クリームソーダ16杯目、ポーカーを楽しみたいだけである。
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クリームソーダ16杯目、ポーカーを楽しみたいだけである。

2020-11-16 18:45
    どうもです。
    ポーカースタジアムだけでそれなりにブロマガを書いてきましたが。いっそnoteとかの方がいいのかなとも思いました。ただ、無料なら閲覧数わかるブロマガでいいし、有料は稚拙なものにお金積んでもらうのも申し訳ないので、結局ここです。

    後、私のブロマガは「自分はこう思ってるんだ」というのを「( ´_ゝ`)フ-ン」してもらいたいだけなので。 強さに直結する訳でもないですからね。


    今回の話は、ポーカースタジアムに限らず、ポーカー界隈全体に対しての話になります。
    一部強めの表現をしていますが、あらかじめご了承ください。
    ダラダラと長ったらしいので、面倒だったら太文字のあたりだけでも読んでください。


    割とよく目にするマイハンドというもの。
    自分の中で「このハンドは信頼してる」というものですね。信念に近いものでもあります。盲信とも言いますが。

    大体この話になると、皆そこまで強くないハンドを持ち上げるんですよね。77とかJKとか、もっと低いとこだと45sとか23o。
    その昔、私が初めてライブポーカーをした際、「ネギミクオールイン!」っていいながら39クラブスーテッドを開いてくる人がいました。それもまた一興だと思います。


    さて、私のマイハンドはAKです。時点がAQです。面白みも何も無いですね。
    いかがでしたか?今日はマイハンドについてのお話でした。この話が面白いと思った方は、高評価、ブロマガ登録をよろしくお願いします!それではまた次回!






    さすがに終わらないですよ、ええ。

    私の場合、マイハンドは特にというのがないのですが、1つだけこだわりが存在します。信念的部分は間違ってないですが、自分のハンドを信じるとかそういう類ではありません。

    絶対に仕留めると誓った相手のハンド

    これが、私にとってマイハンドに相当するものになります。先述のAKおよびAQについては、本気で叩きのめさなければならないと思っています。

    理解はされないと思いますし、意味不明と言われても仕方ないと思います。ただ、ここには私がポーカーに触れた9年前からほぼ変わらない価値観があります。

    ・マジョリティの権化
    執筆している2020/11時点で、私のブロマガを見ている物好きな人は、大半がポーカー関係の方かと思います。ニコ生カジノは最近顔見せすらできてないですし。
    その上で、ポーカー(ホールデム)をプレイする人なら、少なくとも1度は強いハンドのプレイの仕方や、その他戦術、確率に関するページを見たことがあると思います。

    それらのページで必ず話に出てくるハンドがあります。それが、AAとAKです。他にもありますが少なくともこの2つは100%だと思います。

    この2つのハンドは、少なくとも弱いハンドとしてではなく、強いハンドとして紹介されます。そして大抵の場合、3bet(プリフロリレイズ)やコンティニューベット等の話の例として使用されています。

    実際に勝てるかどうかは別として、強いアクションを取るべきハンドというのが共通認識となっているのは間違いないです。そして、この共通認識になっていることそのものが、個人的に許し難い「行動」に繋がるのです。


    ・マイノリティの糾弾
    ポーカースタジアムでの私を知っている人からすると想像できないかもしれませんが、ライブトーナメントに初めて出た頃の私はかなりタイトパッシブなプレイをしていました。その頃のあるワンシーン、DBでAKsを握った私は、プリフロップこそレイズしたものの、Qハイボードに対して一切のベットをすることなく、他プレイヤーもベットがないままショーダウンとなりました。結果的には全員ヒット無しでAKsが勝ったのですが、ショーダウン後に一人のプレイヤー(ザガンでレイズにコールしていた)からこう言われました。

    「何でベットしないの?”普通”コンティニューベット打つところじゃない?」

    少なくとも当時の私はライブポーカー初心者で、強めのハンドを握って緊張していた部分もあると思います。初心者であることが透けていたかもしれません。もしかしたら、親切心で言ってきたのかもしれません。ですが、よくよく考えたら”普通”とは何なんでしょうか。この人の意図している”普通”に沿っていないアクションは、必ずしも疑問をも持たれないといけないのでしょうか。

    これ以降、状況は違えど似たようなことは何度かありました。「何でそんなハンドでコールしてるんだよ」「どうして3betしなかったの?」「それは基本フォールドしない?」等々。それぞれの事象に共通していたのは、先にあげたネットのページ、あるいは書籍の類で書かれ戦略、基本から外れたプレイに対するものでした。そして、こちらからアクションについて質問したわけではなく、相手からいきなり上記の言葉を投げつけられるのです。
    つまりは、マイノリティに対する、マジョリティによる同調の強要でしかなかったのです。


    ・長期的プラスが欲しいとは言っていない
    結局のところ、AAやAKにおける推奨されるアクションというのは、長期的にそのハンドをプレイした場合に期待値が最も高くなるアクションになります。その上で、こういった事例では弱いハンドはレイズで蹴落としていることを前提としており、それらのハンドが参加したことによる負けについては事故として処理されがちなのです。
    しかし、ポーカーのプレイ頻度が少ない私にとっては、長期的なプラスを説かれても”今”勝てないなら何の意味もないのです。そしてリアルの場でこれを説いてくるのは、決まって長期的にプレイをしているプレイヤーであり、そこからするとイレギュラーなプレイヤーである自分を、意地でも同じ土俵に引き込みたいのだという本意が見えるのです。

    はっきり言って、長期的に見たらプラスになるアクションくらいある程度把握した上で、少ないポーカーの機会を楽しんでいます。オッズコールだってできるものならしたいですが、それをするとしばらくポーカーができるチャンスがなくなるのです。頻度低めのエンジョイ勢として、その場その場を楽しみたい、その上でアクションを選んでいるのです。


    それに対し、あたかも親切しているように偽善を振りかざし、教科書プレイを絶対正義として、自分の不確定要素を減らそうとする浅ましいプレイヤーが何と多いことか!


    失礼、少し言い過ぎですね。しかし、私にとってそういった他人のプレイングを否定する人は、楽しみを妨害する要素でしかないのです。こちらからどうしたらいいかを質問したならまだしも、突然自分のアクションを否定されるのは不快以外の何物でもありません。

    これは、本当に始めたての初心者にとっても同じだと思います。今目の前のゲームに勝ちたい、目の前のゲームを楽しみたいと思って始めたのに、いきなり確率が収束するまでプレイした時の話をされたところで、面白さは何も感じられないのではないでしょうか。ハンドのAがペアになるだけでも強気になっていた頃の楽しさを、長年プレイしている人は感じられるのでしょうか。そのギャップから生まれる説法は、テーブルの相手に対する親切心ではなく、ただの自己満足になりさがってしまうものではないかと思います。

    そもそも、「勝つ」ことを目的とした期待値の高い行動をしなかった相手に対しその行動を非難するような言動は、その非難したプレイヤーから見てただちに矛盾していると考えます。何故なら、同じテーブルにいる相手の期待値が低いなら自分の期待値は相対的に高くなり、結果自身の「勝つ 」という目的に近寄るのに、それをわざわざ否定して相手の期待値を高める行動を実質推奨しているからです。
    結局、同卓プレイヤーに対するアクション批判の本質は「負け=自己否定という認識から来る感情にまかせた突発行動」でしかないのです。



    ささやかなるマイノリティの抵抗
    別に私はお手本のようなプレイそのものが悪だとは思いませんし、それで収支がプラスになることも理解しています。続けられるだけの時間と資産があるなら、そうするほうが安定するでしょう。

    さて、冒頭の話に戻りますが、AAはどう考えても強いハンドなのでここに抗おうなんて考えていません。ですが、AKはヒットしなければ所詮ハイカードでしかなく、そのくせ3betやコンティニューベット、ブラフオールインを平気でしかけてきます。フォールドエクイティやハンドレンジを「学んだ」ら、そうするのが期待値が高いと理解しているからです。

    だからこそ、私はこの「学び」をめちゃくちゃに壊してやりたいと思っています。

    学びで考慮されることのなかったマイノリティから生み出される予定外の傷を与えること、それが私にとっての信念≒マイハンドであり、その最たるターゲットが教本の象徴とも言うべきAKというわけです。

    これは、私のささやかな抵抗です。過去に囚われた哀れな行動です。しかし、私は型にはめられるのが大嫌いなのです。その理由は、結局押し付けてくる側の自己満足であることがほとんどだったからです。自分のミスの要因を、他人が思い通りに動かないことに転嫁して、相手をただ責めたいだけだったからです。

    AKやAQに対するこの思考が利益的かと言われれば間違いなくNOですが、AKやAQはプレミアムハンドの中でも比較的アクションが透けやすいためとっ捕まえやすく、ブラフも大きめになるので最大限の利益を取ることもできます。(捕まえても引かれたらダメですが)
    このあたりの話は、前回記事のリンプインとローカードの話に通ずるところがあります。メンタル的には、こちらは負けてもそれが普通なので痛くない、相手は勝つのが普通だから負けると痛い、というローリスクハイリターンになります。そこからティルトを誘発させることでさらに利益を引き出すことも可能です。

    あくまでこれは私個人の考えでしかないですが、同卓してAKを握った際は私のやつあたりにお付き合いいただければと思います。ダメそうなら普通に降りますので。



    ということで、無理やりマイハンドに絡めて始めた話も以上になります。
    プロのように生死に直結するレベルでポーカーをしているなら基本プレイは完璧でないといけないと思いますが、楽しんでプレイしたいプレイヤーにとって「座学の強要」はポーカーを小難しいものにしてしまうだけだと思います。それをわかっていても、気づいたらルール外の用語祭りを回避できなくなりがちなのは、伝統的な対戦ゲーム故の障害だと私は感じます。
    感覚的には、将棋を始めたばかりの人に「アナグマ」を教えるようなものかなと。アナグマが何か知らないですけど。
    覚えたい人は自分から覚えようとしますし、自分から上手い人に聞きに行きますから、その「覚えたい」を引き出せるようにしていくことが、既存プレイヤーがすべきことなのかなと思います。

    今回はここまで。






    おまけ:ホールデム怖い話
    「ファイナルヘッズでハンドAAが配られてさ、相手がJJでオールインしてきたんだよ」
    「よかったじゃん、勝ったんだろ?」
    「よくねぇよ、ボードにQが4枚出て引き分けになったんだよ、最悪だろ?」
    「えっ」

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