中庸左派さん のコメント
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立花孝志氏霞が関で襲われる、左側頭部をナタで切られ救急搬送。こうした犯行をみるにつけ、日本は「憎悪」が社会的に認知され、それが政府・政権与党の後押しで形成されたこと、安倍首相、菅官房長官時代、異なる見解を持つ人間への露骨な攻撃。憎悪の拡散→暴力的行為への移行は容易に発生。 不思議なことに、日本社会はこの憎悪の拡散に反対する動きをさして示さなかった、 憎悪が充満する社会で、過激な行動が生ずるのは自然と言えよう。 A-1 読売「立花孝志氏が霞が関で襲われる、左側頭部をナタで切られ救急搬送…殺人未遂容疑の男「殺そうと思った」 14日午後5時10分頃、東京都千代田区霞が関の路上で、政治団体「NHKから国民を守る党」党首の立花孝志氏(57)が男に襲われ、左側頭部や耳、首をナタで切られて救急搬送された。命に別条はないという。警視庁は、自称・杉並区の無職の男(30)を殺人未遂容疑で現行犯逮捕し、現場からナタ(刃
それにしても、今回の事件で気になること。N党立花氏の政治や言論活動は、新聞やテレビ等の主流権威筋メディア或いはオールドメディアの見解や言説に比較して、少数派に属していると考えられる点だ。つまり、立花氏は日本の言論界や日本社会の主流に対して少数派だろう。その意味では、政治家というか政党党首と言っても失礼ながら、“権力“という点ではたかが知れている。どちらかというと、“一部“でカルト的人気を誇るアングラ政治家というカンジで、若干キワモノ扱いではなかろうか?ともかく、政治的少数派であることは間違いない。
私はここ数年特に、政治的少数派という自らの立ち位置を自覚しているため、同類的関心から立花氏の発言や行動には注目していた。勿論、是々非々ではある。
で、何が言いたいかというと、今回のテロ、犯人は立花氏が兵庫県議を自死に追いやったことが許せなかった、と言っているらしいが、これは立花氏に関して主流権威筋メディアが流しているイメージそのものだな、と。
兵庫県知事選や兵庫県知事のパワハラ疑惑を、主流権威筋メディアは大々的に報じてきた。そこには“悪役“もハッキリ色分けされて描かれていた。その一連の政治劇の中で、悪役を追及する県議らと主流権威筋メディア、対して、悪役側に味方する立花氏やネット民の対立の構図が生まれた。結果的に、県議批判の急先鋒だった立花氏は、自死した県議を追い込んだ下手人として主流権威筋メディアに描かれた。
私は真実は知らないし、特に兵庫県知事を巡る一連の問題を調べて自分の見解を持っているわけではない。
言えることは、主流権威筋メディアつまり多数派言説は、明らかに立花氏が兵庫県議を自死に追いやった“悪役“として描いた。その“悪役“としての立花氏を鵜呑みにした短絡的正義感の徒がテロに走った。
要するに、今回のテロは多数派言説が少数派言説を封じ込めるためにテロを仕掛けたように見える。この背景には、主流権威筋メディアの度しがたい「大本営発表」があると思われる。悪役が誰か、ハッキリ切り口を決めて一糸乱れぬ全体主義的報道を垂れ流し、報道の受け手をほぼ「洗脳」するかのやり口。これは、mRNAワクチンやロシアの特別軍事作戦の報道でも同様の異論を無視した全体主義報道、全てのメディアが同じ言説を語る手法である。
ある政治事案に関して、メディアが一致して全体主義的に特定勢力や人物を異論を無視して悪役に仕立てるのは、危険だし、メディアとしての役割放棄ではないか?異論、反論を相互に戦わせるべき言論界、新聞、テレビ等の主流権威筋メディアが「大本営発表」を止めなければ、今回のようなテロはまた発生するかもしれない。少数意見がテロによって封じられることはあってはならない。
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