• 地上波挌闘技復活を願った者 vol.50

    2019-12-21 07:30
    最後の記事からほぼ一年経ってしまいました。

    https://ch.nicovideo.jp/kusamuraeisei/blomaga/ar1588074

    この記事は相撲の記事。

    それからまた一年、相撲もすっかり変わって日本人横綱を失ってから再び日本人横綱が誕生しましたが、この横綱もまた残りあと僅かと感じるようになりました。

    オリンピックの土俵入りを目指しているようですが、それまで体力を温存するのでしょう。

    ネットはほぼ毎日チェックはしているのにこのブロマガの更新が億劫になっているのは、実は更新するのが非常に面倒になってしまっているのが本音ですね。

    このブロマガもこれで50回目となりました。

    おそらくこれでここでのブロマガは最後になるでしょう。

    元々以前の別のブログでは地上波復活を目指したコラムを書いてましたが、4年前に大晦日ではありましたが地上波として復活しました。

    そのこともあって記事を書く必要性もなくなっていき、一旦閉鎖しました。
    (本当は訳あって閉じさせられたのですがそこは気にしていません)

    今から振り返ると、ブロマガの更新が段々と少なくなっていってますね。

    出無精ということもあって年一となってしまいました。

    正直記事を纏めるのならTogetterの方に重心を置くようになってしまいましたし、意見の中心もTwitterが中心ですよね。

    世間的にもブログ時代だったのにそれがツイッターに取って代わられ、遂にはYouTubeへと移行してしまいました。
    ブログ時代が退嬰化したのも某芸能人達のステマ騒動でしたね。
    そのステマも最近になって使われましたが。

    ここはニコニコチャンネルのブロマガですが、正直ニコ動も時代に流れについていけなくなっていってしまいましたね。
    あいちトリエンナーレの表現の不自由展の運営者が東浩紀と津田大介らを中心に構成されていましたが、プラットフォームが奇しくもニコ動で平成時代の終わりを象徴していました。
    ニコ動のノリで「やってみた」を現実のセンシティブな政治の世界に首を突っ込んでやってみた結果ますます対立を深めてしまいましたし、尚更黒字だったので美術や芸術が政治やイデオロギーの下に置かれることとなってしまいました。

    改元も含めて一年で色んなことが起きました。

    何も起こらないということはないのですね。

    前置きが長くなってしまいました。

    さて、再び書き始めた理由は格闘家の試合が決定したからですね。

    長島☆自演乙☆雄一郎の試合です。

    邱建良の試合を最後にして丸2年、試合がありませんでした。

    途中、KNOCK OUTでの試合が発表されたのですが試合前に交通事故に遭ってしまい流れてしまいました。

    いつか自演乙の試合がKNOCK OUTで再開されたらと思っていたところそのKNOCK OUTの体制が変わってしまい結局出ることが無くなってしまいました。

    それどころか殆どのKNOCK OUTの選手がリストラに遭ってしまいましたね。
    REBELS対新日本キックボクシングと言う対抗戦中心で更に最軽量級中心となってしまいました。
    と言うよりも殆どREBELS出場選手で固まってしまいました。

    それでも自分がKNOCK OUTを見限らないのはまだまだ楽しめる余地があるからでしょう。

    K-1の契約を解除されてKNOCK OUTに流れた日菜太に関してももう言及することはないかと思いましたが、彼が最終的にどうなるかという行衛を観ていくためでもあるのでしょう。
    本人も怪我が多くて試合に出られることも少なくなっていると告白していますし、何度か観ていて分かるのですが、殆ど試合が出来ないような闘い方になっていました。

    K-1ではピケオーにも負け、廣野祐には塩勝ちしたはいいがアラゾフにはパンチ一発で呆気無く終わってしまったのでK-1でチャンピオンになれる機会を失ってしまいました。
    公式に上がっていたその後の日菜太の試合を観ても1ラウンドを凌ぐだけでも精一杯だというのが見て取れます。
    殆ど延長判定やホーム判定で“勝たせて”貰ったような感じにしか見えません。
    乙と試合をする筈だった緑川創との試合でも、2ラウンドや最終ラウンドは緑川に取っても良いかなと思ったくらいです。
    その後の坂本優起戦もですが、延長判定となりました。
    これも坂本に取らせた方が良いというような試合内容です。

    クラウスに勝ち、緑川や坂本に勝つことで70キロ日本人最強でいたいという思い出を作らせたかったのでしょう。

    当然、夏の大田区総合体育館で行われたKNOCK OUTのジョムトーン戦は力の差を見せつけられた試合でした。

    パンチを貰ってダウンをしたので相変わらずこうした試合は苦手なのだなと感じました。
    成長はしていなかったみたいですね。

    後のテレビ解説ではローキックを嫌がっていると言ってましたが、あれは普通にローをカットしていただけですし、タイ人は勝利が確実になったら後のラウンドは流すというお約束なので普通に褒める所は何一つありませんでした。

    その後の10月の復帰戦も何とかギリギリで勝ったみたいです。
    その試合も観に行ってたのですが、やっぱり5ラウンドあるとはいえ殆ど試合になっていませんでした。
    出来たのは前半の2ラウンドだけでガードも碌に出来なく腕を下ろしっ放しで足は地面にべったりでした。

    もう見た目で分かってしまうんですよね。
    体がでっかくなっていたのが分かるんです。

    加齢と共に減量も巧くいかないのでしょう。
    リカバリーも7キロ戻したと言ってましたし、地上波K-1の頃と比べて体が大きくなっているのが目に見えています。

    体の重みでパワーつけて相手を圧倒させるというセオリーなのでしょう。
    でも自身の重さで動けていないようにも感じられます。

    年を取るとはこういうことなんでしょうが、結局70キロはスーパーウェルター級なのでこれより重いミドル級の72.5キロで試合をさせるような環境がなかなかないのが現実といったところでしょう。

    佐藤嘉洋もミドル級があればいいなと言っていました。
    佐藤の最後の相手もジョーダン・ピケオーでしたが減量に苦労をして試合もままならずにタフネスを誇っていた筈がKO負けを喫してしまいました。

    ミドル級があればいいなとも思いますが、ただでさえK-1には8階級にまで膨れ上がってしまいましたし、実質スーパーウェルター級が機能していません。

    これには理由があるのですが、70キロや中重量級選手達は海外の団体に抑えられてしまっているからなんですね。

    K-1にはお金がないのです。
    大きなスポンサーが就かなくてチケット代も高くなっており、その高いチケットを選手達自身の近しい人達に買わせて運営させているようです。

    この前のK-1のよこはまつりなんかは観客の雰囲気がウェイ系や輩系ばかりだったのが目立ちました。
    こう言う人達にチケットを買わせて呼び寄せているのだなと感じました。
    こうなると、他の新規参入を拒む結果となってしまうのは目に見えているのにと思いますが、K-1のブランド効果で何とか維持されているのかなと感じました。

    今年末のK-1は愛知県の名古屋だそうですね。
    名古屋もまた「そういう土地柄」の気配を感じますし、そのような客層ばかりになるのかなと思います。
    RIZINも横浜だったり神戸だったり名古屋だったり北九州だったり都市部とはいえ「そのような土地柄」頼みとも感じますし、地上波はスターがいてこそなのだと感じます。

    さて、話は大分逸れましたが、乙の試合が来年の2月22日大阪で決まったようです。
    ラウェイのようですが、いきなり高いハードル来ましたね。

    乙自身が進退を決するとは言っていますが勝っても負けてもこれが最後かなと感じます。
    30代の格闘家の闘う場所も大分減って来ているようですし、試合が出来るだけでも御の字かなと思います。

    きーちゃんこと城戸康裕もずっと現役ですが殆ど試合が出来ていないような感じですね。
    試合出来ても殆どが日本人で、階級下の訳の分からない外国人選手だったりときーちゃん自身にもタイムリミットが近付いているようにも感じられます。
    本人はエンドロール的な感じで現役プロデューサーを目指しているようですが。

    緑川創も自身のキャリアが最終とも位置付けているみたいですし、ゼロ年代の格闘家のタイムリミットが環境に圧されて近付いて来ているようにも感じます。

    これが、世代交代なのだなと感じます。

    乙の章立てをするならばこういった感じになるのでしょうか?

    第一章:K-1以前
    第二章:K-1MAX
    第三章:プロレス
    第四章:海外篇
    第五章:地上波復活篇
    第六章:ジム運営最終章

    多分これで主な章立ては出来るかと思いますが、四章と五章は内容的にも重なるかと思います。

    第一章は分かりやすいですね。
    乙がK-1デビューする前のエピソードですね。
    更に格闘家デビュー前は日本拳法で基礎を作って、その後はキックボクシングではなくてMMAの試合が格闘家としてのデビューのようでしたね。
    その後はキックボクシングで無敗を続けてK-1でデビューします。

    第二章は初めて乙が地上波でその姿を見せる時が来ます。
    2009年の年頭における今はなき格闘王という番組でK-1の日本王者決定戦の模様が放送された時に初めてコスプレキャラが登場してなんだこれはと世間の注目を集めることとなりました。
    K-1デビューが日本王者決定戦に入るのは異例だそうで既にこの頃からK-1の雲行きが怪しくなっていたのですね。
    結果的に一回戦突破で二回戦は負傷TKO負けでその後はクラウス相手に腕伸ばしてリーチを測ろうとする危険なことをやってのけてKO負けをしてしまうというまたこれも離れ技をやってのけてしまいます。
    兎に角勝っても負けてもKOと言う判り易い試合を信条としていて続けていくことになりますが、これが以降でも貫こうとしていくことになってしまいます。
    スポンサーも見つけられずに大会運営すら怪しくなっていたところで乙がスポンサーを引っ張って来ました。
    この試合に何としてでも勝たねばならなかった乙の賭けでもありました。
    これによってK-1はその年を継続させることが出来ましたが地上波最初で最後の年となってしまいました。
    この年から未払いが横行して遂には試合に選手を派遣している海外団体から訴えられてしまい放映権や興行権を差し押さえられてしまいました。
    乙は判り易い試合を提供したかったようでしたが、振り返れば結局面白い選手が出れば観てくれるというものだったのです。
    世界トーナメントも判り易い試合を求めなくても塩と言われるような展開であっても生き残るだけで十分なのです。
    現役晩年の魔裟斗の試合も塩っぽかったり疑惑と言われるような判定もあったりしましたが魔裟斗が出ているだけでテレビを観てくれる人も多かったし、試合内容自体は別に問われることはなかったのです。
    判り易い試合をしたければ自分よりも遥かに弱いと判る選手を連れて来ればいいだけです。
    ボクシングなんか長年それずっとやって来ました。
    それで試合を観てくれた人々が多かった筈です。
    地上波最後といえばその年の大晦日、乙が青木真也に膝蹴りKOを与えたことが伝説となったことです。
    青木真也もDREAMの大黒柱とも言われていましたが結局これもごく狭い範囲での支持のみでDREAM自体余り人気が出ていませんでした。
    結局K-1がその年を最後に地上波から完全撤退をしてしまいました。
    それから人々の記憶から格闘技が断絶することなるのです。
    テレビ局は残ったコンテンツとしてボクシングに再び力を入れるようにはなりましたが。

    第三章はプロレスです。
    青木真也をKOしたことで乙の地上波は終わったのですが、もしも地上波のK-1が続いていたら今頃どうなっていたことでしょう?
    乙は意外と長生きしていたかもですが他の選手達の選手生命は短くなっていたかも知れません。
    年5回の興行でハードでしたから選手は消耗品で辞めていく選手は多かったことでしょう。
    ただ、K-1を目指していた選手も多かったのでそれなりに入ってくる選手も多かったと思います。
    武尊はK-1を目指していたようでしたがその目指していたK-1がなくなってしまい一時期迷いがあったようです。
    今でこそ60キロの王者ですが最軽量級がその当時はないので重たくても吝かではなかったでしょう。
    段々と軽い階級が出来るとみんな軽い階級の方を目指し勝ちになるんですね。
    そのせいか、70キロ級には殆ど人がいなくなってしまいました。
    ボクシングもミドル級の人がいないじゃなくてミドル級をやらなくなってしまった、というのが答えなんじゃないのでしょうか。
    フェザー級(56キロ)の選手の通常体重が70キロ以上あるのです。
    比嘉大吾も来年再起するようですが、フライ級に落とすまで10キロ位体重を落としていたようです。
    何もしなければ恐らく70キロ近い体重だったことでしょう。
    最近のボクサーの減量ミスに通じるものがありそうです。
    乙は70キロで試合をしていた体重をプロレスでは92キロまでに増量しました。
    5ヶ月で体重を20キロ以上増やしたのだから凄いかと思いましたが、K-1時代でも既に80キロ近く体重があったようです。
    実は、K-1のスーパーウェルター級だけでなくウェルター級の選手の殆どが通常体重80キロ近くあるようで、筋肉が段々肥大化していったみたいでした。
    菊野克紀もテコンドーでオリンピック予選を勝ち取ろうと減量を始めた時は82キロあったようです。
    何もしなければ体重がそこまで増えてしまうようです。
    乙がなぜプロレスを始めたのだろうと思ってしましたが、スポンサーが試合を出来る場を与えたかったようでしたが、実際の所はファン層を確実につかめるコンテンツを育成させるための実験として乙を使ったのではないかと勘繰ります。
    乙としては大晦日に試合の出来る環境を作ること、スポンサーとしては本格的にキャラクターを育成するためにプロレスを見極めることだったと思います。
    K-1やDREAMのスポンサーをしていたパチンコ会社はアントニオ猪木のプロレスをスポンサードしていました。
    この資金力で大晦日の大会を開けるかどうか賭けていました。
    乙のスポンサーのブシロードは大晦日のIGFの試合後に桜庭和志と柴田勝頼を呼んで新日本プロレスのマットに上がらせて本格的に参入することになりました。
    ブシロードの投資はまず赤字だということを前提として2年は様子見だったようです。
    選手達は無理無茶無謀を耐え忍んでよく頑張ったと思います。
    完全地上波生中継放送とまでは行きませんでしたが、人気を恢復させることに成功しました。
    地上波がなくてもK-1やDREAMは乙を呼ぼうとして色々と努力していたようです。
    当時から格闘技は世間から信用されなくてスポンサーからそっぽ向かれた状態でした。
    そのこともあって格闘技関係者、選手、ファンは大口スポンサーが就くことには敏感になりすぎてCygamesがRIZINに就いただけで大騒ぎの平身低頭だったことは記憶に残っています。
    新日本プロレスが軌道に乗り、乙のプロレスの役目が終わろうとした時のプロレスの最後の相手がフジタ“Jr”ハヤトでした。
    乙がフジタに負けたことでプロレスから身を退くことになりますが、フジタ自身も余り体は大きくなく怪我も多くて欠場することも屡々あり、検査途中で癌が見つかったことで更なる長期欠場を強いられることになってしまいました。先日僅か一日限定でしたがマットに上がることは叶ったようですが、マットに上がることこそが生きる目標と捉えることのようですね。
    高山善廣も自分の力でマットを降りることを目標としてリハビリに励んでいるようです。

    第四章は海外篇ですが、勿論国内でも試合をしますがこの辺りから段々と海外で試合をすることが多くなっていきます。
    地上波ではなくなりましたが、日本人キラーのヘンリー・オプスタルというアンディ・サワーの後輩選手が出て来たことで乙にもその相手として回ってくるようになりました。
    その試合は地上波ではないもののBSフジの試合で奇蹟的に流れるようになりました。
    この試合、観に行きました。
    懐かしいですね。
    今はなきディファ有明での試合でした。
    乙は這いよれニャル子さんの恰好で入場しましたが試合内容は結局ポイント差を付けられて負けてしまいました。
    ヘンリーの必殺のハイキックだけは防いだようでしたが。
    その後、佐藤嘉洋がヘンリーと試合をすることになったのですが超絶塩試合でお金返してレベルと言われるような内容だったようです。
    シュートボクシングにも参戦したり少なくともK-1がなくなっても代わりとなるような舞台で活躍することが多々ありました。
    GLORYでロスマレンと対戦した後に乙はRISEに舞台を移すようになりますが、これもDEEPに頼んでもらって試合に出させて貰ったようです。しかし、試合内容が評価されたことで直ぐにでもタイトルマッチが開かれ丁丁発止かと思いきや…タイトルマッチの相手の選手がダニロ・ザノリニだったが乙の反則行為によって負けた事にされてしまうのでした。
    同席した石井館長やゲーオはこの試合は乙の勝ちだと言ってくれたそうで、RISEも年末の大会に乙を出すことに決め、対戦相手として日菜太を選ばせたのですが、試合は可も不可もない単調なもので乙のポイント負けとなってしまいました。ところが試合直後のマイクで日菜太は「城戸さん佐藤さんお願いします」と懇願したので一体この試合は何の意味がったのだろうと落胆してしまいました。
    もうこの時点で自分の中の日菜太の価値が磨滅してしまいました。
    与えられるまでただ待つだけ、この人の我儘で周りが振り回されるのだなと感じました。
    この年の末にK-1が復活?を果たして代々木第二で大会を開催するようになりました。
    実はこの年も日本人キラーの選手が話題となっていました。
    地上波ではなくなったものの生き残っていた格闘技オタクの間でまことしやかに囁かれていた選手が話題となっていました。
    ゲーオです。
    夏の大田区総合体育館のRISEの試合でもメインがゲーオと小宮山工介でした。
    この試合も最低最悪と評されたものでしたが誰がゲーオを倒せるかということで次々と軽量級の格闘家達が挑んでは沈んでいきました。
    本来ゲーオは60キロ近辺で試合をしていた選手で出場階級は65キロとアドバンテージがあったものでしたがそれでも階級上の相手を次々と薙ぎ倒してしまいました。
    K-1復活の鍵はこの対ゲーオでもありました。
    この時のK-1ではMAXに出ていた選手は余り出ておらず二軍のような選手で固めていました。後から段々と合流してきますが。
    乙はこのK-1には遂には参加することはありませんでした。
    このK-1自体も過去の実績というものは考慮されないものでHIROYA達やドラゴン道場や小比類巻貴之や尾崎圭司でさえも追放してしまうかなり締め付けの強いところのようです。

    第五章は地上波復活篇ですね。
    海外を中心とした乙も一度だけ日本に戻ってきます。
    RIZINが大晦日に大会を開くことが決まったのです。
    どうして復活したのか、そのお金はどこから?なぜPRIDEの実行委員長だった榊原信行が再び中心となって集ったのか、あまり詳しいことは不明だし多分今後もそのようなことは語られることはないのでしょう。
    格闘技再興の禁が解けたということなのでしょうか、地上波も就いて乙も試合をすることが決まったようです。
    相手はアンディ・サワーです。
    サワーも丁度MMAのをやり始めてその対戦相手として乙が選ばれるようになったみたいです。
    乙の中継の裏に魔裟斗と五味のエキシビションが始まっていたようです。
    視聴率競争に晒された中で乙達も世間と格闘していたようでしたね。
    乙はその後再び海外へ繰り出すようになりますが、再びその姿を観ることになるのはそれからまた一年後のKNOCK OUTの旗揚げとなります。
    乙は格闘技の救世主として各地各ジャンルに降臨をするのです。
    その時起用されたのが那須川天心、無敗の神童がいるということでKNOCK OUTに起用されたらムエタイの王者にあっさり勝ってしまって名を更に馳せることになります。
    日を俟たずに天心はRIZINに呼ばれることになり大晦日でも勝ってしまい一躍世間から有名になります。
    結局乙がそのジャンルを復活させるための願望器としての役目を果たすことになるのです。
    K-1には出ずに海外の特に中国のクンルンファイトに多く出るようになります。
    呼ばれるのは一龍を倒したという実績があるからでしょう。入れ替わるようにT-98もクンルンファイトに出るようになっているのも元ラジャと言う肩書があるからでしょう。
    新興のキック団体が海外の有名な選手を呼ぶことで箔付けをさせる狙いでもあったのでしょう。日本人選手は高いファイトマネーと引き換えに負けを強いられることになってしまいますが。
    中重量級選手が満足に試合に出られて負けを強いられるよりも国内のK-1に出た方がいいと考える選手の方が多いのかなと感じます。

    第六章はジム運営最終章といったところでしょう。
    乙は邱建良との試合が最後になってしまいました。
    KNOCK OUTに再び呼ばれるのですが途中交通事故に遭ってしまい試合そのものがなくなってしまいました。
    この時点でKNOCK OUTもまた危機的状況だったのでしょう。
    選手自体は育てる気満々だったのに間に合ってないようにも感じられました。
    ほぼゼロから育て上げる、それがKNOCK OUTの役目だった筈だけど2年の猶予は難しかったようでした。
    不可思のみが育ったくらいでしたがKNOCK OUTとしてはかなり大きい出費となったのではと感じます。
    乙が試合に出ないでいる間に天心がメイウェザーのエキシで負けを喫したのを契機に亀田興毅とボクシングルールで試合をしようということでその前哨戦としてテーパリットが選ばれるのですが、乙がテーパリットのセコンドとして出ることで再び注目を集めるようになりました。
    テレビでの地上波だけでなく、世の中はすっかりとスマホやタブレットで観られる格闘技へとシフトチェンジしていきました。
    それでも地上波に拘るのはスポンサーが就くか就かないかによるからです。
    乙が試合をしていない間に自分のジムを設立する準備に取り掛かっていたようです。
    大体の選手達がキャリア終盤に自分のジムを建てることが多いのですが、これも立派な人生設計の一つかなと感じます。
    乙が試合をする会場は大阪のようですが、距離が遠いので観に行けないのもそうですが中継できる放送局はないのかなと思います。
    進退を賭けるのならば東京でも試合をして欲しいと思いますね。

    実はこのブロマガを更新している次の日当たりに藤本京太郎とダニエル・デュボアのボクシングの試合が始まるようです。
    この時点で結果はどうなってるかは分かりません。

    ただ、今回でこのブロマガは終了しようと思うので結果がどうであれここで伝えることはないと思います。

    今まで読んでいてくれてありがとうございます。
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  • 地上波挌闘技復活を願った者 vol.49

    2018-12-08 00:34
    貴ノ岩が引退届を相撲協会に提出して受理されたことで正式に引退が決定、丁度記事を最後に書いたのが去年の今頃、それから一年以上経過してしまいました。

    http://ch.nicovideo.jp/kusamuraeisei/blomaga/ar1374196

    他に書こうと思った記事があったんですけどね。

    自分の考えを纏めると言う事はかなり力の要ることで、最後まで書き上げることにはシーズンが過ぎてしまう事もあってなかなか書けずにいることが多かったと感じます。

    大体その問題は事ある毎にこうだと言えるものでもなく、見極めが必要だったりすることがあってブログに綴っておこうにも中途半端になるので控えていました。

    あれから一年、色んなことが起きました。

    正直、残念と言う気持ちで一杯ですね。

    今年はこの気持ちで終わるとなると正直滅入ります。

    日馬富士の引退も残念でした。

    そして今回の貴ノ岩もです。

    殴ったことに関してもそれは個別に判断を仰ぐべきでした。

    サラリーマンではないので自分の気持ちを優先して判断した結果なのでしょうけれど、日馬富士の時もそうでしたが相撲協会が暴力追放宣言をしても跡を残さなければ何も変わらないと思います。

    振り出しです。

    暴力を振るった事を無かった事にしてしまえばこの暴力追放宣言は笊となります。

    幾ら鍛えても、心は普通の人です。

    横綱であっても、外国人であっても、力士であっても、やっぱり普通の人間であると思います。

    同じ人間だからこそ、平等に判断を仰ぐべきなんです。

    稀勢の里も教習で「社会人として」と宣言していましたが、力士であっても社会人なんです。

    付け人制度に問題があるのではないかと言われているようですが、これもきっちりと見直した方が良いんじゃないかと思います。

    こんな場末のブログで言っても何も効果はないのでしょうけれど、徒弟制度の名残みたいなものでしょう。

    幕下以下は力士養成員なので給料は入らない仕組みとなっています。

    落語のように真打じゃなければお金は貰えず師匠や先輩に随従してお小遣いを貰うと言ったような感じなのでしょう。

    兄弟子や師匠に付いて技を盗むという感じなのでしょうか。

    それは昔だったらそうだったかも知れませんが、今はもうビデオカメラもあるしなんてったって部屋もあるし身の回りの世話をするのもそこまでくっ付く必要はないんじゃないかと思います。

    ただでさえプロになろうとしている人は年々少なくなってきているのに何故其処迄高い位置にいるのだろうかと思ってしまいます。

    神事を引っ提げている理由からですが、しかし尊敬もされなければそれはもう終わりとなります。

    廻しや髷は残してもいいと思います。

    伝統は残すべき所は残してもいいと思いますが、誰も継ぎ手のいなくなったものを何故残す必要があるのかと考えてしまいます。

    力士は現在600人です。

    そのうちの外国人力士は50人位いると言われ、中でも幕内力士の外国人は10人位です。

    日馬富士や貴ノ岩が辞めて二人減っても新たに外国人力士が来るだけです。

    有名なのは朝青龍の甥や高校横綱のトゥヴァ人力士です。

    モンゴルルートなので既にモンゴル人力士達は順番待ちの状態です。

    日本人力士のなり手がいないから外国人力士に頼るということが起きています。

    当然外国人力士は強いので言い方が悪いですが彼らの言うことを聞かざるを得なくなります。

    現在一部屋一外国人力士という規制を掛けていますがもうこれも殆ど意味を成していないでしょう。

    部屋を移籍すればその規制から外れます。

    伊勢ヶ濱部屋も日馬富士の他に照ノ富士が、春日野部屋には栃ノ心だけでなく移籍した碧山もいます。

    千賀ノ浦部屋にも元々舛東欧というハンガリーの力士がいるのですが、貴ノ岩が貴乃花部屋から移籍したことでこれも二人となりました。

    結局伊勢ヶ濱部屋も千賀ノ浦部屋も一人ずつ失うことになりましたが。

    日本人力士のなり手がいないのは、結局相撲の世界が理不尽だからでしょう。

    近い将来そう遠くない未来、外国人枠の規制が解かれるでしょう。

    弱小部屋は海外へ出掛けて貧しい国の有望な人材を集める他ないです。

    理不尽な世界にわざわざいる必要もないですし、そこへ行かなくても取り敢えず暮らしていける世界がこの国にはまだあるのです。

    と言うよりも、少子化で子供の数が少なくなっているだけです。

    平成二桁生まれでも裸に廻しを締める子供達は少なくないです。

    みんな分かっていても相撲が好きだから続けていられるのですが、プロになっても続けられない人が増えてしまえば何もなりません。

    序の口、二段、三段となっても辞めていく人が後を断ちません。

    正直実力の世界ですが、何よりも理不尽な世界だからこそやり手がいなくなるのだと思います。

    近い将来と書きましたが、はっきり言って期限を設けるとすればオリンピック以降です。

    今の横綱三人がいなくなるのは確実です。

    安定的な強さの力士がいなくなります。

    現段階で横綱が大相撲に出なくなった時の他の力士の不安定な成績は見るも無惨です。

    今の段階で大関陣を横綱にしたところで直ぐに辞めてしまうでしょう。

    そうなると横綱は愚か大関不在の時代になります。

    強くない相撲の世界が直ぐに訪れます。

    相撲協会もそう言うことが分かっているので中々横綱に対して引退勧告を出せないでいます。

    因襲を残したままで改革を怠って来たツケが今になって回って来ただけです。

    今の協会理事達には貧乏籤引いちゃったなあと思っているのでしょうけれど、若い力士達がどんどん辞めて行く現状を考えるべきなのではと思います。






  • 地上波挌闘技復活を願った者 vol.48

    2017-11-30 05:51
    日馬富士が貴ノ岩に暴行したことで自ら相撲協会に届け出をして引退をしてしまいました。

    最悪の結末を迎えてしまいました。

    自分としては、警察に委ねてから判断を待つべきだと思いました。

    しかし、日馬富士は周辺からの重圧に耐え切れなくなってしまったのでしょう。

    誰も待ったをかけることは出来なかったようですね。

    相撲協会にガバナンスが無いことはこの時点だけでなく前々から分かりきっていたことなので今更感ですが、協会に身を置く人々がその座にいる資格はないでしょう。

    けれども、結局は保身です。

    ガバナンスやマネジメント能力がない、責任感がないといういい大人が周章狼狽し醜態を晒しているのだから力士に横綱の品格を問うと言う事自体が間違いです。

    抑々、横綱の品格をとは何でしょうか?

    横綱の品格というまるで長男の嫁の自覚みたいな漠然とした感覚を抱いているのではないのでしょうか?

    いろいろと書いているんでしょう。

    ただ、この品格が世間の気分を担保としているようにも感じられます。

    どうも、戦後に作られた英雄像が強いような気がします。

    質実剛健、聖人君子、英雄は全てに於いて優れ勝れる究極超人であらねばならないという雰囲気が付き纏ってしまっているようにも思えます。

    パーフェクトヒューマンなのでしょうか。

    野球ならば成績の良い投手や打者がそのまま野球監督になれるといったイメージを抱くようなものでしょう。

    今更ながら優れた打者や投手がそのまま良き監督になれるわけではないということは既に分かりきっていることです。
    多くの老人監督が永らく野球監督をしていたのもその戦後の英雄像を抱く人々が支えていた事によるのでしょう。

    人それぞれ役割分担があるということくらい分かっている訳です。

    ゆとり教育はそのことを気づかせるための方針でしたが、みんな船頭になりたいものだから結果的に失敗に終わってしまいました。

    船頭が偉いと言う意識を変えることができませんでした。

    それどころか、役割分担は更に細分化されローテーションを組まされ船頭のみが偉いという意識は更に強化が進んでしまいました。

    相撲の話とは関係ないように思えますが、役割分担とは公私の区別を意味します。

    しかし、力士はそれが許されません。

    公私においてこそ一緒くたにされています。

    尊敬されるようなイメージを持たされます。

    まるで歌のお兄さんお姉さんみたいですね。

    そういうことです。

    常日頃髷を結い、和服を着ることを義務付けられます。

    日本人にプライバシーの観念が育たない、公私の区別をつけないのもそういった事があるからなのでしょうかと思ってしまいます。

    ただでサービスを求めたりするのも公私が存在しなく地平までその人という観念があるからなのでしょうか。

    風俗でも矢鱈とコンパニオンにプライベートを聞きたがるのも公私の区別がついてない証拠なのでしょう。

    パブリックの仮面を剥ぎ取り、プライベートと向き合った時にその幻想が剥がれることなんてよくあります。

    当然ですね。

    パブリックであることを守るのは横綱の品格なのでしょう。

    この公私の概念に対して近代法治国家の概念を如何にして共通認識にしていくかというのが、今後の人々の暮らしを豊かにするものであることが注視されます。

    貴乃花親方が相撲協会に相談をすることなく警察に被害届を出したことは一種の実験というか挑戦ではなかったのかと思います。

    相撲協会が固執しようとしたのは恐らく公私を超えると目される世間の目のような極めて前近代的な『掟』だったのでしょう。

    貴乃花がそうではなく先ず公の人(組織)であると言う意識を持たすために法の裁きを期待していたのかもしれません。

    警察の前に相撲協会に相談をしてしまったらまた同じ繰り返しをすると察知したのでしょう。

    そうなると、横綱は神様でも何でもなくなってしまいますね。

    究極の相対化が行われてしまいます。
    横綱の権威そのものが根底から崩れ去ってしまうのではないかと虞を抱くのでしょう。

    順番を間違えてしまいましたね。

    結局相撲協会は横綱の品格に拘り過ぎて重圧に耐え切れなくなった日馬富士の引退届を受理してしまいました。

    受け取っても預かりという形にはならなかったのでしょうか。
    警察の判断を待ってから全てを決めれば良かったのです。

    書類送検でも示談でも、結果の後で沙汰をすればいいのですから。

    その前に引退届を受理してしまったことで近代法治主義を受け容れることを拒んだ形になってしまいました。

    八角理事長は「暴力はいけません」と相変わらず小学生を相手に諭すような言葉を言ってのけてしまいました。
    大関の豪栄道も「若い衆に暴力はいけない」と肝に銘じるようなことを言っていました。

    残念ながら相撲協会も各部屋の親方もそして力士達も「法治主義」が何たるかを全く理解していませんでした。

    「暴力はいけない」ではなく「法治主義に則る(警察に協力する、法の裁きを受ける、その場凌ぎではなく法律に即した運営をする、贔屓なく公民である)」と宣言する必要があったのですが、それが水を差す形になってしまいました。

    そもそも、相撲しか知らないような人達にこの国は法治で支配されている(と言うルール)を説いても通じるのかどうかです。

    単純に力の強い者がその報酬にありつけるのだから当然力の強い者が褒めそやされます。

    それだからこそ横綱の品格、力士の名に恥じないような態度が求められるのかもしれません。

    力士である以前に日本国民です。

    モンゴル人は例外という訳ではありません。

    髷を結う力士です。

    近代社会を経た現代人は法治主義を重んじるべきなのです。

    髷を結うから近代以前と捉えられてしまうかもしれませんが、彼らだけ時代から取り残された訳でもないでしょう。

    日本のしばき主義の方針はイギリス由来とも言われます。

    近代のイギリスの教育方針は鞭を振るって子供をしばきます。

    今でもイギリスの部活では悍ましい程のしばき主義が蔓延っているとも言われているようです。

    幕末明治期に欧州を見て廻った日本人達は教育方針をイギリスから学んだのでしょう。
    同時にしばき主義も導入されてそれが学校教育や軍隊にも採り入れられてしまったようです。
    しかし軍隊は虐待を禁じていましたが、鉄拳制裁は横行していたようです。

    それが戦後の学校教育にも入り込み、体罰や弱い者虐めが黙認されてしまい今に至っているようです。

    企業でも同じように導入されているようです。

    幾ら問題視されていても、それは仕方ないといまだに事の重要性が理解出来ない人がまだまだいるようです。

    最近では体罰はいけないものだと共有されて来たようですが。

    これもネットのお蔭ですね。

    逆に体罰やしばきを施す者が教えに導くことを放棄してしまっているように捉えられています。

    ある意味、ここからが本当の闘いでしょう。

    150年続く理不尽なしばき主義から訣別する時です。