
season2~ふたりの陰陽師編~
最終話『吽と阿 おわりとはじまり』
著:古樹佳夜
絵:花篠
(第五話はこちら)
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主人の加護を受け神の依代として変貌を遂げた吽野と阿文。
未だかつてない程に強く、大きな、身に余るほどの神気が二人の背を押す。
身の内に主人を感じ、もはや恐れるものなどない気がした。
二人は満月を振り返り、満月が下す命を待っている。
二人は満月を振り返り、満月が下す命を待っている。
「やれ」
言葉は気丈に放たれた。
かつて親友だった雪明に非情な運命を強いるしかないのだと、わかっている。
それでも、やらねばならない。背負う使命のため、雪明も、満月も、一歩も引く気はない。
駆られた二人は空高く飛び上がり、雪明に宿る厭魅丸に体当たりする。
そのまま地面に抑え込むのは容易だった。怨嗟の咆哮を上げ抵抗するが、終いに威勢は無くなって、
阿文と吽野の神気に焼かれて悶えている。
「神に殺生はさせない。最期は俺がやる」
二人を退け、霊符を瞬時に刃に変質させると、まっすぐに雪明の胸めがけて突き立てた。
厭魅丸の悍ましい断末魔が周囲に響き渡った。
同時に、雪明の腹あたりが、ボコボコと奇妙に波打っている。
まるで、蛇でも飼っているように蠢き、膨れ、盛り上がり――間も無く腹を食い破るように出てきたのは小さな真っ黒い鬼だった。
「これが厭魅丸の正体か!?」
吽野は驚くが、雪明を押さえ込む手を緩めることはしなかった。
「これは――厭魅丸じゃない。雪明の使役していた鬼だな」
「……どういうことですか?」
「自分ごと食い殺すつもりなんだろう。厭魅丸が弱った頃合いを見計らって発動させたんだ。雪明のことだ、生前に術を仕込んでいたに違いない」
「君には敵わないな――」
息も絶え絶えになりながら、雪明が言った。
仰臥したままうっすらと目を開けた雪明の目は澄んでいた。
顕在化しているのは、もはや厭魅丸ではなく、雪明自身のようだった。
「すまない。俺はお前に全てを背負わせてしまった。せめて、真実を教えてくれ」
雪明の横に膝をついた満月はすでに冷たくなりかけている幼馴染に語りかけた。
それに応えるように、雪明は薄く笑った。細々と、掠れながら紡がれたのは、
並々ならぬ覚悟と壮絶な死の様相だった。
「力の強かった父でさえ、厭魅丸に負けてしまったのを目の当たりした……。
死期を悟ってからは、僕にしかできないことがあると思い直し
厭魅丸に一矢報いるための秘策を、生前の父と話していたんだ。
僕の寿命が尽きた後訪れる呪いを厭魅丸にかける。
そのために、僕自身が『生き呪物』になることを――」
満月は、やはりそうかと小さく呟く。
魘魅の術を、自らの死体を用いて行った。悪鬼に永遠の死をもたらすために。
「そんなこと、できるのか?」吽野と阿文、そしてその場に居合わせた者全てが懐疑的だった。
「厭魅丸と交渉……した。死後、この体を明け渡してもいいと。でも、好き勝手させるつもりじゃなかった……。屍鬼を自らの体に取り込んだ状態なら、厭魅丸が弱った時、僕の身体ごと始末してくれるから。しかしその代償に、僕の意識はほとんど追いやられていた。だから君たちを邪魔しに行ったり、傷つけたり……すまなかった」
雪明は側にいる吽野を探して、薄れゆく意識の中で侘びた。もう腹の中の鬼は体の半分以上を食い荒らしていて、下半身は無くなっていた。
「神の眷属まで巻き込んで迷惑をかけちゃったけど……でも、策は講じたつもりだった」
「勾玉の仕掛けか。用意周到だな」
「もう、後半は僕の意識も表に現れている時間も長かった……厭魅丸自体、君たちと戦ってじわじわと弱っていたからだろう」
雪明は小さく息を吐いた後、ようやく安堵したように笑った。
その表情は、何かに開放されたように晴れやかで、穏やかだった。
その表情は、何かに開放されたように晴れやかで、穏やかだった。
「君たちのおかげで、ようやく、かたをつけられそうだ……厭魅丸は、僕が……連れて行くよ」
満月はかろうじて残っている雪明の右腕を握り、
「すまない、ありがとう」とだけ言って、青い瞳から一筋の涙を流した。
全てを親友に背負わせてしまったことを後悔した。
普段自身の感情を表立って出さない彼が見せた明確な悲しみだった。
満月の言葉に、雪明の返事はなかった。
もう、頷くこともできないほど鬼に喰われていたからだ。
代わりに、最期に短くふっと息を吐いて絶命した。
そして、不思議なことに、食われた身体は絶命の瞬間に風塵となって消えてしまった。
雪明が去った後、茫然自失となった満月はしばらく地面に膝をついたままだった。
天を仰いで、彼の死を悔やみ、二度目の喪失を受け止めようと必死だったのかもしれない。
ただ黙って、彼は悲しみに絶えていた。その様に声をかける者はなかった。
「……主人。雪明さんの魂は完全に消滅してしまったのでしょうか……」
阿文は縋るような気持ちで、内なる主人に語りかける。吽野は阿文の気持ちを察するが、
彼の最期を見た以上、希望は持てないと悟った。
【かの陰陽師は、命を代償とした行いが認められて、今は常世の国の入り口にいます】
常世の国は、主人の住まう国。神々の行き先である。
厭魅丸を滅ぼした功績が認められて、その魂の行き先を神が選んだ。
それは、選ばれた人間にしか許されない栄誉なことだった。
「よかったな」
吽野が言うと、満月も安堵して頷いた。
けれども、満月はその場からしばらく動けずにいた。喪失の寂しさは依然残っている。
「……あいつの生涯の大半が、苦しみで満たされていた事実は消えない。酒の味も知らずに早世して……迎えた二度目の死も、自己犠牲で終わった。俺は、支えになれもせず……ただこうしてまた残された。俺がだらしないばかりに、果たせず仕舞いだった。願わくば、まだ雪明と言葉を交わしていたかったよ」
満月の言葉を受け取った主人は言葉を紡ぐ。
【彼が常世の国へ行くことは、約束されています。ですが……迎えは先に伸ばしにもできますよ】
【……未練があるのなら、連れ戻すことも】
「死者が蘇ると言うのか!?」
「あんな状態から……?」
そばで窺っていた酒呑童子と茨木童子も驚きを隠せずにいる。しかし、一番に驚いているのは満月だ。その言葉は、一筋の希望をもたらすものだった。
「主人様、どうすれば連れ戻せるのですが?」
「我々にできることがあるのなら、なんでもいたします」
阿文も吽野も思わぬ提案に前のめりになる。
【ここに、常世の国への入り口を作るのです。現世に戻すには、道を引き返せばいい】
「常世の入り口を?」
【阿行、吽行。向かい合い、両の手を繋ぐのです】
二人は、主人に言われるままそれに従う。思いもよらず向かい合ったその仕草に二人は面映い気持ちとなった。
何が起こるのか分からずにいると、まもなく繋いだ腕の中心から、眩い光が放たれた。
その光は水面のように揺れ、二人が作った腕の中いっぱいに広がった。
【今、阿行・吽行の腕の中で終わりとはじまりは繋がり、一つの円となりました】
腕の内側に広がった光る空間はどんどん大きくなり、阿文と吽野は和を壊さぬよう、
互いに手を結んだ。
光る空間からは一陣の風が吹き、目をすがめ、必死に覗き込む満月の髪を大きく揺らしている。
【この向こうは常世の国の入り口。そこに、まだ彼はそこにいる】
指し示された先に、見覚えのある背を見とめて、満月は大きく呼びかける。
「雪明!」
振り向いた雪明は頭上に現れた狭間から覗く顔と、しっかりと目があう。
「早く! 連れ戻せ!」
吽野の言葉に背を押され、伸ばされた右腕を最大までのばす。
雪明の頬に喜びの涙が伝った。
「常世の国への旅路も悪くはなかったけど……」
少し迷いはあったが、雪明は踵を返した。
また友に会うため、延ばされた手をとったのだった。
◆エピローグ
長期の留守から不思議堂に戻った吽野と阿文は、しばらくの間店を休店として、
のんびり過ごすこととした。置いてきぼりのノワールの機嫌が悪くなっていたので、
またたびや鰹節を与えて、大いに可愛がる必要があったからだった。
「こっちは酷い目に遭ったってのに、呑気なもんだ」
吽野の相変わらずの愚痴も健在で、変わらぬ日常がそこにある。
今回の事件で大きな傷を負った後遺症もなく、元気にしている相方の様子に
阿文は安堵していた。
神社を清め、社の再建も完了したのを見届けた後、主人は
現世の守りを吽野と阿文に託し、常世の国に戻っていった。
「ところで満月のやつ、遅いじゃないか。どこまで酒を買いに行ったんだよ」
「もうそろそろ来るんじゃないか?」
「ただいま」
不思議堂に酒を持って現れたのは満月。そしてその後ろに続いて、両手に一升瓶を抱えた雪明が不思議堂の玄関を潜る。
今日は、常世の国から帰還した雪明を迎えて、四人で呑む約束をしていたのだった。
「縁側で呑もう。今朝庭の花が咲いた。花見ができるぞ」
「それはいい」雪明が朗らかに笑う。
厭魅丸から開放された本来の雪明は、静かで上品な物腰の男だった。
相変わらず色が白くて、女性のようにも見える痩躯だが、
以前のような痣はもうなく、健康そのもののように見えた。
「こうしてまた現世に戻って来れたことは、みんなのおかげだよ。本当に感謝している」
「わかったわかった。そういう話は酒を飲みながら話そう」
吽野は満月から酒を受け取って、足早に縁側の方に向かった。
「おつまみを作っておいたんです」
「じゃあ、俺も手伝おう」
「僕も」
阿文が台所に向かうと、満月と雪明も快く手伝うといってついてゆく。
「ところで、雪明は酒は飲めるのか?」
茶化すようにいった満月に、雪明が応じる。
「死んだ時点での年齢を気にしているなら、全く問題ないよ。僕は今、人間の輪を外れた存在だからね。法は適応外さ」
一同の間で笑いが起こる。
「時がくれば常世の国の住人に戻るなら、つまりは僕や先生と同じ扱い?」
「なるほど。俗人は俺だけか」
「徳を積めばわからんぞ?」
偉そうな表情の吽野を、満月は肘でついた。
「では、最期は一緒に主人のもとで暮らしましょう。ノワールも一緒に」
ノワールは阿文の膝の上で、喉を鳴らして伸びている。
またたび酒を分けてもらってご満悦の表情だった。
またたび酒を分けてもらってご満悦の表情だった。
花吹雪が風に舞う。
和やかな春の庭で宴会は続き、月が照らす夜まで続いた。
【了】
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