1:高市総裁と公明党の斉藤鉄夫代表は10日、国会内で連立巡り会談。「政治とカネ」をめぐり折り合わず、斉藤氏は連立政権を離脱する意向を高市氏に伝えた。
2:公明党は4日の党首会談で①政治とカネの問題②靖国神社参拝を含む歴史認識③過度な外国人排斥――の3つの懸念を伝えていた。7日に再び会談し、歴史認識や外国人政策はおおむね認識を共有した。
3:今次決裂の背景には、総裁選挙の見返りとして、党運営の実権を相当程度麻生氏に渡してしまったことがある。
現在決定している人事は党関係だけである。。党四役では、幹事長に鈴木俊一総務会長、総務会長に有村治子・元女性活躍相、政調会長に小林鷹之・元経済安全保障相、選挙対策委員長に古屋圭司・元国家公安委員長をそれぞれ起用した。麻生太郎最高顧問は副総裁に充てた。鈴木・有村両氏は麻生派に所属する。
この時点では、麻生派以外の影響力はほとんどない。古屋圭司氏は裏金問題等で動けない。
麻生氏は従来より、公明党の母体創価学会を癌と酷評している。かつ企業献金の制限には、従来より最も強く反対している。
高市体制で、麻生氏に頼る偏在がなければ、この決裂は避けられたかもしれない。
4:現在すでに自民党は参議院、衆議院で過半数を有していない。ここから公明党の離脱である。先行きの運営は極めて難しい。
5;麻生氏等は国民民主との連携を考えていたと思う。確かに国民と公明を入れ替えるとすると、若干国民の方が数的に議員数で上である。だが連合は、国民民主の連立入りに反対している。そのことは、自民党は個別案件ごとに、過半数取り付けに動かなければならない。とても国民民主が公明党の穴御目をする訳にはいかない。
6:公明は本来的に安全保障では平和、社会問題では弱者寄りで、自民党の安全保障で米国追随、経済で大企業優先ではない。本来的には自民党の安全保障で米国追随、経済で大企業優先でない層が自民党との連立ということで発言力がそがれていたが、この層が、米国追随、経済で大企業優先に反対する動きに参画する。日本の政治が大きくくぁるであろう。
A;今後に与える影響、離脱の意義
A-1 朝日
「公明党が自民党との連立政権からの離脱を表明したことで、衆院の多数派はどうなるのか――。与党の自公がもともと過半数を割る異常事態の中、国会は極めて複雑な状況に陥る。実現の可能性は低いものの、数の上では自民の高市早苗総裁が新首相に選ばれない可能性すらある。
首相指名選挙は衆参両院の本会議で行われ、投票総数の過半数を得た議員が首相に選出される。初回投票で誰も過半数が得られなければ、1位と2位の決選投票となり、多数票を得た議員が首相となる。
A-2日経「自公両党の連立は1999年10月に始まった。野党時代をはさんで26年間続いてきた。
・斎藤氏は、首相指名選挙では「斉藤鉄夫」と記すと説明した。」
・斉藤氏は閣外協力を否定し、野党の立場になるとの見解を示した。
・斉藤氏は自民党との選挙協力は「人物本位、政策本位だ」と話した。衆院小選挙区で相互に推薦はしないと言明した。
A-2 毎日
連立政権を共に担ってきた自民党と公明党は、四半世紀にわたる関係を見直すこととなった。平成以降の日本政治史の大きな転換点となる。
1965年に国政進出した公明は、平和、大衆福祉、クリーンを掲げ、野党として活動してきた。
1人しか当選しない小選挙区の候補者を自民と公明ですみ分けた上で、大半を占める公明が立候補しない選挙区で公明支持者が自民候補を支援する見返りに、自民候補は「比例は公明」と呼び掛けた。
1選挙区2万~3万票といわれる公明票が、勝敗の行方を左右し存在感を高めた。公明も比例票を伸ばし、2005年は過去最多の898万票を獲得した。
09年衆院選で自公が大敗して民主党政権が誕生したものの、12年に自公が政権復帰し、歴代最長を記録した第2次安倍晋三政権を支えた。
安全保障で自公にきしみも
だが、きしみも生じた。…
A-3 時事1965年に国政進出した公明は、平和、大衆福祉、クリーンを掲げ、野党として活動してきた。
26年間続いた自公の協力体制解消は、日本政治の大きな転換点となる。
近く召集される臨時国会の首相指名選挙で、高市氏が選出されるかは不透明となり、与野党の駆け引きが激化しそうだ。
A-3東京:自民党と公明党による連立政権は、1999年10月に小渕恵三内閣の下で、小沢一郎氏が率いる自由党も加えた「自自公」の枠組みで発足した。
その後、自由党の離脱と、自由党から分裂した保守党(後に保守新党と改称)の合流で「自公保」連立となり、2003年に保守新党が自民党に吸収されて現在に続く「自公」連立となった。
「自自公」連立時代の(左から)自由党の小沢一郎党首、自民党総裁の小渕恵三首相、公明党の神崎武法代表=2000年4月1日、首相官邸で
自公両党の関係は民主党政権時代(2009年9月~2012年12月)も維持され、与党復帰後は再び連立政権を担ってきた。
衆院選では、公明党が各小選挙区で自民党候補を推薦する代わりに、自民党が比例代表で公明党への投票を呼びかける形で、選挙協力も深めてきた。
公明党は、自民党が右派的な政策を進めようとした際の「ブレーキ役」として期待されてきた半面、自民党に逆らえない「下駄(げた)の雪」と揶揄(やゆ)されることもしばしばあった。
A-4:26年の自公連立 公明は選挙協力背景に政策実現 ブレーキ役も
B:離脱の経緯
B-1高市総裁の発言は以下の通り。――自公党首会談について「何かを決めるとかそういうことではなく、地方から聞いた声をお伝えするというのが今日の議題。しかしながら、本日公明党からは、政治資金規正法の改正に関する公明党案についてこの場で賛否を示すように求められました。。今日私が1人で、もしくは私と幹事長だけで、政治資金規正法の細部に至るまでを決めて帰ったらそれはまさに独裁でございますんで、それは私はいたしません。やはり党内の手続きをきちっと踏まなければ、他党と協議するにしても責任のある自民党の姿勢ってのは示せません」(読売)
B-2 日経「自公党首は国会内でおよそ1時間半会談した。両幹事長が同席した。企業・団体献金の規制強化について高市氏が回答を保留し、公明党は「政治とカネ」の対応を不十分だとみなした。」
「公明党はこれまで企業・団体献金を受けることができる政治団体を絞る案を求めた。高市氏は「党内に持ち帰って協議し、手続きにのっとって速やかに対応したい」と答えた。」
・斉藤氏が政治資金収支報告書への不記載問題について「すでに決着済みとの姿勢は国民の感情とかけ離れている。これでは政治への信頼回復はおぼつかない」と批判した。自民党幹事長代行に就任した萩生田光一氏を念頭に「秘書が略式起訴された新たな事柄も起こっている」と言及した。一層の全容解明やけじめが必要との認識を示した。「自民党の不祥事を国民に説明し、応援することに地方議員を含め限界が来ている」と強調した。
公明党は4日の党首会談で①政治とカネの問題②靖国神社参拝を含む歴史認識③過度な外国人排斥――の3つの懸念を伝えていた。7日に再び会談し、歴史認識や外国人政策はおおむね認識を共有した。
公明党は受け取れる政治団体を党本部や都道府県連に絞る案を迫った。自民党は党支部を受け皿から除外すれば地方議員への影響が大きいため反対意見が強い。
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