• パラサイト半地下の家族感想

    2020-02-16 02:07

    アカデミー賞受賞と聞いて観てきましたが、正直物足りないところもあります。前半のコメディ調から後半で一転、韓国の社会背景から描かれたエグい演出の数々は、盛られた部分もあれど私の大好物です。

    「匂い」をキーに据える演出が素敵です。早々に半地下を出るか、ファブリーズでも使っていればまた、父親の結末は変わっていたかもしれません。

    設定の疑問、「そんな生活バレないわけがない」はまあスルーして、特に事実なのか気になったのは、半地下の設備事情。東京なら機能差でああはならないのですが、調べたら韓国は本当にあるらしい。設備強化でも法規制でも、感染症の温床にならないよう国が動くべきところ。貧乏人は鼠と同じ扱いなのでしょうか、人権軽視は明白です。

    両親はどうして半地下に暮らし始めたのか?
    子供たちは幼少をどのように過ごしていたのか?
    おそらく韓国の方が観ると違うのでしょう、私にはどうしてもツギハギの家族のように見えてしまって、さっぱりでした。

    主人公の変化は目まぐるしく、それらの演出はどれも光っていました。社会的成功を象徴する石を手放せず、震えながら家族を巻き込んだ責任を負おうとして、身の回りの他者の滑稽さに気づき笑いが止められなくなる。

    ジョーカーがきっかけも含めて記号の羅列のように感じられるのに対し、パラサイトはフィクションがありながらも、「割といる」人の苦しみの中で悟り、熱を失っていきます。
    貧困に生きる主人公を描いたこの2作品であれば、アカデミー賞がどちらにふさわしいか、受賞の正当性に異論ありません。


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  • ジョーカー感想

    2019-10-14 15:10


    ジョーカー思ったより物語に入れませんでした。

    ちらと前評判見聞きした限りでは「絶対ハマる」と思ったのに。。
    映画に疎い私には、演技も演出も展開も、どれをとっても一流の技術が注がれているように見えたというのに、悔しいので何故入れなかったのか考えてみます。


    まず一番に思いつくのは、あまり観客を作品に引き込むと、観た人を「ジョーカー」にしかねない、という危惧から、監督?脚本?が吸引力を抑えた、制作側の配慮により没入させてもらえなかった可能性です。

    登場時点のアーサーは、自身がカウンセリングに通う障害持ちでありながら、日々認知症の母親を介護して、ピエロに扮装し店の売り子として働き、貧しい生活を送っている様子です。

    母親と過ごす家では、介護負担を横に置いてしまえば、母親想いの息子、息子想いの母親で、互いへの信頼関係は良好で、大好きなコメディ番組を2人で観て、そこに唯一の癒しが存在します。
    これだけであれば「ジョーカー」は生まれませんでしたが、アーサーが持つ突発的に笑ってしまう障害は、一度笑い出したらすぐに収まらないことが多く、発作を起こす度に白い目で見られ、トラブルにも巻き込まれます。

    アーサーの、子供の頃からコメディアンになりたいという夢も、そんな障害を持つ息子に対して母親がかけた

    「どんな時も笑顔で人々を楽しませなさい」

    という励ましの言葉に起因していると思います。

    白い目で見られ、馬鹿にされ、暴力を振るわれる。
    心を許せる友人もなく、たまにスタンダップコメディを観に行っても、意識しないと一人笑うタイミングがずれてしまう。
    日々ノートに新しいネタを書き込むけど、発作のせいでコメディアンの仕事はもらえない。

    日常的に薬を服用し、ごまかしていても、その心の内は苦しみで満たされている。

    はっきり描かれているのはそこまでです。
    容易に、幼いころはより壮絶な体験をしていることが想像できます。

    その日何をされたかなど、母親には言えなかったかもしれません。
    あの時代のカウンセラーに相談していたとして(いない時代かも)、描かれたアーサーを見る限り、心は救われていない様子です。それどころか「心の病気など存在しない」といったことを言われ、より深く傷ついていたかもしれません。

    その辺りをもっとしっかり描けば、観客はより入りやすいと考えますが、作中ではついに描かれませんでした。

    日本にやってくる外国産の映画(特にジョーカーのような作品に対して)は、制作側に相当な実力があると私は考えます。「尺の都合」とは別の理由で、意識的に描写を避けたように感じます。
    ※その狙いが、観た人を「ジョーカー」にしないためとは限りませんが


    突発的に笑ってしまい、それはすぐに収まらないという障害がどれだけの地獄をもたらすのか、これは考え続けることにします。


    次に思いついたのは、私個人の問題に起因するものです。

    突発的に笑う障害はないものの、私にも後天的な障害があります。こちらは中学の頃に確かになりました。
    私が私の母にうすら寒いものを感じたのは、幼稚園の頃が最初で、それが確信に変わり、母を切り捨てることを決めたのは小学生の頃です。
    私にはこれまでの人生で、アーサーが母親へ向けたような、誰かを信じる、救いにするといったことはできていません、この先もできないままかもしれません。

    そんな私には、アーサーの母親の、毒親としての振る舞い、「アーサーへの裏切り」が、どれほどアーサーの心を傷つけたのか、まるでわかりませんでした。
    作中の重要なキーのはずなのに、すごく損した気分です。。


    最後に、入れなかった原因ではなく、私の好みですが、
    「悪のカリスマはこうして生まれた」とするために、アーサーには過度に特殊な生い立ちが設定されていて、私にはこれが可能性の排除、選択の自由がない印象を受けました。
    選択した未来の積み重ねではなく、避けようのない外的要因、抗いようのない運命のままにジョーカーが生まれたとする物語。
    アーサーが誤った選択をしてジョーカーになったというより、最初から、生まれた時点でジョーカーになる以外の道は用意されていなかったかのような展開。

    犯罪者を主に据えた物語で、何をやっても変わらない、何をやっても今より悪くなる、何を選択しても救いようのない運命に帰結するというのは、観る側に向かって「お前も生まれが不遇なら犯罪者になれ」と言ってるようで気に入りません。こっちはなりたくないんじゃ。


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  • 「簡単な物語を好む人」その危険性について

    2019-10-06 22:1569

    私は数年前からツイッターを利用しております。
    最近、フォローしてる人のつぶやきだけでなく、私がフォローしてる人の、さらにその人がフォローしてる人のつぶやきも、タイムラインに流れてくるようになりました。

    もはや一切接点がない人のつぶやきですので、機能実装当初は無視するだけと思っておりましたが、そこはフォローしてる人がフォローしてる人ですので、どこか感性に似通ったところがあり

    結果としては、ついつい「リツイート」「いいね」をしております。

    そんな接点のない人のつぶやきの中でも
    「考えてみた」ツイートが結構好きです。

    もともと私がフォローしている方々に、定期的に「考えてみた」ツイートを発信してる方が何人かいらっしゃいますが、この方々は私にない意見、私が発想できない主張をしますので、
    私はそれを見ながら日々思考を巡らせております。
    ※動機から何からご年配の方が
     ボケたくない一心でやってる
     「おまじない」と一緒です。

    フォローしてない人、接点のない人の「考えてみた」ツイートをみると、その人のことはまったく知らない上に、仕事関係の話だったりで、私が見ても「何言ってるかわからない」ものもあります。

    中にはただただ私の考え方とは真っ向対立する主張もあります。
    それらの多くは見てすぐに、認識情報量の差によるものとわかりますし、大抵誰かしらに指摘され、やいやいしてるの見るのも素敵です。

    でもそんな一部のものを除けば大半は、私が興味ひかれるものです。もちろん知らないことを知れたり、気付かされることもあります。

    そんな興味ひかれる
    「考えてみた」ツイートの量産主に、
    砂鉄@satetu4401 さんがいます。

    自ら「思考実験」と語るように、この方は日々興味深い思考内容をつぶやいております。

    今回の内容はそんな砂鉄さんの思考実験から、さらに実験して、私なりの見解を述べたものになります。

    一度ここで思い出してください、タイトルは
    「簡単な物語を好む人」その危険性について
    ※主題明示の圧倒的遅刻感

    以下に、砂鉄さんの普段のつぶやきをいくつか記載します。










    いくつか引っ張てきましたが、面白くないですか?
    こんなん思いつくたびよく言葉に起こせますね。私がやろうとしても、私の場合言葉にしないままなので、1週間かけて言葉整えて、ようやくこのレベルの1ツイートできるかどうかです。できるかなぁ!

    そして以下が主題のつぶやきです。
    ※今では消されているため、
     内容は思い出して書き起こしてますので、
     細かい表現に差異があります。
     それでも大筋は再現できたと思います。

    「ヲタクがアニメで難解な物語を好むのは、
     ヲタクには社会が理解できず、生き辛く、彼らにとって、
     社会は難解なものでなくては許せないから。
     
     社会が簡単なものであることを
     理解している人達は、難解なアニメを見ない」

    多分にヲタクは頭が悪いといった含みのあるつぶやきですが、特に惹かれたのは、当時私なりに解釈したところの
    「社会を生き辛い人達は、難解な物語を好む。
     なぜなら簡単な社会を理解できないから」
    という考え方になります。

    このつぶやきで使用された「難解な物語」の表現について整理しておきます。その表現の示すものは、脳に、精神に、負荷のかかる、以下のような物語と考えます。

    ■難解な物語
     ・展開が読みにくい、
      すこし目を離すと話が解らなくなる、
      行動原理も感情も
      はっきり言葉で説明されないため、
      思考しながら追わないといけない物語

     ・登場人物が困難に苛まれ、苦しみ、
      追えば現実を生きる困難さが
      想起される物語

    対するは「簡単な物語」として、単純に上の「難解な物語」とは逆の性質を持つ物語とします。

    ■簡単な物語
     ・展開が読みやすく、
      すこし目を離しても話が解る、
      行動原理も感情も
      はっきり言葉で説明されていて、
      思考しなくても追える物語
     ・苦難は一切なく、
      (一見困難に見えても簡単に解決する)
      登場人物は苦しまず、
      現実の困難さは一切想起されない物語

    このつぶやきのように一旦社会が簡単なものだと仮定すると、社会を生き辛い人達は、簡単なことも理解できないくらい、頭が悪いことなってしまいます。

    社会を生き辛い人達は(特に難解な物語を好む人達は)、自分の頭が悪いことを否定するために、本能的な自己防衛によって、「社会は難しい、難解である」ことを肯定する材料で、
    自分の周りを固めようとします。

    自分の周りを自分で集めた肯定材料、「難解な物語」で埋めて自分に言い聞かせます。

    「あの登場人物も、
     襲い掛かる苦難に悩み、苦しんでいる」
    「あの登場人物もこの登場人物も、
     誰もかれもうまくいかない、苦しんでる」
    「社会も同じだ、社会は難解だ、
     難しい、理解できないのは当然だ」

    「だから自分は大丈夫だ、
     自分だけが社会で苦しんでるわけじゃない」
    「社会が理解できないのは、
     自分の頭が悪いからじゃない、
     みんな理解できてない」

    言葉を合わせながら表現しようとするとこんな感じでしょうか。

    低収入だったり、社会的弱者という立場は許容できても、自分の頭が悪いという自己評価をしたくない、許せない、我慢できない。

    そういう人たちが一定数いるのは確かです。そして私もその一人だと感じます。

    ・「アニメ」なのか、映画やドラマ、本も含む「難解な物語」なのか、
    ・「ヲタク」なのか「難解な物語を好む人」なのか
    表現のブレは置いといて、非常に惹かれました、共感に近いです。
    リツイート数もいいね数も当時、数千を超えて伸び続けておりました。

    「社会を生き辛い人達は、難解な物語を好む」は非常に刺さります。
    かくいう私はアニヲタで、超がつくほど「難解な物語を好」み、生きてて辛くないか、精神的に辛くないかと聞かれると、強く否定することはできません。

    私は毎シーズン、全新作アニメを観て「難解な物語」を探します。
    新作アニメの多くは「簡単な物語」ですので、よほど楽しめる魅力がない限り途中で切ってしまい、最後まで観るのは、展開やオチが読みにくかったり、言葉で語られない感情を考えなければわからなかったり、あとは単純にコメディ要素や、起承転結が気持ちのいいアニメだけになります。

    圧倒的に「難解な物語」が好きなので、最近は本も読んで「難解な物語」を探してます。

    そんな私が「難解な物語を好む」理由が「簡単な社会を理解できないから」ですから、この思考実験のつぶやきについて考えないわけにはいきません。

    つぶやきにはいくつか返信がありました。




    こちらは私もほぼ同意見です。まずそうだろうと考えました。





    こちらもその通りだと考えております。
    ※アイコンが白いのは仕様です。お使いのパソコンは正常です

    あまり声を大にすることは憚れますが、単純に考えて、現実がうまくいかない人ほど、脳に報酬が足りてない状態ですので、足りない報酬を物語で得ようとする人は、より手軽に、さらには低コストで報酬を得るために、思考負荷の少ない「簡単な物語」を好むのではないでしょうか。

    ※「簡単な物語」で報酬を得るといっても、
     媒体が本だと読解負荷が発生しますので、
     多くは「アニメ」「映画」「ドラマ」
     のような視覚によって、物語を追うのが
     容易になる媒体を好むと考えます

    ※「簡単な物語」に報酬を求めない人は
     何によって脳に報酬を与えるか。
     仕事で成果を上げるか、買い物か、
     家族やパートナーに甘えるか、
     お笑いで笑うか、性欲に走るか、
     麻薬に走るかでしょうか。


    現実がうまくいかない人ほど、思考負荷のかかる難解な物語を観ていられないと考えます。





    性にオープンになってきた社会背景から、ハーレムものが許容される割合が増加していることは置いておきます。

    この返信より上の返信と、私見から、「最近は超絶イージーなハーレム物語ばかり」は、社会全体のストレス上昇のために、「難解な物語」を観る人が減り、「簡単な物語」を観る人が増えた結果、返信の結論とは逆で、

    「負け組が増えたから、
     簡単な物語ばかりになった」

    と考えることもできます。ただし根拠としては弱いですね。

    簡単な物語が増えた理由は、以下の理由が何より影響していると考えております。

    ・一昔前と異なり、個人で作った物語が
     発信しやすくなっており
     誰が認めなくても(つまらなくても)
     足切りされず、いつまでも露出が続く。

    ・しっかり錬られた「難解な物語」と比べ、
     「簡単な物語」は作りやすく、
     すぐに次が出せます、伴い、
     「新しい」ものとして世に顔がでやすい
     ⇒ 人目に触れやすい
     ⇒ 有名になりやすい
     ⇒ 売れやすい

    ・アニメ化する際、
     原作者に支払う金額を節約するため、
     今有名になりつつある新人、
     上に記載したような、
     簡単な物語を量産する作家を起用する
     ※完全に有名になった作家だと高額
     ※実力が伴う難解な物語を書く作家は
      他から高額で声がかかる

    ・アニメ化する際、
     原作者に支払う金額を節約するため、
     自分たちで「簡単な物語」を
     書いて外注費を浮かす


    需要がどうとかではなく、作りやすさ、発信のしやすさによって、「簡単な物語」が割合多くなってきていると感じます。


    以下は私の返信です。






    最後の内容を補足します。

    「簡単な物語」のアニメを観ることを、一時的な娯楽として嗜む程度であれば問題はありません。

    しかしながら「簡単な物語」に含まれる、「現実から乖離していてる」物語は、相乗効果といいますかなんといいますか、危険なものになります。

    現実が生き辛く、ストレスを抱えた人達が、脳負荷少なく刹那的報酬を得たいがために、簡単な物語ばかり観続ける。

    何の脈絡も工夫も努力もなく、ひたすら順調に幸せになっていく物語を観続ける。

    因果関係が現実から乖離して描写され、それを見続けることになるのですから、それこそ暗示や催眠と表現しても過言でないと思います。少しずつ、現実を生き辛くなると考えます。

    物語上で簡単に解決するものが、現実ではうまくいかないことに、手遅れになってから気付いたり、もはや気付くことすらできなくなったり。

    区別できるうちは構いません。定期的に頭空っぽにして、リフレッシュして生活が豊かになる分にはむしろ成功です。

    娯楽と現実をしっかり分けて、現実で成果を上げるべき局面で、思考の阻害にならないなら問題ありません。

    どこでもいつでも「何とかなる理論」を主張して、防げたはずの損害を出さなければ問題ありません。

    「いつか自分も、
     このまま我慢していれば
     きっといつか幸せになれる」

    望みの薄い、勝率1%下回る賭けに、それを賭けとも気付かず必ず幸せになれると信じ切って思考を止めてしまわなければ、問題ありません。

    アニメの台詞をどこでもいつでも通用すると信じて、思考を止めてしまい、関わりある隣人の方々に迷惑さえかけなければ問題ありません。

    私は二十年前から「簡単な物語」を嫌っております。
    それを観ることで、少しずつでも、生き辛くなる危険性がある、そう強く感じるからです。

    制作側はより低コストで、
    より大きな利益を出さなければなりません。
    直接の制作者ではなく、
    経営陣に多いはずですが、
    彼らは観る側の人生がどうなろうと
    問題にはしません。