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  • 「真名瀬の残照」

     夕暮れの 134 号線を葉山に向かっていた。後部座席の娘は窓の外を見つめて黄昏れている。これから大好きなバレエレッスンなのに元気がない。また学校で何かあったのだろうか。心配になって話し掛ける。   「黙ってて。今俳句考えてるから」  ぴしゃりとそう言われた。娘の中では今、俳句がちょっとしたブームらしい。  先日夕焼けを見たときに「秋の夕日に照る山もみじ」という歌詞を教えたのがきっかけになったようだ。秋。夕日。山。もみじ。別々の存在が太陽の力でひとつの色に溶け合っていく。鉛筆で文字を書いているうちにいつの間にかモノクロだと思い込んでいたのだろう。言葉が色を纏っていることに驚いていた。赤、青、黄色のクレヨンを使わなくても、緑、橙、紫という言葉を使わなくても、豊かな色彩を表現できることの愉しさを知ったようだ。  お腹空いた。喉渇いた。眠い。これは好き。あれは嫌い。生きていく為の道具だった言葉が人生を豊かにしてくれるものに進化している。成長を感じる。  御用邸を過ぎると信号のない細く曲がりくねった道が続く。しおさい公園。神奈川県立近代美術館。沈む夕日に追い掛けられるように走っ...

    1日前

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  • 「一日一漸」

       毎日何かひとつ締め切りがある ( それはとても感謝すべきくことだし、うれしいことだ ) 。本当は二つも三つもあるのだけれど、一日にひとつしかできない。若い頃は頭を切り替えて二つも三つもこなしていたような気もするのだけれど、ひとつの原稿に対する責任感や到達度が上がったからか、もしくはぼく自身のパフォーマンスが落ちたかで当時のようには行かない。    毎日向き合う原稿のそれぞれがまるで違う脳を使う。月曜には月曜のぼくがいて、火曜には火曜のぼくがいる。自分でも明確に書き分ける為にこれは小原信治の仕事、これは青葉薫の仕事と気がついたら区別するようになっていた。  頭を切り替えるには走るか、酒を呑むか、さもなくば眠るしかない。日をまたぐときは眠っている間にも思考が続いている。だから眠りが浅い。一方でクライアントに原稿を送ってしまった後は眠りが深い。翌日に直すことになっても自分の中では一度手放しているから客観的な作業として対応できる。  中には一度書いたら終わりではなく、小さな締め切りを何度も重ねてキャッチボールしながら紡いでいるものもある。一度潜水した場所に休憩を経てもう一度潜っ...

    3日前

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  • 「Your My Only Shinin' Star」

     同じ教室で一緒に勉強していたひとりがある朝突然いなくなったような喪失感があった。一度も話したことはなかったけど時折り振り返って髪を掻き上げながら鉛筆を走らせる俯いた顔や友達と笑い合っているのを盗み見ていた人―――。  翌日の朝、同じ1969 年生まれの同学年の方とオンラインで打ち合わせがあった。日本で生まれ育ち、今は外国で暮らしている方だ。 「ショックですよね」開口一番その方が言った。 「ショックですよね」ぼくも言った。  ただそれだけで色々なことが分かり合えた。  出会ったのは 15 歳の冬だ。 春からの高校生活は同じ年だった彼女の華々しいデビューとともに始まった。同学年のトップランナーを走り続けてきたひとりだった。   15 歳からの人生が走馬灯のように思い起こされた。  20代のとき「とんねるずのみなさんのおかげです」という番組で彼女にコントを書かせて頂いたことがあったのを思い出した。  2024年12月6日金曜。教室の机がひとつ空いてしまったような淋しさ がいつまでも消えなかった。

    5日前

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  • 「世の中には悪い奴もいるんだよ」

     娘が学校で泣いた。    失くした文房具が壊されて机の上に置かれていたそうだ。すぐに先生に訴えた。「心当たりのある人は正直に名乗り出るように」と先生は言った。「こんなに悲しいことはない」と。  誰からも手が挙がることはなかった。壊した本人でなくとも、机の上に置いた人物すらも名乗り出ることはなかったという。  悪気があるのかないのか。泣いている娘を見て、先生の話を聞いて、胸は痛んだのか。罪の意識は芽生えたのか。芽生えた罪悪感は小さな心にはまだ重すぎるのではないだろうか。  娘のことも心配だった。みんなの前で泣いたことが傷になっていないか。かわいそうと思われたことでプライドが傷ついていないか。  担任の先生からも電話で報告があった。子どもたちの未来のために今何をすべきかを深慮されていた。大人として分かり合えることも多かったが、決定的に分かり合えない部分もあった。子どもを傷つけられた親は性悪説で、傷ついた子どもも傷つけた子どももそれ以外の子どもも平等に見ている先生は性善説だということ。いじめは低年齢化している。小学校二年生がピークである。新聞などでそんな統計を...

    2024-12-06

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  • 「うたごえ」

     週末、鎌倉に合唱を聴きに出掛けた。義父が所属する合唱団の公演だ。メンバーのほとんどがシニア層。高齢者の合唱という光景にまたひとつアフターコロナを実感した。     2024 年、義父にとっては妻を、妻にとっては母を、娘にとっては祖母を、そしてぼくにとっても母親のひとりを亡くした一年だった。発病から数年に渡る闘病に寄り添ったことも手伝ってか、時間が経つに連れて喪失感が波のように何度も押し寄せてきた。昨日までのそんな日々のことが歌声の中に走馬灯のように甦ってきた。  泣けばいいんだ泣けばいい  ひとりのときは泣けばいい  中盤で歌われていたのは先日急逝された谷川俊太郎さんの作詞による合唱曲の数々だった。義母が亡くなった後、合唱団に加入した義父が歌うことで悲しみを乗り越えてきたことが伝わってくる。  後悔をくり返すことができる  だがくり返すことはできない  人の命をくり返すことはできない    長年人生を併走してきた伴侶を亡くした義父だけではない。共にステージで歌っているメンバーのひとり一人がいろいろなことを経て今このステージで歌っているのだと思う。  すべ...

    2024-12-04

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  • 「海はラブリーかい?」

     大竹海岸を訪れたのは 23 年振りだった。    茨城県鉾田市。長い海岸線沿いを走る国道 51 号線。潮で錆びた看板。放置されたままの廃屋や廃車。外国の田舎町のようなその風景に魅了されたのは 32 歳のときだった。 2001 年 7 月期の連続ドラマとしてテレビ朝日で放送された「早乙女タイフーン」。夏の海水浴場を舞台に活躍するライフセーバーたちの物語。その舞台に選ばれたのがこの大竹海岸だった。  キャストやスタッフの移動時間を考えると本当は東京から程近い湘南や千葉の海が良かったのだろうけど営業中の夏の海水浴場でドラマの撮影許可が降りることはなかった。けれどライフセービングというビーチカルチャーがオーストラリアの発祥であることを思うとやはり「いばらきのゴールドコースト」と呼ばれる大竹海岸以外に相応しい場所はなかったんだと思う。  脚本を書いたぼくも幾度となくこの海を訪れた。実際に執筆していた場所は横浜の自宅だったけれど最終話を脱稿するまでの半年間、精神はいつもライフセーバーたちと一緒にこの大竹の海にいた。彼らのひと夏の青春を海岸の上の方でいつも見守っていた。放送が終わった後もし...

    2024-12-02

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  • 「おおあらいでおおわらい」

     サメには軟骨しかないと知った。おまけに内臓を守る肋骨もないので腹部がウイークポイントだということも。サメの凶暴さはボディの弱さを隠す為のものなのかもしれない。解説を聞きながらシャークなんとかという名のボディが打たれ弱いハードパンチャーのボクサーを想像していた。    大洗水族館はサメの飼育に力を入れている施設だ。日本最多の 50 種類が展示されている。子どもが生まれてから水族館に行く回数が増えた。油壺。江ノ島。鴨川。そして、大洗。娘がいなかったら水族館なんてどこも同じだという認識で終わっていたと思う。 立地場所の海にどんな魚が生息しているかを再現してくれているのが興味深い。水族館のある町の居酒屋や寿司屋で地魚を注文する時の参考にもなる。旅先で刺盛りが運ばれて来たときに「これ今日、水族館で泳いでたね」なんて妻と盛り上がったりする。娘はぽかんと見ている。まあ、あまり良い使い方とは思えないけれど。  娘は今やぼくよりも魚に詳しい。「だって海っ子だもん」と知っている魚介の生態を解説してくれる。ぼくはうんうん、と聞いている。そういうときはいつも水槽の魚じゃなくて娘の横顔を見ている...

    2024-11-29

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  • 「最後の家族旅行」

     家族旅行の前日、母が救急車で搬送されたと救急隊員の方から連絡があった。仕事を放り出してすぐに指定された病院へ向かう。    車で走り出して 30 分もしないうちに今度は母本人から電話があった。 「タクシーで帰ります」  脳梗塞かと思いきや血圧が上がって目眩がしただけだったという。 「こんなことで救急車を呼ばないで下さいと先生に怒られました」  母は 80 歳だ。いつ何があってもおかしくない。  途中で高速を降りて自宅に戻る。心配していた娘が玄関まで走ってくる。 「おばあちゃんは?」 「何でもなかったよ。明日からの旅行も予定通りだよ」  妻も交えて旅をするのは一年振りだった。予てから茨城であんこう鍋が食べたいと言ってた妻のリクエストで大洗の温泉で一泊する予定だった。実は 2 月の終わりにも同じ店を予約していたのだが、前日に娘が発熱してキャンセルになっていた。  最後の家族旅行になるかもしれない。家族旅行のたびにそう思っている。前日の母の一件のように、明日は何があるかわからない。平和。健康。仕事。すべてがあるからこそ悠長に家族旅行もしていられる。三つが揃っていても娘が一...

    2024-11-27

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  • 「肉体と文体」

     自分の肉体が好きになれなかった。  ボクサーみたいな肉体に憧れていた。無駄のない、削ぎ落とされた肉体。 30 代のある時期ボクシングジムに通ったこともあった。自分には無理だった。そこまで自分を追い込むことができなかった。    自分の文体が好きになれなかった。  ヘミングウェイみたいなミニマルな文体に憧れていた。出来事だけが短い文節で淡々と描写されている。感情表現はない。ないからこそ想像力を掻き立てられる。心が揺り動かされる。そんな文体に。  このところ文字数制限のある仕事が続いた。限られた文字数の中に伝えるべきことと伝えたいことを綴る。どちらが多くてもいけない。どちらかだけでもいけない。初稿は文字数の二倍近くある。文字数に合わせて削ぎ落としていく。限られたスペースに私物を収めるみたいで楽しい。いらないものを処分していく。「この」「その」「そんな」。自分の文章に余計な指示詞がどれだけ多かったかを思い知る。  限られた文字数に収めることで結果的に文体が変わっていることに気づく。憧れた文体への片鱗のようなものを感じる。突き詰めれば。追い詰めれば。好きな文体を手に...

    2024-11-25

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  • 「昨日まで夏だったのに、今日はもう冬だ」

     昨日まで夏だったのに、今日はもう冬だ。昨日まで半袖だったのに、今日はもうダウンジャケットを着ている。   「今日ね、息が白かったんだよ」  学校から帰ってきた娘がうれしそうに言った。朝は「寒いよー」と泣きそうになりながら身を縮こまらせていたのに。  秋がほとんどなかった。里山の畑は大丈夫だろうか。長い秋に土はゆっくりと時間を掛けて冬の厳しい寒さに向けて地力を蓄えていく。暑い日射しが続いた後に突然霜が降りるような寒さという温度変化に土はついていけるのだろうか。夏に使い果たしたエネルギーを秋の間に蓄えた土は寒い冬になってもふかふかしている。準備不足のところにいきなりの冬。身を固くして割れてしまわないだろうか。里山の畑の土が人生の冬が突然訪れたキリギリスのように思えた。 「じゃじゃーん!」  夜、クリスマスツリーの後ろからサンタクロースの帽子を被った娘が現れた。 「子どもサンタの登場です!」  白い袋を抱えている。 「ちょっと早いけど寒くなったら登場しようと思ってたの」  袋の中にはぼくと妻への手紙と折り紙で作ったプレゼントが入っていた。  手紙には「いいこと、あ...

    2024-11-22

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