【雑記】SNS時代のコミュニケーション
閉じる
閉じる

新しい記事を投稿しました。シェアして読者に伝えましょう

×

【雑記】SNS時代のコミュニケーション

2020-08-27 12:00
  • 1



表題について、思ったことについてまとめておきます。

人は本質的に自分の見たいもの、信じたいものしか見ない。”見ない”というよりかは、受信をしない。
そして、そうでないものも見ようとするのが「知性」で、そうでないものも受信してしまうのが「感受性」ではないだろうか。
――私の友人



◆SNSはディスコミュニケーション化している?
バチャ豚な私は、最近になってTwitterで推しの人にたまにリプを送ったり、リストをやっと作ったんですね。そしたらタイムラインがもうVの人一色に染まったんですよ。これめちゃくちゃビックリしたんですよ。
「そういや、今日Twitter半日くらい見てなかったな~」って思って開いたら、タイムラインの一番上に「4時間前に●●さんが☆☆ってつぶやきました」みたいなの毎回出てくるようになって、泡吹いたんですよね。

SNS上では、「お互いに見せたいものを見せる」って言うだけではなくて、システムによって最適化されたフィルタリングが掛かっていて「お互いに見たいものを見る」というような、双方の合意がなされたコミュニケーションがシステムに管理され行われてる。その極地だって実感したんですね。

こう、エコーチャンバー現象しかり、めちゃくちゃ偏った意見の人たちが出てくるのって、こういう事なのか・・・!だからこうよく皆が「偏った人の意見を耳にするときは、逆側に偏った人もチェックして、中立を保つように心がけないとダメ」って言ってた意味がよーく分かったし、アカウント何個も使い分ける必要ってなくない?って思ったけど、そういうことか・・・!ってめちゃくちゃ納得しました。

その果てに思ったのが小題につながるわけですが、そこまでシステマチックに管理されたコミュニケーションとは、本当にコミュニケーションといえるのか?
そもそも、自分と言うフィルタによって言いたいことを制限し、そしてシステムによって見えるものを制限し、そして受信者が率先して見たいと思った発言のみを抽出していく。
もはや、誰かとのコミュニケーションを行うツールではなく、自分にとって都合のいい意見を汲み取るだけの装置、ディスコミュニケーション化しているじゃないか!と感じました。

そのような合意が最適に行われるようになったのは、以下エントリで述べている、「潔癖化」の象徴でもあるような気がしています。
●【雑記】僕たちが「死にたい」と呟く理由
https://ch.nicovideo.jp/kuramubon/blomaga/ar1929300


◆僕たちは既にアバター化をはじめている
そうした、「お互いに見せたいものを見せる」「お互いに見たいものを見る」と言うことが当たり前となった現状で、僕たちがどうなったかと言うと”アバター化”が進んだんだなと感じました。

何が言いたいのかと言うと、こう普段我々が生活している時にいろんな顔って持っているじゃないですか。「家族との顔」「会社での顔」「友達との顔」と言うように”ジョハリの4つの窓”しかり、色んな側面を我々は持っている。それがインターネット上では実際に現実で会うワケではないので、ロールしやすく特に強く出ている部分だと思うんですね。

わかりやすい例で言えば、少し前に流行った「○○のアライさん」と言うアカウントが物凄く増えた時ありましたよね「アニメ、けものフレンズに出てくるアライさんになりきる」と言うのが、当時流行ってタイムラインを賑わせた人もいるんじゃないかなと思います。

そこに関係のある身体性とコミュニケーションについては、以下エントリで述べているので、合せて読んでいただけると嬉しいです。
●【雑記】オンライン飲み会をやって思ったこと
https://ch.nicovideo.jp/kuramubon/blomaga/ar1894625


◆アンマテリアルの空間でのコミュニケーション
そして、身体性と言うのがやっぱり重要だよね。と言う事を「【雑記】オンライン飲み会をやって思ったこと」のエントリで述べている私は、インターネット上でも身体性の確保に回帰する必要があるんじゃないか?と言うトコに着目して、私はユメノグラフィアと言うサービスに足を運びました。そしたら、抜け出すことのできない沼でした(白目

●【趣味/VTuber】ユメノグラフィアに行ってみた
https://ch.nicovideo.jp/kuramubon/blomaga/ar1895124

VR機器やセンサーを駆使し、擬似的に身体性を得る。手の動き、視線、顔の表情、言葉の抑揚、そういったモノが表現されれば、アバター化の壁は取っ払うことができるのではないかなぁ?と思ったのだけれども、どうもそう言うのとはちょっと違う感じがしています。

まぁ、そりゃ、マテリアル化された世界でも、「家族との顔」「会社での顔」「友達との顔」と言うように使い分けは誰しもがしているわけで、それを取っ払ったコミュニケーションができるかどうかと言うと難しいし、そもそも、アンマテリアル化されたインターネット上でのコミュニケーションだからこそ、できるコミュニケーションもあるんですよね。

だから、アバター化されることが本当に悪いことなのか?この最適化されたコミュニケーションが悪なのか?と言われると、それをアンマテリアルな空間に求めると言うのはそもそもの前提が違うよな。と言う感じがしているんですよね。
まだ上手く言葉になっていないんですけれども、身体性を満たそう!と言う、前提にある考え方が自体が間違っていて、もっと違う方向性を伸ばして行くべきなんだろうなぁと考えています。その答えを得るために、もっとユメノグラフィア沢山行くしかねぇよなぁ?!?!


◆”怒り”の廃棄処分場所となったSNS
「【雑記】僕たちが「死にたい」と呟く理由」と言うエントリで、今の世の中は非常に潔癖化が行き過ぎている。と言うことを私は述べました。
潔癖化によって何が齎されるのか?と言うと、各々が持っている怒りの弾圧だと思うんですね。怒るのはよくないことだ、非生産的だと、怒るに怒れない潔癖化の圧力が掛かっている。

じゃあ、その個人が持っている不満や怒りが、どこにぶつけられるかと言うと、匿名で気軽に発言ができるSNSだって気がついたんですね。
なんだかここ最近のSNSって些細なことでも炎上だの何だのしてるじゃないですか。

コロナ君の影響とかもあって、皆の精神状態が変になっていたり、ギークの持つ道具から一般に普及して、頭の悪いやつが~云々wみたいな側面って言うのもあると思うんですけれども、それ以上に、皆が持っている行き場所のない怒りが、インターネット上での分かりやすい悪と呼べる事に矛先を向ける事で、個人が持つ怒りが廃棄処分されているような、そんな場所になっているような気がするのです。


◆高速化するSNS
やっぱり、SNSでの流れと言うのは本当に早いんですよ。ものの数時間で知らない世界になってしまう。んで、そこについていくと言うのはどうしょうもないくらい大変で、時間的なコストと得られるリターンと言うのがそんなに無いんですね。

そして、そのような流れで自身が発言する。と言うのは物凄く気軽ではあるのだけれども、どこかで自己の考えの静止点を取りたい。
今年はもう絶対にブログ更新しないぞ!今度更新するときはプラットフォームを変えて本格的にやるぞ!と言う意思があったのですが、ここに戻ってきたと言うのは、自身の持つアーカイブ性に価値を感じていて、過去の自分との対話をする場所として、ここに残したいなぁと言うような意図があったりします。まぁ、余談ですね。

はてさて、話を戻しまして、ではそのようにしてアバター化し、高速化していくインターネットで、私達は、どのようにしてコミュニケーションしていけばいいんでしょうか。なんとなく、私がここ最近考えて掴めたことを文章にしたためてみましたが、その答えはまだ得られていません。
その一つのポイントとして、区切りとして、静止点として。この場に今、書き残す。と言うことがせめての、今僕に出来るたったひとつの冴えたやりかただと、考えています。





そんなかんじで。
おしまい。

広告
×
ん~?ぶっちゃけSNSでコミュニケーションとってる人なんて存在して無いし必要としてる人も居ない。
一方的に好き勝手書いたら好き勝手言われるのはしょうがないし、同じ情報がぐるぐる周回。
話題にもなっていない間違った情報がプッシュされてくるのでそれを指摘すると炎上となり、
その数が価値みたいな狂った評価が蔓延してるだけですね。
1ヶ月前
コメントを書く
コメントをするには、
ログインして下さい。