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思い出の裏原宿(職業グラフィックデザイナーで、ノイジャーだった私)
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思い出の裏原宿(職業グラフィックデザイナーで、ノイジャーだった私)

2019-12-04 01:13
    今をさかのぼる所、30年前の私は、バブル絶頂期の最中、北池袋のグラフィックデザイン事務所で、支店長を務めていた。当時なんと20歳での大抜擢だが…というか…適当な人材が居なかったからだと思う。恐れ多くも全責任を負って、好き勝手にやっていた。その当時、サブカルチャー・ムーブメントが沸き、イカ天とかいうバンドブームでもあったが、私は日本のバンドにはこれぽっちも興味が無く、イギリスのノイズインダストリアル・ミュージックに固執していたし、先端を行く音を聞き、実際、バンドもやっていたので、日本の音楽シーンを見向きもしない若者だった。職場の取引先のの営業マン(G)と高校時代付き合っていた彼女の弟(Dr)と私(B)とで、北池袋の居酒屋で密会し、オルタネイティヴファンクバンドを結成することとなった。バンド名は、Urban Illuminatedで、訳すると都会の虚像で、渇いた都会人の心のすさみ方とか、出口のない感じを音にする!と息巻いて、スタジオライブ録音をしていた。メタル・パーカッションも用いて、ノイバウテンやテストデプトを意識してた時期もあった。
    ある時、FOOLS MATEというパンク雑誌に、原宿SMASHというパンクショップの広告を見つけて、今まで見た事のないジャケットやらパンツ、シャツ、自分の目に飛び込んで来たのは、どれも刺激で溢れていた商品だった。早速ヒロキ青年は、お店に足を運び、自分を売りこみに行った。お店の人間と仲良くなって、バンドの自主製作のカセットテープを売り込みに…。
    実際、行ってみると、ロンドンからの直輸入のノイズ系バンドのレコードやら、ベルギーのダークサイドエレクトロポップ系バンドのレコードやら、聞いた事ない音源が一杯あって、そのお店の虜になっていた。なによりも、お店の雰囲気が良かったし、店長の杉中氏のセンスに影響された一人だった。キャバレーボルテール・ワイヤーと言ったロックでなければ何でもいいと宣言したアートロックの先端を紹介してくれた。お店はJR原宿駅を降りて、竹下通りを抜けて、原宿の地元商店街を通り、ビクターの南青山スタジオ方面に足を運ぶと小さな公園が見えてくる。公園の横の左脇道に入る所に、原宿SMASHがマンションの一階の一室にあった。
    お店の入り口は、ピンクのビニール暖簾が、掛かっており、これまたパンクなのである。
    なんとお店の中に…夏なのに革ジャンを着ていた…あの!高島兄弟のアニキ『政宏』がいたのであった…!!!
    つづきは、また次回で…。
    キャブスのプロモです!↓御覧ください。

    Cabaret Voltaire: No Escape

    https://www.dailymotion.com/video/x2z3dmk



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