのだから、何をかいわんやである。
    一方、東部の黒人達も相当なマヌケで、1820年に起きたスペインの立憲革命による混乱に乗じて「ハイチ・スペイン人共和国」として独立を果たしたものの、独立した途端に内輪もめを始めて、懲りずに再び侵攻してきたハイチによって占領されている。

    こうして、イスパニョーラ島はハイチによって統一されるのだが、それも長くは続かない。
    1825年になると、フランス革命以降の国内の混乱を収束させたフランスが大艦隊を率いてハイチの首都ポルトー・プランスを包囲し、「独立を承認して欲しければ、フランス人から奪った農園の代金や、独立の際に殺したフランス人ヘの賠償金として1億5千万フラン払え」と脅しをかけてきたのだ。これは当時のハイチの国家予算の10倍に相当し、元利償還に100年もかかる途方も無い額である。交渉の末に9000万フランまでまけてもらったものの、それでも払えるはずもなく、この当時ハイチの政治権力を握っていたムラート達は困り果てて、奴隷制を復活させるという暴挙に出る。当然のことながら黒人は激昂し、東部では独立闘争が始まった。(その後、東部は一度スペインの庇護を受けるなどして、結局1865年にドミニカ共和国として独立している)

    東部では独立闘争が始まっているというのに、ハイチ国内ではムラートと黒人の争いが絶えず、毎年のようにクーデターや大統領暗殺などが続く。結局、あまりの酷さに見かねたアメリカが、1915年に債務不履行を理由に軍事介入してハイチ全土を占領する始末。
    アメリカだって貸した金が焦げ付いたり、自分の庭であるカリブ海でキチガイ同士が何十年も殺し合いを続けた末に敵対している国に乗っ取られたりしては困るのである。当時は第一次世界大戦の真っ最中で、この時点では中立だったアメリカとはいえ、ドイツが移民等を通じてハイチへの影響力を強めていたことは不快だったにちがいない。
    これ以降、自力で国家を運営できない馬鹿の烙印を押されたハイチ人は、何をするにもアメリカ様にお伺いを立てて、そのご指導の下で国家再建に取り組む。

    しかし、1933年になるとアメリカ大統領ハーバート・フーバーはハイチからの撤退を宣言する。その理由が泣ける。

    「20年近く面倒を見てやったのに、ハイチは占領前に比べ少しも改善されていない」

    要するに、「お前らはいくら言っても分からん馬鹿だから、ワシはもう知らん」とサジを投げたのである。第一次世界大戦はとっくに終わっていたし、共産主義の脅威がアメリカ大陸まで波及するのはもっと後の時代なので、アメリカとしても世界恐慌の真っ只中にカリブ海の餓島に駐留し続ける理由に乏しい状況にあった。
    '34年に海兵隊の撤退が完了し、アメリカに見捨てられたハイチは相変わらず黒人とムラートの対立が酷く、いつまで経っても政情が安定しない。その後15年ほどは選挙によって大統領が選ばれるものの、軍部が反乱を起こして政権が崩壊する、という繰り返しが続く。


    ◆パパ・ドックとトントン・マクートの時代
    そして1957年の大統領選の結果、エスティメ政権で閣僚を務めた経験を持つフランソワ・デュバリエが「黒人主義」を掲げ、反米・反ムラート感情の強い黒人から圧倒的な支持を得て大統領に就任する。そう、悪名高いデュバリエであるが、軍部から手厚い支援を受けていたとはいえ、実はクーデターではなく選挙によって選ばれた大統領なのである。
    医師の資格を持つことから国民から「パパ・ドック」の愛称で呼ばれたデュバリエは、最初は福祉政策の充実を打ち出すなどして国民から歓迎されるが、1年も経たないうちに暴君と化す。野党を徹底的に弾圧し、非常事態宣言を行い議会を停止した。さらにクーデターの計画をいち早く察知したデュバリエは逆に軍や政府の要人を全て粛清し、その後任に自分の腹心を据えて全権を掌握した。

    独裁者と化したデュバリエの暴挙はとどまることを知らず、「俺様のビルを作るから寄付しなさい」と英国大使に金をタカり、大使がこれを拒否すると国外追放したり、反政府活動をした国会議員を銃殺したり、新聞社を全て閉鎖したり、ブードゥー教を国教にしたりとやりたい放題であった。また、反政府ストライキを支援したという理由でハイチ・カソリック教会の大司教を国外追放し、これに激怒したバチカンから破門されたりしているのだが、ブードゥー教徒のデュバリエにとっては痛くも痒くも無かったりする。
    トドメは都市のごろつき貧民地方地主に雇われていた傭兵を集めて「トントン・マクート」という秘密警察を作り、民衆を徹底的に弾圧した。トントン・マクートは国軍の2倍の兵力を有し、約3万人の市民を殆ど言いがかりに近い理由で連行し、殺害したと言われている。どこまで本当か分からないが、トントン・マクートの中にはブードゥー教の司祭がいて、政府に逆らう奴をゾンビにして強制収用所でコキ使った、などという話もある。
    また、パパ・ドックは独裁者のくせに一応選挙なんぞやっていたりするのだが、開票結果を見ると「132万票対0票」という有り得ない結果だったりする。

    キューバ革命により赤化した隣国キューバが、ハイチの共産ゲリラを支援して蜂起させたりしていることから、普通に考えれば反共を掲げるデュバリエ政権はアメリカから手厚い支援を受けられそうなものなのだが、あまりの香ばしさに呆れたJ.F.ケネディはハイチへの全ての援助を停止している。反共なのにアメリカから支援を止められる国も珍しい。もっとも、アメリカといえども共産主義の脅威には逆らえず、2年後にジョンソンが援助を再開している。
    パパ・ドックは1964年には終身大統領に就任し、'71年に死去するまで、逆らう者を容赦なく弾圧し続けた。

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