夏秋のうつろいゆくなかで~残秋~
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夏秋のうつろいゆくなかで~残秋~

2013-10-05 22:00

     木々から紅葉を終えて散る葉が日増しに増え、朝に寒さの所為で寝床から出るのをためらう事が増えたこの頃。
     あまりもたもたしているとゆかりが起こしにやって来てしまうので、寝床から出るべく無理やり体を起こす。
     窓の外から見える景色はすっかり秋の終わりを感じさせ、気温だけなら冬と言っても良い頃合いだった。
     もっとも、これからまだまだ冷え込んでいくのだろうが。
    「く、ぅ……ふぁ、ぁ……ぁふ」
     脳を覚醒させるために、大きなあくびを一つ。
     壁に掛けてあるカレンダーを見て日付を確認する。
     今日の日付に付けられた赤い丸に、ついにこの日がやって来たことを感慨深く思う。
     不意にドアがノックされる音が聞こえ、返事をする前にドアが開けられた。
     ゆかりが顔を覗かせて、そして珍しいとばかりに目をぱちくりさせる。
    「おはよう、ゆかり」
    「……おはようございます、マスター。今日はお早いですね」
    「……ええ、そうね」
     今日のような大事な日に寝坊はさすがにするまい。
     ゆかりが朝食の準備に戻るのを見送りいそいそと着替えを済ませる。
     正装にするべきかと一瞬迷ったけれど、たぶんいつもどおりのほうがいいだろうと代わり映えのしない格好にしておく。
     朝食を終えたあと、一人で最寄りの書店へと足を運ぶ。
     すっかりと寒くなった季節が少しだけ嫌なことを思い出させて、歩みが自然と遅くなった。
     大丈夫、あれからもう二年も経ったのだから記憶だって薄れている。
     薄れてしまった。
     早朝の書店は会社に出かける前に寄り道をする人意外はあまり見られず、少し閑散としていた。
     目的のものは探すまでもなく、目につく場所に陳列されている。。
     平棚にならぶ帯付きの新刊。
     『佐々木文織先生の遺作刊行、ついに物語は完結した!』などというポップが立っていた。
     一冊だけ手にとってレジへと向かう。
     他にも何人か同じようにしている人がいたのを見て、平静を装うのが大変だった。

     ──貴方は、まだ大勢の人の心に残ってるんだね。

     まっすぐ家に帰る気にもならず、私は本を買ったその足で人気のない公園へと向かうことにした。
     ベンチに腰をおろして、カバーをかけてもらった本を手の中でもてあそぶ。
     すぐに開くだけの勇気は無かった。
     これを開けば、答えが分かるのに。
     渡した原稿のどちらが使われたのかはっきりするのに。
    「……子供か私は」
     まだ背中を押してもらわないとダメなのかと、思わず失笑してしまう。
     少しだけ呼吸を整えてから、意を決して表紙をめくった。
     彩筆さん──文織さんが選んだイラストレーター─も、相当力が入っているのが分かる。
     それも当たり前か、今度お礼を言いに行かなくては。

     一枚、また一枚とページをめくるたびに近づく終わりを思いながら、文章にゆっくりと目を通していく。
     あの人の言葉が、記憶が、息遣いが、ぬくもりが感じられるような気がする。
     酷い錯覚だ。
     残念なことにあとがきが無かった遺稿だから、最後は編集長からの言葉が入っていた。
     最後まで読み終えて、そっと本を閉じる。
     最初から最後まで、あの人の原本そのままだった。

     *   *   *

     ベランダの椅子に腰掛けて、紅茶をすすりながらぼんやりと空を見上げる。
     ゆかりとマキは何も云わないで、そばに一緒にいるだけだった。
     二人なりの気遣いなのだろう。
     マキは秋の名残とばかりに買ってきたさつまいもを蒸し焼きにしていた。出来るのはもうす
    こし後だろうか?
     特に話す話題があるわけでもなく、紅茶を片手にぼんやりとする時間を取るのは随分と久しぶりな気がした。
     思えばあの時から、こういう風に過ごすことはあってもどこか休めた気がしなかった。
     本当に、終わったということなのだろう。
    「約束をね……」
     なんとなしに口からこぼれた言葉は、特に二人にあててというわけではない。
     それでも、聞いて欲しかったのだろう。
    「守れなかった気がする……」
     二人も言葉に困ってか、何も言わなかった。
     それで十分だけれど。
    「どうなれば守れたのかもわからないのに、おかしな話よね」
     約束を果たす相手が既に居ない以上、どうしようもないだろうに、私は何を求めているのだろうか。



     やや厚着気味にしたおかげか、秋のやや肌寒い気温が程よく心地よかった。
     その所為だろうか、気がつけば私は寝入っていたらしい。
     ベランダに置いてあるテーブルに突っ伏して熟睡していたのか、日はすっかり落ちかけて空が茜色に染まっている。
     ティーカップはおそらくゆかりが片付けたのだろう、少なくとも足元に落ちて割れているということはなかった。
     しかし、秋とはいえ寝ていたらさすがに寒いだろうに結構長く寝ていたものだとおもったら、ゆかりのパーカーを羽織っていた。
    「よく気の利く子だわ……」
     いい生地で出来たパーカーは少し重くて、とても暖かかった。
     居間のほうへ戻るとなにやら一抱えほどあるダンボールが置いてあり、マキとゆかりは台所で何やら作業中のようだった。
     通信販売で何かを頼んだ記憶はない。そもそも伝票が貼られていないし、剥がした形跡もないから違うのだろう。
    「あ、マスター。おはようございます。 えっと、寒くなかったですか?」
    「ええ、これのお陰でね、ありがとうゆかり。ところで、このダンボールは?」
     パーカーをゆかりに返しながら尋ねる。
    「マスターが寝てる間に如月さんがいらっしゃいまして、マスターに渡してくださいと言って置いていったんです」
    「起こしてくれれば良かったのに」
    「如月さんが起こさなくていいと言ったので……」
     気を使ってくれた、ということだろうか。
     あるいは、気まずかったからかもしれない。
     なんとなく箱を開けることをためらっていたけれど、ゆかりがカッターを持ってきてくれた手前そのまま放ることも出来ずテープを切る。
     中から出てきたのは編集長からの封筒と、文織さんの遺作となった文庫だった。封筒の中身はおそらく手紙だろう。
     朝一番に書店へと足を運んで買ってきたあとだからか、見てどうという感情も起きない。
     手紙の方も今ひとつ読む気が起きなかった。
     何が書かれているのかが怖いということは一切ない。
     ただ単にどんなことが書かれていようがどうでもいい、という方が感情としては近いだろう。
    「読まないんですか?」
    「……気が進まないわね」
     封筒を開けるでもなく見つめるだけの時間が過ぎる。
     いっそこれが、あの人からの最後の手紙であったほうがまだ気が楽だったかもしれない。
    「ゆかりちゃん、どうし──あ、文葉さん起きたんだ。箱開けたんですか?」
     ゆかりが頷くことで肯定すると、マキは私の持っている封筒へと興味を示す。
     開けないのかと目が言っているけれど自分で封を切る気にはならなかった。
    「マスター、あれでしたら私が読み上げましょうか?」
    「ん? ああ……そうね、お願いするわ」
     そう言って封筒の封も切らずにゆかりに手渡す。
     ゆかりは綺麗に封を切ると中の手紙を取り出した。
    「拝啓、読月文葉先生。この度は遺稿の推敲作業お疲れ様でした。編集部において議論を交わし、様々な事情を加味した結果、一般に販売するものについては文織先生の作品をそのまま出すことになりましたことをご報告させていただきます」
     既にわかっていることを改めて告げられても何の感慨も浮かばないものだ。
     せめて、ないまぜになった感情が表情に出ないように務めるぐらいか。
    「お二人の婚約が公表されていたのなら、先生に原稿の推敲を任せても世間が納得したとは思います。しかしそれが出来ないままにあの原稿を出せば、本人の書いたものなのかという話が持ち上がるという危惧がありました。それぐらい、あれは文織先生の世界でありながら、文葉先生の原稿であったと思っております」
     手紙越しに私の様子を伺うゆかりに頷くだけで先を促す。
    「文織先生と文葉先生との約束については伺いました。その約束の原稿の出来は、私が言ってもおそらく貴女は喜ばないでしょうが、文織先生が望んでいたものになっていると思います。このまま無くしてしまうのが惜しいと思えるほどに」
     ゆかりがまた読み上げるのを止める。
     私は今、どんな顔をしているのだろうか。
    「ごく一部、文織先生と文葉先生の関係者用に、文葉先生が推敲なされた原稿で文庫を作りました。今回お送りしたのはそちらの版になります、どうぞお納めください。またご連絡致します」
     ゆかりが手紙を読み終わり、動かない私に箱の中の文庫を一冊手渡してくる。
     書かれていた手紙の予想外な内容に、本を受け取る手が震えているのが分かる。
     これ以上少しでも何かあったら、もう抑えなんて効かなくなってしまうだろう。それでも、確かめずには居られない。
     表紙も挿絵も変わらないけれど、そこにあったのは確かに私が手を入れた文章だった。
    「はは、は……」
     形になったそれを前に、どう反応すればいいのかわからず乾いた笑いだけが漏れる。
     視界が滲んで涙が溢れだしているのに、私は嬉しくて泣いているのか悲しくて泣いているのかすら分からない。
     ただ、あの日からの二年間で溜め込んでいた何かが一気に吹き出したようで、それを止めることなどできなくて、ただ泣くしかなかった。
    「文葉さん!?」
    「マスター!?」
     急に泣きだした私を心配して近寄ってきた二人に縋って、ただ全て溢れだすままに泣き続けた。
     マキとゆかりの私を呼ぶ声がひどく遠く聞こえた。



    「……っ、……う、ふぅっ……」
     どれ位時間が経っただろうか、ようやく感情の波が落ち着き始め呼吸を整えられる程度になった。
     マキは私を抱きしめたままで、ゆかりは隣で私の手を握っている。
     ふたりとも何も言わない。
     ただ、そばに居てくれた。
    「……っ、は……ぁ……」
     呼吸を整え終わって離れると、マキの服が結構な範囲で濡れていて、改めて自分がどれだけ泣いていたのか気づく。
    「……ごめんね、もう大丈夫だから」
     黙ってそばに居てくれていたと言うよりは、掛ける言葉が見つからなかっただけなのかもしれないけれど、私にはそれで十分だった。
    「あの、マスター……どこか痛いんですか? 本当に大丈夫ですか?」
    「ちがう、違うのよ……なんでもないから」
     そういって二人を、今度は私から抱きしめる。
     ふたりとも確かにここに居て、その温もりを感じられることを確かめるために。
    「文葉さん、本当に大丈夫?」
     普段私のしないような行動のためか、マキの声が珍しく不安げだった。
    「マキ……ゆかり、あなた達は……居なくなったりしないわよ、ね?」
     普段の自分なら絶対に言わないようなことが自然と口から漏れる。
     心の奥底でずっと抱えていた不安。
     置いて行かれる事への恐怖が、感情の堰が決壊したことですべて溢れだしているのだろう。
     それでいいと今は思える。
     この二人になら晒していい、見せていい、知られていい。
     あの人がそうしてくれたように、そう在ろうとしてくれたように、きっと同じように私を受け入れてくれるだろう。
    「私がマスターを置いてどこかへ行くわけがないです」
    「うん、私も」
     二人の言葉が最後の一線だったのか、溜め込んでいた何かが消えた気がする。
     その約束が果たされるかどうかはどうでもいいのだ。
     そう、思ってくれている、それだけで十分だった。
    「マキ、ゆかり……今夜は一緒に寝ましょう」
     私の言った言葉に対して、二人は少し驚いたようだった。

     *   *   *

     居間に敷いた正方形の敷布団の上にシーツを敷いて簡易的な三人用の寝床を作る。
     思えばこれを買ったとき、あの人は気が早いと笑ったものだ。
     それは言ったとおりだったけれど、無駄にはならなかった。
     思い描いていた未来とは色々と違うことにはなったけれど。
    「こういう風に寝るのって何時以来かしらね」
     自分でもかなり寝床を作るのが楽しくなっているのは自覚していた。
     どうせならクッションやらぬいぐるみやら諸々持ってこようかとすら考えるほどに。
    「文葉さん、本当に大丈夫?」
    「マキは楽しくならない?」
    「うーん……よくわからないかな」
     完成した寝床に潜り込んだマキの頭を撫でつつ、足りないものは無いかと考える。
     特に思い浮かばなかったから大丈夫なのだろう。
    「私は結構ドキドキしてます。一緒に寝るなんて初めてですし」
    「ああ、そうか。ゆかりちゃんは文葉さんと一緒に寝た事ないんだっけ?」
    「マキさんはあるんですか?」
    「むしろ最初の頃は寝床がなかったからそうせざるを得なかったというか……」
     当時寝る場所がなかったからという理由で、しばらくの間はマキと同じベッドで寝ていた事がある。
     そうしたことの差が二人に顕著に出ているらしかった。
     寝床に潜り込むと、そのまま空に浮かぶ月を眺めることができて、なかなかに新鮮だ。
     マキとゆかりの温もりが感じられて、一人で寝る時とは違った安堵感もある。
    「そういえば、マキさんが初めてマスターにあった時はどんな感じだったんですか?」
    「ん? そうだねぇ、あの頃の文葉さんは……ひどく無気力というか、無感動というか、感情が死んでたっていうのが近いかなぁ」
     それはさっきまで続いていた事なのだろうと、マキの話に耳を傾けながら思う。
     あの日から今日まで、私はずっと前に進めずに居た。
    「そうね、あの頃はマキも私のことをマスターって呼んでたわねぇ」
    「そうなんですか?」
    「ええ、名前で呼んでと言ってもなかなか呼んでくれなくてね?」
    「初めて名前で読んだときの文葉さんの反応はよく覚えてるよ」
    「仕方ないじゃない、嬉しかったんだもの」
     とりとめのない、大体はゆかりがうちに来る前の出来事を話しながら夜は更けていった。
     やがてマキが起きていられなくなり寝息をたてはじめ、私とゆかりも眠気にうとうとし始めた頃、ゆかりが寄り添ってきた。
     その様子は、少し寂しそうというよりはいじけた様子に近い。
    「どうしたの?」
     頭を撫でてあげながら聞くと、パジャマの裾を掴んでくるところがとても可愛らしい。
    「あの……一つ聞いてもいいですか?」
    「なに?」
    「もしも……過去を変えられるとしたら、どうしますか?」
     その質問の意味を理解するのに少しかかり、そしてゆかりが思っていたよりも多くの感情を溜め込んでいるのだと気づかされた。
     それは私が昔書いた短編小説の一節。
     その小説の主人公は、過去を変えることによって失くした未来を掴むけれど、結果としてそれまで支えてくれた様々なものを失うのだ。
     私の本を読んだゆかりは、私が書いたそれの答えを知って不安を感じたのだろう。
     たぶん、それが私の傷に触れるものだとわかった上で聞いている。
     どう答えるか考えて沈黙している間、ゆかりの不安そうな目が少し辛かった。
    「そうね……もしも今の、ゆかりもマキもいる生活に、あの人も一緒にという未来があるなら、変えたいと思う」
     おそらくこれは、人として当たり前の答え方なのだろう。
     誰もがそう望むに決まっている、至極当たり前の欲張りな答え。
    「でもね……あの人を亡くさなかったら、きっと私はマキと出会うことは無くて、そしたらきっとゆかりと出会うこともなかったのよ」
     それは間違いない。
     あの人がいればおそらく、私はマキを迎えなかったしその理由も必要性も持たなかっただろう。
     それによってゆかりのことを知る機会も失っていたはずだ。
     過去から今は全てつながっている。
    「私は、ゆかりとマキを、あの人との天秤にかけるつもりはないわ。だから……それならきっと私は過去を変えないと思う」
     過去に私が出していた答えとはまるで違うことを言っている自分が、少しだけ意外だった。
    「文織さんのこと、好きじゃなくなったんですか?」
    「まさか、今でも愛してるって言えるわ。でもね……あの人なら、過去の出来事を否定して今を冒涜するなって言うと思う。過去の出来事の結果に今がある以上、その今に大切なものがあるなら過去を受け止めろって……そう言うと思うの」
     過去を否定するのなら、そこから今に至るものすべてを否定しなければいけない。
     いいことも、悪いことも。
     つまり、マキとゆかりのことも。
     そんなことはできない。
    「そう、ですか……ごめんなさい、酷い質問しました」
    「いいのよ」
     そっと頭を撫でて抱きしめる。
     二人に出会う前の私なら、おそらく躊躇なく変えると答えていたと思う。
     それを違える結果になったのは二人のおかげだ。
     そうしてふと、昔とはだいぶ違った考え方をしているという事に気づいた。
     二年前から変わっていなかったと思ったけれど、ずっと変わり続けていたのかもしれない。
     あるいは、二人を迎えたから変われたのか。
    「ふたりとも……ありがとう」
    「?」
     私の言葉の意味が分からないのかゆかりは首を傾げるばかりだったが、やがて睡魔に負けて寝息を立て始めた。
     二人に、マキとゆかりに出会えて良かったと思う。

     もうすぐ冬が来るけれど、去年よりもずっと暖かくなりそうな、そんな気がした。



    夏秋のうつろいゆくなかで~了~


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