フランスではバカンスシーズンまっただ中で、街中がとても静かです。こちらでは、大体夏は3週間くらい仕事を休むのが普通らしいです。研究室に行っても僕と後一人くらいしか来ていません。平日なのに郵便局が閉まっているという、日本ではちょっとありえない事態も発生しています。正直困ります。
ありえないといえば、たまに警察官や消防士がストライキデモをやっていたりします。消防士が発煙筒を焚きながらデモ行進するんですよ。火を消すことを使命としている人たちが、火をつけてねり歩いているんです。すごいですよねー。その間に放火事件とかあったら、どうするんだろうか?
しかしながら、そんなフランスの1人あたりのGDPや平均寿命や科学技術力は、日本と大差ありません。
小さい頃から塾に通いながら必死で勉強し、社会に出たら残業漬けで余暇をなかなか撮れない日本人と、2時間のランチタイムを毎日取り、6時以降に仕事をすることなど滅多にないフランス人。この両国の生産力がほぼ同じというのは、ずっと不思議に感じていたところであります。
この原因の一つに、日本では無駄なことに時間を費やしている、ということがあると思います。根回しのための根回し、サービスの準備のための準備、形だけの会議、などなど。
まぁ、日本人は小学校の頃から朝の校庭で校長先生の毎回同じような話を延々と聞かされたり、行進の練習を毎日させられたり、ぞうきんがけ競争をさせられたりと、何ら生産的でないことを小さい頃から経験しているので、そのような「儀式」があるのが当たり前になっているのでしょう。
日本で無駄な時間を費やさずに生産性を高めるには、そういう儀式に付き合うのをやめるべきでしょうね。空気を読んだら負けだと思います。
★クマムシトリビア その19
読者からのクマムシにまつわる様々な疑問に対して堀川が回答...の予定だったのですが、前回からクマムシさんとクマムシ助手のゆうさんにバトンタッチしています。
◆ 質問:
森山さんのサイエンスメールも購読しているんですが、今やってる堀川さんのインタビュウのなかで「復活しないクマムシ」ドゥジャルダンヤマクマムシの話をされてましたね。
森山和道:サイエンスメール
それでちょっと思い出したんですが、前にクマムシを観察したときには、心臓のような臓器は観察できませんでした。多分、小さいので循環器系はほとんど要らないんだと思いますが、だとすると乾眠後に死んだかどうかの判定は「動くかどうか」なのでしょうか。まあ「死とは何か」という面倒な問題も横
たわっていますけど、計測するということを考えると、「動くかどうか」というのは面倒なように思うんですが、どうなんでしょうか。
◇ 回答:
とても本質を突いた、そして難しい問題ですね。おっしゃるように、「生とは何か」そして「死とは何か」に関わる問題です。これは「生」と「死」をどのレベルで定義するかにかかっいきます。個体なのか、組織なのか、細胞でのレベルなのか。はたまた分子のレベルなのか。
慣習的には、クマムシが生きているかどうかは個体が動くかどうかで判断します。具体的には、あるストレスを乾眠クマムシに与えた後に水をかけてから24時間以内に動いた個体を「生きた」、動かなかった個体を「死んだ」ものとして判断します。
ここで同じ「動いた」でも、例えば元気よく8本の肢で歩行した場合、弱々しく肢を伸ばしたり縮めたりするだけの場合、肢の動きはまったく見られず体を少しねじらせる程度、などなど色々なレベルがあります。歩行行動が見られない場合、ストレスによるダメージが個体にあることは明らかでしょう。
ただ、個体が動かない場合でも組織や器官が動いていることもあるわけです。