• 令和最初のよさこいソーラン

    2019-05-10 02:32
    香澄さんの「ソーランbeat」という曲を聞きながら、このブログを書いています。

    今年もやってきます、よさこいソーラン祭り。
    子どもの頃から親や祖父母と共に観に行ったものです。
    チームに所属して実際に踊ったり、会場のボランティアに参加したりもしましたが、やっぱり観るのが一番好きですね~。

    今回は「よさこいソーラン観る専」の私が、今年の祭りで期待することや注目しておきたいポイントなどをつらつらと書いていきまーす。

    1.一番期待するのは踊り子の「笑顔」
    アニメ「アイドルマスターシンデレラガールズ」で、武内Pがしきりにアイドル達へ「笑顔です」と言っていましたが、よさこいソーランを観ている側が求めている者も「笑顔」だと思います。

    それも、とびきりの、お客さんが照れてしまうような眩しい笑顔。
    これを見るとね、疲れも吹っ飛びます。癒されるんです。私だけかもしれませんけど(笑)

    ぜひ皆さんも、踊り子たちの素敵な笑顔を目当てに生で見てみてください!


    2.今年の演舞、大賞へのカギは「集団行動」
    よさこいソーランは毎年、一定基準を満たしたチームをブロック分けし審査を行います。
    各ブロック1位は最終日の「ファイナルステージ」へ、2位は同じく最終日の「セミファイナルステージ」に進みます(セミファイナルで1位になるとファイナルステージへ出場できる)。
    各チームが目指しているのが、ファイナルステージ1位の座、つまり大賞! 有名な平岸天神、夢想漣えさしがこの賞を幾度も取っている強豪チームなのです。

    さてさて、審査システムを説明させていただいたところで、今年の大賞を狙うために必要な要素を予想したのでご紹介しましょう。

    ずばり……「集団行動」

    あれですよ、体育の授業とかでやった、全員で素早く動いて、均等な感覚で並ぶやつ。
    よさこいソーランの演舞ではよく見られます。
    この動きが美しいとされるチームは、やっぱり古参チーム(平岸天神とか新琴似天舞龍神とか)でしょうか。

    さて、ではなぜ今年はこれがキーポイントとなるのか。
    2010年、運営はそれまでの審査基準を大幅に変えてきました。以下引用。

    「選考基準
    『演舞・表現にオリジナリティがあり、観る人の心に感動と元気が届けられたかどうか。』
    【POINT】 “感動と元気”という点に重きを置き、チームの多様性を尊重します!」

    2010年から9回の祭りを経た2018年、オリジナリティあふれる演舞や表現をするチームはかなり増えました。それまではなかった大学チームや本州チームの大賞受賞という現象も起こるようになったんですねー。

    ところがですね、よくよく大賞チームを見てみると、やっぱり平岸天神や夢想漣えさしが常連のように名を連ねている。

    個性が強くなってきたよさこいソーランの中で、このチームが安定して高い評価を受けるのは、徹底した集団行動があったからにほかなりません。

    詳しくは動画を見てもらいたいのですが、試しに2012年の平岸天神の動画をYouTubeで検索してご覧になってください。よさこいソーランの歴史における集団行動のお手本がそこに詰まっています!

    個性がひしめき合ってきたことによって、より「よさこいソーラン祭りという文化で培ってきた集団行動」というものが際立ってくる。
    今年は、そういう流れになると考えます。

    そうそう、集団行動と言えば、私の贔屓チーム・新琴似天舞龍神も負けていません。昨年、一昨年と準大賞を受賞しています。
    まだ演舞は見ていませんが、今年の演舞はかなり出来がいいそうです!
    楽しみにしてよう!



    最後に……地元民に愛されてない催し物という立ち位置
    よさこいソーランは地元札幌市民にとって迷惑とされている、みたいな記事をネットでよく見かけます。

    ぶっちゃけますと、市民生活への影響と踊り子(運営も)の意識変革は間違いなく必要だと思います。商業主義や審査へのひはんについては個人の好き嫌いの問題だと思います。

    よさこいソーランに興味のない人からしてみれば、市内中心部や地域の主要な道路に交通規制をかけたり、大音量で音楽を流したりするのは、確かに納得いかないものであり、うっとうしいと思われても仕方ないかと思います。
    まあ、迂回するの面倒だし、大きな音量苦手な人もいるしね。

    また、踊り子の態度の悪さについては、悪気があって取った態度ではないという可能性も考慮すべきだとは思います。
    ですが…自分から踊り子に志願して祭りに参加しているのですから、事前に疲れないための肉体づくりなどはしておくべきでしょう。踊り子自身の管理の「甘さ」と、チーム全体の雰囲気が相まって、マナーが悪い集団と一般市民に捉えられてしまうのではないでしょうか。

    「自分たちの演舞のために、普段の暮らしを犠牲にして場所を提供してくれている」という考えは、最低限持たなくてはいけません。運営側も再認識すべきでしょう。




    今年も、踊り子・観客ともにハッピーな祭りになるといいですね!
  • 広告
  • 雪まつりが終わって。

    2019-02-12 21:21
    今年のさっぽろ雪まつりも終わりました。
    昨年に引き続き、プロジェクションマッピングを利用しての展示がありましたねー。
    中国の旧正月と時期が重なったこともあり、
    来場者数は過去最多となったそうです。

    で。
    書きたいのは開催中のことじゃなくてですね、終わった後のことなんですよ。

    今年は雪像の解体作業、公開にしなかったということなんです。
    しかもその主な理由が、

    「スポンサーがキャラクターの雪像を壊すところを見せたくないから」

    というもの。


    なにをいっとんじゃ!!
    いや、
    そんな理由で解体を非公開にすんじゃないよ!!!


    確かにねえ、解体作業を見るのは寂しいものがありますし、いくら安全策を取ったとしても見る側に危険は出ると思いますよ。

    でもね、それでも見たいんですよ、あの大雪像が壊されるのを。
    我々はね、「どんなに綺麗で立派なものでも、いつかは壊れる」という、
    ある種の無常観を味わいたいんですよ。


    この、「無常感を味わいたい」、というのがキーセンテンスでして。
    私は、普通に生きていて味わう無常観は2つあると思うのです。

    1つは、なんてことない、意識しないと見過ごしてしまうようなもの。
    もう1つは、大事な人や存在を失って、喪失感と共に抱くもの。

    つまり「無常観」には、丁度いいラインというものが、ごくわずかにしか存在しないと思うのです。


    「壊される大雪像」は、その滅多にない「丁度いい無常観」を抱くチャンスと言えるのではないでしょうか。
    目の前でしっかりと壊され寂しい気持ちにはなるが、けれども自分にダメージは一切ない。
    そんな無常観の抱き方、他にないでしょ?


    だからこそ怒っているんです。
    スポンサーの都合で、滅多にないチャンスをふいにされるなんて。



    札幌市の秋元市長は、これからもスポンサーとの交渉を続けると発表したそうです。
    来年には、あの迫力があり、そして寂しく、切なくもある解体作業が見れることを願うばかりです。
  • 僕の思う、テレビが面白くなくなった3つの要因

    2018-09-16 16:01
    テレビが面白くなくなった、と言われて久しい。
    原因として、色々なものが挙げられているのだが、YouTubeやニコ動などの動画サイトの誕生と台頭、そしてSNSの爆発的普及は大きな要因ではないんじゃないかと思う。
    テレビが面白くなくなった原因は、間違いなくテレビ局側にあると思うのだ。


    2000年代のテレビ史を時系列で見たときに、テレビにおける静かなれども大きな転換期がある。その転換期がそのまま、テレビが面白くなくなった=面白いテレビを作れなくなったことの原因として挙げられる。

    1つ目のきっかけは、2006年に発生した、めちゃイケレギュラーメンバーだった山本圭壱(現・山本圭一)の書類送検だ。

    バラエティ番組として老若男女から愛されていた番組で、岡村隆史と肩を並べるほどの存在感を備えた山本の不祥事および脱退は、めちゃイケにとってかなりのダメージを与えた。各バラエティー番組はここから覇権を争うことになるのだが、各局共に攻め切れない番組が乱立されては消されていく(詳しくはWikipedia参照のこと)。

    恐らく当時のバラエティ番組は、各局とも、「めちゃイケありき」で考えられていたのではないだろうか。一種の指標が一時的とはいえ消えることで、各局のバラエティ番組のバランスは著しく崩れていったと思われる。あるいは、この番組の陰で作られていた番組(残念ながら、現在から見てもクオリティーは高くない)が、「めちゃイケ難民」に見られたとき、その出来にがっかりされたのかもしれない。
     
    2つ目は、これもまためちゃイケの話のなるので恐縮だが、岡村の入退院における騒動(ここではあえてそう書かせてもらう)だ。
     
    2007年、同番組はEXILEとのコラボ企画を打ち出し、徐々にではあるが復活を遂げていった。
    しかし、2010年の岡村の体調不良からの入院から事態は一変する。岡村隆史という同番組に欠かせない人材がいない枠を埋め合わせるために、スタッフは新メンバー募集という大博打に打って出る。
    だが、これが悪手であった。新メンバー加入後のめちゃイケは新人にフォーカスしすぎて、方向性を見失っていたのは誰が見ても明らかだ。
    加えて、岡村復帰後もゲストを呼んでグルメ企画をおこなうなど、かつてのバラエティ番組の頂点としての影は、見えなくなってしまった。このころには、もうこの番組は見向きもされなくなってしまった。

    さて、では他の番組はどうであったか。めちゃイケの凋落と同時期、ある大きな事件がテレビ番組の業界を揺るがしていた。
    それが3番目のきっかけ、島田紳助の引退である。
     
    彼が引退前、司会をやメインパーソナリティーを務めていた番組は、クイズ・ヘキサゴン、オールスター感謝祭、開運!なんでも鑑定団などの16本(不定期放送含む。Wikipedia参照)にも及ぶ。これら番組の中心となる人物が消えるというのは、未だかつてなかったのではないだろうか。
    裏を返せば、それほどに「島田紳助ありき」で番組を作っていたことになる。

    この騒動がもたらした問題点は、故・日高晤郎が2011年8月27日の「日高晤郎ショー」の中で示唆している。

    「私が腹立つのは、これ(島田紳助)がいなくなって、テレビの大きな損失だと言っているテレビ局です。お前ら馬鹿か! こんなの(紳助の出演していたような番組)は次から次へ作れるわ、この程度のものは!」

    日高晤郎は島田紳助のことを毛嫌いしたようであった(実際、同日のラジオ内でもはっきりと嫌いであると言及している)。それを差し引いても、彼の指摘は的を射ていると言わざるを得ない。

    というのも、実際、今田耕司やフットボールアワー後藤輝基のような人物たちが彼の番組を引き継ぎ、成立させてしまったからだ。本当ならば、番組の顔であるMC、メインパーソナリティーがいなくなるということは重大事態であり、番組終了の危機となるはずだ。
    だが、実際に終わったレギュラー番組は3つ。司会を変更して継続されたのが4つである。不定期出演も打ち切りとはなっていない。

    僕は、この3つ目のきっかけをもって、テレビが面白くなくなったと感じた人が激増したと感じている。

    紳助の引退は、落ち目にあったバラエティの再生というチャンスでもあったに違いない。
    番組を続けるよりも、新しい番組をすぐさま出せるようにしておくべきだったのである。
    それこそ、若手芸人を発掘し、第二のめちゃイケとなるような番組を。

    ところが現実は、誰もそれに備えていなかった。
    局はどうしたかというと、番組の継続に走ってしまったのである。
    これを見た視聴者は、テレビには面白いものを作る力はないと悟った。
    同時に、「誰がやっても同じ」「中身が同じ」という閉塞感が覆った。
    テレビにとって、この感想を持たれることは致命傷に近いものがあるだろう。


    バラエティの頂点にいためちゃイケ。そのメンバーの不祥事に端を発し、そしてどんどんと競争力を失っていく各局の番組。
    有効な手立てが打てないまま、多くのバラエティ番組が、一人の大物芸能人に頼っていったとき、その人物の突然の引退によって「バラエティ・ショック」ともいえる現象が起きた。
    しかし、彼らが選ばざるを得なかったのは、「凋落することの現状維持」であった。


    まさに、栄枯盛衰である。