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【雑記】「生きていればいいことあるよ!」と言う言葉について
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【雑記】「生きていればいいことあるよ!」と言う言葉について

2014-05-09 12:00
  • 11
精神疾患を患っている人に「生きていればいいことあるよ!だからがんばろう!」
みたいな事を言う人がいるかと思いますが、私はその言葉に疑問を抱くことが多いです。

精神を病んでいる方の多くは、恐らく「生きているのがしんどい」んですよね。
「生きる」or「死ぬ」と言う大前提の所で悩んでいるのにも関わらず、励ましの言葉として、「生きていく上でどうすべきか」と言う話をする人が多くて、どうしてそんなにも、生きること自体に疑問を抱かず前向きになれるのか、不思議で仕方がありません。

逆に「死ぬのは良くないよ!」と言う意見も良く聞きますが、ではなぜ死ぬ事が悪いのか、それを合理的に言葉として述べられる方がいるかと言われれば、それは生者である以上、存在しないと思っています。

「死んだら悲しむ人がいるよ!だから生きよう!」
そんなの悩んでる当人にとってみれば他者ですから、二の次です。関係ありません。

なぜ、みんなはそんなに死をタブー化し、生きるって楽しい!いつかきっといいことある!
と考えられるのか、私は、どうも違和感が拭えません。
それは一種の宗教的な行為と何ら変わらない。
生きるの万歳!となっている、今の現状はハッキリ言って異常だと思います。

私は、死にたい人は死ねばいいと思いますし、生きたい人が生きればいいと思います。
「生きる」と言うことも、一つの才能であり向き不向きがあると考えています。

標題に戻って、では病んでいる人に対して、どのように励ましたらいいの?
と考えると、励ます必要なんて無いと思います。
上記にも述べたように、生きたい人が生きればいいんです。
「生きる」or「死ぬ」と言うのは当人が決めるべきことで、
死にたいと思い死ぬ人を止める事なんて他人が持ち合わせるべき権利ではありません。

「そんなこと言わないでください!命大事にしてください!
 生きたいって思っても生きれない人もいます!」
それは己が運命と思って受け入れるしかありません。
それに、生きたくて生きている人ってそう多くは無いんじゃないですかね。

人間の総人口は70億にかかりました。ハッキリ言って人間の需要過多なんですよ。
もっと、生きるのってそんなに大事じゃないよねって考え方を広めるべきだと思います。

そう言ったことに、疑問を持ってない人や考えたって仕方がないと、
割り切れてる人にとっては、恐らくこの考え方は理解されないでしょう。
ええ、私もこの考えを理解してほしいとは微塵も思っていません。
言葉が例え通じ合うことはできても、培ってきた価値観や経験は様々ですし、プライドだってあります。それによって、理解できることと理解できないことってあるんですよね。
そう言った人がいくら言葉を紡いだところで、
それは平行線をたどるばかりで交わることってないんですよ。
理解してほしいとは思いません。
ただ、こういった考え方もあるよね。
と言うことだけは知ってほしいなと思っただけです。


そんな感じで。
おしまい。



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他1件のコメントを表示
×
>しーざーさん
コメントありがとうございます。
仰るとおり、肯定も否定もできない事柄ですよね。
こればっかりは、人それぞれの価値観によって変わってくるのかなと思います。

医療技術が進化し、延命治療が発展してきている現代ですが、
それにともなって、末期患者の治療に対しての問題(安楽死)等の
問題や解決方法を出ししていく必要があると考えています。
89ヶ月前
×
「生きていればいいことある」というよりかは、「死んでしまうのはもったいない」って方が
意識としては強いんじゃないかなあと、個人的に思います。

世の中には重病、あるいは人の悪意等によって、死にたいor死にたくないという本人の意志は完全に無視された、"不可避の死"に見舞われる人がいます。
テロリストの人質や犯罪者の凶刃に倒れたり、現代医学でも治療できない病を患って、強制的に死叩き付けられる。
そういう人たちは、生きていればいいことあるとか、死んだら悲しむ人がいるとか、もう、そういう理念を議論したり、生死を選択する自由すらなく死ななければいけないわけです。環境による絶対的な死。

でも、人生で挫折したり、精神を病んだ人が考える「死にたい」とか「死ぬしかない」という考えによって忍び寄ってくる死は、本人の「自由になる死」ですよね。
だって、別に誰かに死ぬことを強要されていたり、命を狙われているわけじゃないでしょうから、死んでもいいけど、寿命がくるまで死ななくてもいいわけです。宗教等の教えや社会通念は抜きにして、自由です。

「自由なんだから死にたい奴は死んでもいいじゃん」って結論を急ぐのもいいけど、問題は死を考えている人が、死にたいという意思、願望を貫徹して、仮に死後、自分が自害を選んだ事実を認識できるとして、なおも死んでよかったと思うのならもうそれ以上他人が言葉を向けることはできないけれど、もし後悔するとしたら、それって"不幸"なんじゃないか。

ましてや、肯定と否定では、否定的である方がはるかに楽で、ネガティブな思考の方が大きく強い流れを作りやすく、追い詰められている、精神的に疲弊した人では、一層ネガティブな思考に引っ張られてしまいやすいはずで、健常な判断ができるとは考えにくい。「死ぬしかない」という強迫観念(?)に苛まれてるのではないかという可能性。

正常とは言い難い精神状態に陥っている人が後悔するであろう死に身を浸そうとしているのを制止しないとしたら、それは、他人が不幸になるのを見過ごすってことになる。縁もゆかりもない人間同士なら現代はそれでもしょうがないのでしょうけど、親類や知人が不幸になるのを気にも留めないとしたら、そこに人らしさってあるんだろうか。

死を考える人間にとって「死んだら悲しむ人がいる」は当人にとってみれば他者で、二の次、と記事にあるし、実際、そんな配慮する余裕もないほど思いつめている状態の人もいるはずだけど、たとえば、幼い子供を持つ母親が自殺してしまい、それを「死ぬ自由」としたり、「権利」という強い言葉を使ってしまったら、残された子供はどうやって生きていけばよいのかという問題は議論されず取り残されてしまう。

死のタブー化というより、死ぬ自由を認めてしまったら、数えきれないほど悲しい思いをする人を生むことになって、それは社会が人の不幸を是とするってことになってしまうのではないか。もっと言うと母親が子供のために苦しくても生きようという、生へと志向、執着する精神状態まで回復する可能性の芽を摘むことになりかねないという危惧。当然、死んでしまったら、周りの人が親身になって一緒に問題解決にあたることも不可能になる。

先述した、環境による絶対的な死に見舞われたわけでもないのに、自分で死ぬしかないって思い込んで、死ぬ必要なんかないのに死んでしまったら、それってやっぱり不幸なんじゃないか、もったいないんじゃないか、という。生から死は一方通行だろうし。

生きてることがいかなるものより尊いとは私は思わないし、死を選んだ人を軽蔑もしない。人によっては、本当に死ぬことでしか苦痛から解放されないこともあるはずですし、単純に語れないケースも多いでしょう。
生きていくということは多くのことを強制される、体力がいることだと思うし、記事にある通り、才能のように向き不向きがあるのかもしれません。

でも実際、本当に死を考えなきゃいけない(死ななきゃいけない)状況なんてそうそうないんじゃないかと。
多くの場合は起きてる問題が自分の手に余ってしまっているだけで、ちょっと深刻に考え過ぎていっぱいいっぱいになってるだけなんだと思います。

生きていればいいことあるなんて、そんな無責任な眉唾は言えないけど、恐らくこの世界にしかな
い素晴らしいものは沢山あるわけで、いづれ寿命によって強制的に死ななくちゃいけないのだし、
その日が来るまで生きることを堪能した方がお得ってことじゃないかと思います。
89ヶ月前
×
>るふあさん
親身かつ非常に丁寧なコメントありがとうございます。

コメントでおっしゃっている通り「生きる」ということは、その生きる過程において、時間を束縛され、社会や立場等から多くのことを強制され、非常に体力がいることだと私も認識しています。
そうなってくると、そこまでして生きる意味と言うのが本当にあるのかどうか、疑問に思ってしまうんですよね。
では逆に「本当に死ななきゃどうにもいけない状況」があるのかと言われると、それも無いんですよね。

そこで前向きに「どうせそのうち死ぬのだから、今、死んでしまうのはもったいない。だから、もう少し生きてみてもいいんじゃないかな」と考えられるようになるのが一番の得策であり、自分としてもラクになる近道だと理解はしているんですが、なかなか難しいものですね。

そう言ったところをしっかりと割り切れるのが、文中で述べさせてもらった「生きる才能」ってヤツなのかもしれません。
89ヶ月前
×
 クラム様へ

 この記事とコメント面白いなー。 そんで、僕も生きてるほう得だと思うんだけど、なんとなく、死んだほうが得だという論理を記事にしてみたいなーって思ったり。 生きることを肯定的な記事にするのは比較的簡単だけど、死んだほうが得であるという記事で論理的にしっかりしたモノが作れたらそれはそれで生きるということをもっと考えさせらる面白い記事が出来るかもしれないなーとか思ったりしました。

 だけど、僕は生きるをどこまでも肯定したい人だから、裏で書いてるだけで終わりそうかな。 
89ヶ月前
×
>ねここねさん
コメントありがとうございます。
死生観については、やっぱり生者である観点しか持ち合わせていないから、
どうしても生きることに対して肯定的になりがちなんですよね。
死ぬって素晴らしい!と描く事ができても、それは結局、推測することしかできないから、
なかなか説得力と言うのは生まれてこなくて、難しいなと感じます。
できることなら、一度死ぬことを経験した上で行きてみたいなーと思うんですが、
それができないから、生きるって大変だなーって思いますね。
89ヶ月前
×
直前の
>できることなら、一度死ぬことを経験した上で行きてみたいなー
というコメントを拝見して、ふと、屁理屈かもしれませんが…

気を失ったことはありますか?

どこかで拾った言葉だと思うのですが、
『眠りはいつか来る死の練習で、だから我々は毎日死んでそして生き返る』
というのが、私の中にあります。

睡魔とかも突然襲ってきたりするじゃないですか、気を失う感じで。

だからそういう時、私はちょっぴり死を体験できてラッキー。
とかって、思うことがあります。

ーーーー

それと、全然関係ないのですが、記事を拝見して、
主さんが Dies irae をお好きであろうなという先入観から、
上記のエッセンスを踏まえて、
Dies irae の記事を書いて欲しいなあ。なんて思いましたw

私も人間の需○過○だと思うので(小声)
できれば詠唱しながら夜な夜な街を徘徊して、創造連発したいですよ。
で、「あいつは人を頃すことでしか世直しができない悲しい人間だ」
なんてヒロインにうそぶくニュータイプの主人公
(札人マシーン)と対決の上、生きている実感を味わいながら華々しく散る。

なんてことができないので、今日もエロゲをやるのだと思います。
調子に乗りました、すいません。
89ヶ月前
×
>>lavalkidさん
以前も一度コメントしていただきましたよね。
今回も見ていただき、ありがとうございます。

>気を失った
私は結構な頻度で気を失ったことがありますね。
貧血持ちなので。やっぱり、死ぬと言うのはあんな感じなんでしょうかね。無に帰ると言うか。
なかなか実感が沸かないもので、非常に難しいものですね。


>Dies irae について
大好きですよ!何周もしました!
ですが、私よりコアで好きな方が多いゲームだろうなと思う作品でもあるので、
私みたいなのがレビューを書いてもいいのかなと言う気持ちも多々あります。


また気が向いた時にでも見ていただけるよう、精進していきます。
89ヶ月前
×
私もいじめで病んだ事がありまして、リストカットをした事があります。
でもそれは死にたいからではなくて、自分が生きるためにした行為です。
ほんとに死にたい人はもっと確実に死ぬのを選びますからね。
親から貰った身体を傷つけて悪いとは少し思いましたが、私自身がいなくなるという親不孝よりはマシだと思ってしました。
その結果、なんだかんだで私は生きています。
リストカットをする事で私はやり場のないストレスを発散できたし、色々と考える事もできた。
リストカットの跡に後悔もないです。
私が乗り越えて生きてきた証なので、消すつもりは毛頭ありません。
だからこそ「頑張れ」という言葉は私も嫌いです。
本人はもう既に精一杯頑張っているんですから。
弱音を誰かに吐くことで、自分を傷付ける事でSOSを出していたり生きようと頑張っているのです。
果たして生きる事が全ての正解か。
それは否ですね。
漫画の話になってしまいますが、鋼の錬金術師という漫画で犬と女の子が実の父親に合成されてキメラにされてしまう話があります。
もう元に戻すことはできない。
生きたとしても実験所送り。
それを哀れんでスカーという男が殺害します。
とてもやるせない気持ちになる話ですが、スカーの判断は正解でしょう。
女の子は飼い犬と合成されても父親の事を微塵も疑わない。
自分に何が起こっているか分かっていないのもあるけど。
生き続ければ知識がついて自分が父親の実験台にされた事を知るかもしれない。
それを知る事がなかったとしても、実験所で人間として扱われる事は一生ない。


死にたい人は死ねばいい
生きたい人は生きればいい
その通りだと思います。
でもニュースで見る「誰かを道連れに自分も死のうと思った」というのはやめてほしいですね。



83ヶ月前
×
 この記事に出会えて、良かったです。まずはそういった感想です。
 大事なのは、「人生に何の執着も無く、もう死んでもいいから死にたい」のか、「本心で本当は生きたいけど、苦しいから死ぬことでそれから逃れたい」のか・・・によって視点が分かれると思います。自殺を考えている人も、そうでない人も、誰の批判も受け付けない「真の心」で自分に問いかけ、ぶっちゃけて答えると、本心がどちらか分かるかもしれません。
 こう言う私は、以前、本当は生きたいけどツライと思ったので、自殺を実行した事があります。仕事やら人付き合いやらに疲れてたんですね・・・。しかし、失敗。
 奇跡的に1ヶ月ほど入院しただけで、後遺症も大した事は無く(傷跡が残った、耳の一部を失ったくらい)、退院した時の有り難さに、その後は救われたようです。
 今も、「死にたくない」です。真に死にたい人を他人が止める方法は無いと思います。その人が変わるしかありません。変わる必要も、もしかしたら、無いのかもしれません。
 私は、「きっと、まだ死ぬ時じゃなかったんだな」と、何か自分以外の宇宙的な力を感じています。でも、死んだことが無いから、自殺は悪いとも言えません。試しにやってみるのも手かもしれませんね。もし失敗して生き残ったら考えると言うことで。
 ただ、経験者から言うと、実行直前はハンパじゃなく怖いですよ・・・。本能ってヤツですかね。
 長々と申し訳ない。ありがとうございました!
83ヶ月前
×
なんとなく、わからなくもないなーって感じの印象でした。
死にたいって思ってた時期が長かったので。
私の場合、 >>10さんの 、「本心で本当は生きたいけど、苦しいから死ぬことでそれから逃れたい」
ってのが今になって思うとあてはまるのかなって思ってます。

私は臆病だったので、不言実行できずにただ紋々と「大事故に合って即死しないかなー」とか、「誰か私のこと殺してくれないかなー」とか他力本願に考えて終わるタイプでしたね。お陰様で今も生きてしまってますがw

余談で今でも印象に・・・というか幻聴?で強く記憶に残ってるのが、自分の部屋でそんなこと考えてた時にふと
「じゃあその身体俺にくれよ」
って背後から聞こえた時ですかね。ちとびっくりしましたw
74ヶ月前
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