「イタリアを席巻する“直接民主主義”」(月刊日本より抜粋)
イタリアの「五つ星運動」のリーダー、フラカーロ下院議員とのインタビュー
―現在、世界的に民主主義が行き詰っていますー
フラカーロ まさに五つ星運動は民主主義の危機に対して立ち上がりました。正確に言えば、代議員性民主主義が危機に陥っているのです。
市民は五年に一度、国政選挙で投票するしかない。政権与党は五年間、好き勝手なことをします。指をくわえて見ているしかありません。この無力感から政治不信が生まれます。そうではない。いま市民は良く知らない他人を代理人に選ぶのです。
本来、国会議員は市民に雇用された従業員です。想像してみて下さい。雇用主が従業員をコントロールできず、従業員が勝手に給料や労働時間を決めているとしたら、その会社は数日で倒産するに違いありません。国家も同じです。
問題はシンプルです。代表
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五つ母運動は全うな運動ですね。だが、無頓着で未開な日本民族には時期尚早のような気がするのですが。だって、一回大やけどしても反省しない鈍感な我々ですから。
この五つ星運動、植草一秀氏ブログで初めて知りました。
「本来、国会議員は市民に雇用された従業員です」-それが何故か「先生」呼ばわりされて踏ん反り返っている者が大概でしょう。更に国会議員社会もサル山の如くでボス猿が踏ん反り返っている。だから「わたくちが最高権力者」とほざくのまで出てくる。
フラカーロ氏の論は日本の一般市民もまさに聞きたかった説明でしょうが、またしても外国発とは。日本人の創造力、開拓力は更にジリ貧になっている気がします...と思ったものの、彼の趣旨は天木直人氏かねてよりのご志向とかなり重なっている。要は天木氏が用意された「原石」を あとは如何に磨き上げるかという問題でしょう。また、氏は折に触れ、共産党の主張は正しいが「共産党」を看板に掲げている限り広く浸透し得ないと言われますが、案外「憲法九条」という文言にさえ何となく抵抗感じる人が多いのではないでしょうか。「五つ星」からは ついアマゾンやミシュランを連想して、軽~い印象だ。
この運動が市民権を得ればスイスのように地方分権、地産地消も進み、孫崎さんが気に入るスポーツウエア上下も北海道ではフツーに売っている-ということも起こってくる。そこで講演をご依頼された際にその後の懇親会は丁重に辞退されてウエアを買いに行かれる...こうなれば楽しい。
こういう運動が勢いをもつというのは、それなりの個別具体的事情が背景にあるはずなのですから、イタリアにおけるそこのところを明らかにした上でさて日本ではと考えるのでなければ、愚劣な議論になります。
直接民主主義と間接民主主義はどちらかが絶対的に優れているというものではありません。今回の孫崎さんの記事を読んで、あ、やっぱり直接民主主義がいいのだと思い込む馬鹿ななひとびとが政治に強い影響をもつことを排除するためには、やはり間接民主主義も捨てがたいところがあります。
その議論はルソーの「全体意志」と「一般意志」との区別にまでさかのぼることができましょうが、われわれの日本国憲法も、前文の冒頭で「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し」と、明記して、日本は間接民主主義をとることを宣言しており、実際に国政においては直接民主主義的制度は、憲法改正の国民投票、最高裁裁判官の国民審査、地方自治特別法の住民投票のみっつしかありません。国政における直接民主主義は、日本では、政治運動としてはともかく制度として実装するのは、憲法改正が必要になるということになるわけです。
なぜこのように直接民主主義が慎重に排除されているのかを学ぶことこそが、日本が「日本民主主義人民共和国」にならないために必要な教養であろうとおもいます。
憲法改正の際、自衛のための軍事は認める。外国との軍事同盟を認めない。国民に問うというのはどうでしょう