A:事実関係
24日衆院予算委で、安倍首相が、国家戦略特区を活用した加計学園の獣医学部新設計画の申請を知った時期などが新たな焦点に浮上。首相は政府の国家戦略特区諮問会議で加計学園を事業者とすることを正式決定した「今年1月20日」と明言。
B:この発言が何故問題か
1:首相と同学園の加計孝太郎理事長が2013年から16年に食事やゴルフを計14回するなどの仲(議員発言)
2:従来の国会答弁等との整合性
(1)「今年6月中旬の参院予算委で、社民党の福島瑞穂氏が加計学園の獣医学部新設計画について「いつから知っていたのか」と質問したのに対し、首相は「国家戦略特区ではなく構造改革特区で申請されたことについては私は承知していたが、その後に私は(特区諮問会議の)議長を務めているので、国家戦略特区に申請すれば私の知りうるところとなる」と答えていた。」
(2)質問主意書との関係
福
コメント
コメントを書く集団生活を営む社会においては、一定の道徳倫理による規律規範が必要である。皆が規律規範を守れば、刑罰などいらないから法律なども必要ないといえる。残念ながら、規律規範だけでは成り立たなくなっているから、法律により罰則規定を作っているといえる。
前提の条件である規律規範が欠けてくれば、加計学園など学校をつくる場合も、仲間で話し合い、行政を手足のように動かし、目的を遂行することになる。本来の官僚として、公僕意識があれば、反抗するのであるが、なんせ、人事権を握られているから、辞職をかけなければ抵抗できなくなる。このような社会は何と名付けたら良いのだろうか。
行政府の無責任体制だけではない。そう無責任社会の到来である。
①学校の「イジメ」は、どのように機能しているか。市町村、教育委員会、学校、父兄の無責任体制の犠牲者が生徒である。生徒のことをわがことと考えず、皆が保身に走っているのです。--個性のない子供たち、みんな一緒という集団になっているのです。
②障害者施設での障がい者が「社会に不要な人間」と位置付けられ殺害されたが、人間の深層意識に内在する差別意識を乗り越える方策が話し合われることなく、精神障害に対する偏見だけが横行している。ーー皆同じ弱い苦労を背負った人間であるという意識が欠けているのです
③集団的自衛権で、米国のために犠牲になるのは、自衛隊員、すなわち国民である。日本を守るのが重要な自衛隊員が、何故、米国のために遠い土地で死ななければならないか。あまりにも国民が無関心すぎる、ーー他人ごとでなく、自分のことという意識が欠けているのです。
このような、自己主張できない弱い立場の人を救おうとしない社会の到来は、日本に長く浸透している道徳倫理が崩れていく末期的症状なのでしょう。道徳倫理を守ることは、時間もかかるし難しい。壊すのは容易である。人間の道を教えず、体制社会に必要なテクニックだけを教え、その習熟度で評価する社会は、相手を思いやらないロボット化した人間社会でしかない。「イジメ」が日常化するのです。でも、ロボットに勝てない。人間の価値に対して、どう結末をつけるのだろうか。
私の判定では安倍夫妻は完敗。加計問題でも安倍氏が完敗。国民は既に安倍氏にノーを突き付けている。日本と米国の「奥の院」はどう考えるのだろうか?「奥の院」はどなたかの用語だが実に便利。
「国家権力」というのは、任期を獲得すれば即、それ自体が例外的存在たり得る。つまり、法規範外に自分を位置づけ存在し得るということだ。先日私が参照したアガンベン教授はそのように思索を行っている。つまり、法を破る。典型的な実例がナチだ。安倍氏たちの所作言動を観ているとミニナチを連想させその学理の正しさを証明しているとうなづかざるを得ない。
任期があるかぎり国民は手を出せない。せいぜい権力が無力視し唾棄しているデモをするしかない。有効なる手を出せるのは「奥の院」だけだ。国民にとって喫緊の関心は邪悪な「奥の院」が安倍政権が第一義的に担った使命を代わりの誰に託すかだ。国民の中の平和に敏感な層にはこれからが正念場だ。
ゴルフや会食を頻繁にしながら、お互いの仕事内容についてまったく話をしないということが、ストーリーとして可能であると考えるような人に「大脳」は必要ない。脊髄だけがあればよい。