-
この言葉だけは言わないで
ここを見てくれてありがとう。
今回は「禁止ワード」いう話をしよう。
もし知人や友人が「死にたい」と口にしたとき、決して口にしてはならない言葉がある。
うつ病に限らず心の病になってしまった場合や、そうでなくてもひどく落ち込んでいる状態でこれは言うのはやめた方がいいという言葉である。
これは竜崎流の考えなので、一人ひとり考えが違うのは当然だが、言ってしまったことのリスクは多分変わらないだろう。
「だらだらしないで頑張れ!」
→だらだらしているように見えるのか。もう十分頑張ったんだ、それ以上何を頑張ればいいんだ。
「私も辛いことあったよ」
→お前の武勇伝なんて聞きたくない。
「家族のことを考えて」
→家族のことなんて考えられるか。むしろ家族が自分の死を望んでいるかもしれないのに。
「じゃあ今すぐ死ねば?(できないだろうという予測の上で)」
→そうか、お前はそう望んでいたのか。じゃあ死んでやる、じゃあな。
etc...
死にたいと言われたらただ「辛かったね、どうしたの?」だけでいい。
変に理由や解決策を考えると相手をイライラさせてしまう。
友人から出た「死にたい」という言葉は、心の中からやっと出てきた悲鳴なのである。
足を骨折している人に松葉杖なしで歩け、と言っているぐらいに「頑張れ!」は聞いて辛い言葉である
ことだけは留意してほしい。
-
電話に繋がるまでかけ続けろ
前回は薬による自殺未遂の話をした。
楽な死に方に思える薬による自殺がどれだけ苦しいのかが伝わっていたのならいいなと思っている。
さて、何か悩み事があるが打ち明ける相手がいないという人もいることだろう。
そんな時は「いのちの電話」という手段がある。
県単位としてほとんどの地域でこのいのちの電話という窓口が存在する。
引きこもっていて友達もいない、親には呆れられてしまった、という場合でも電話さえあればどんな話題でも相談できる。
(しかし、あまり常識から遺脱した内容、例えばセクシャルハラスメントになるような性的な話題などはやめるべきである)
竜崎のいる地域では土日と毎月10日に窓口が開いている。地域によっては365日24時間やっていることもある。
自分の地域がどうなっているかはインターネットで調べてみよう。
(相談料自体はかからないが、通話料金がかかることに注意。毎月10日にはフリーダイヤルデーがある)
ただ、大きな問題が一つある。それは「繋がりにくさ」だ。
私も大幅な改善を望むが、需要が大きすぎて供給が間に合っていない状態のように思える。
何か秘技がある訳でもないし、かかるのを待つしかない。
しかし中には自殺する手段を手に持って電話をかけてくる者もいなくはないはずである。
「これが駄目なら、死のう」とまで思い詰めている人も同じくいるかもしれない。
そのような場合、方法は一つ。繋がるまでひたすらかけ続けろ。
これだけである。
家には再発信機能がある。
携帯電話には発信履歴がある。
フリーダイヤルデーの10日は特にそうだ。
とにかく飽きるまでかけ続けるのである。
「かからなかったら死のう」と思うぐらいなら、逆に「つながれ、つながれ、つながれ!!」と半ば無心になってかけ続けるのだ。
目安の回数は書かないが、とにかく繋がるまでかければよい。
受話器を戻す、取る、再発信ボタンを押す・・・を繰り返せば、絶対に繋がる。
無茶な話に見えるが、実は1、2回で「繋がらなかったし死のう」と思われるぐらいなら血まなこになってかけ続けてくれた方が彼らはそれでほっとする、かけた側も少しは落ち着くというものだ。以後、いのちの電話ができる範囲で改善されることを強く願う。
-
薬で自殺未遂したとき
ここを見てくれてありがとう。
さっそく私が経験した「薬による自殺の苦しみ」を述べようと思う。私は小学校中学校にいじめられ続けた。
理由は海外ひいきの親の方針で、外国の文化(しかも80年代の)に習う生活を半強制的に過ごすことになってしまった。
もちろん服装も違うのでからわれるし、それ以前にその言語を無理やり習得させようとしたためか日本語も外国語も中途半端になっていて、余計に笑われてしまったのは今も覚えている。高校に入り、陰気くさいいじめは日に日に消えていったものの、今度はうつ病にかかってしまった。
生きていて何か楽しいのかわからず、ご飯も土や粘土のようなものしか感じられず、生きているだけもったいないという思考にまで陥ってしまった。
最初は死ぬなどの思考すらなかった。
本当に生きたしかばねみたいものだった。ご飯も食べず、授業も聞かず、ただぼーっとしているだけで目はうつろ、焦点が合っていない。
そして私は考えた。
「こんなに苦しいなら生きる必要ないよな、死のうか」と。
実行日に手紙を書いた。葬式などはしないでくれと。
そして処方されていた薬を大量に飲んでそのまま意識が落ちるように眠った。
そして次の記憶はこの世とも思えない苦しさと、鼻の中の異物感だった。
鼻から管が挿入されていた。
動くたびに気持ち悪さと異物感が襲ってくる。
それからまた意識が消失した。次に意識があったのは病院の入り口。
入院はしなかったようだ。
何とか病院の端に自分を追いやり、肩を借りるようにへたり込んだ。
頭痛もする、意識ももうろうとしている。
車の後ろに管を通した後の気持ち悪さを感じながら横たわり、そのままだった布団に入った。
5日間ぐらいは、トイレの時だけもうろうした意識でトイレへ行き、また眠ってしまうということを繰り返していたようだ。
その際ご飯はまったく食べていない。
水すらも口にしなかった。
ちなみに自殺や自傷行為での医療費は、保険が全く効かない。
すべて実費になってしまう。
(だから入院ではなく家で療養することを親は選んだのだと思う)
どれだけかかるかはわからないが、好きなゲーム機を買うぐらいのお金は簡単に消失してしまうだろう。
(問題はお金などではなく、どれだけ苦しいかの問題である)
もしいじめに遭って死にたい、と思っている人がいたらこれを見てほしい。
私は死んでほしくはないなんて無責任なことは言えない。
ただこれだけ苦しんで死ぬのはどうかとは思うのだ。
少し想像力を動かして、ゾッとしたと思ったらその直感は正しいのである。
広告
1 / 2