NYT:日本はいかにして大地震による死者を最小限に抑えたか
10年前に甚大な被害をもたらした地震の経験を経て、熊本は耐震建築の整備を進め、住民への捜索・救助訓練も実施してきた。
先週、日本の南西部をマグニチュード6.8の地震が襲った際、その揺れの強さは、都市を壊滅させ、数百人から数千人もの命を奪いかねない規模のものだった。
 しかし、九州全域を見渡すと、激しい揺れによる建物の倒壊や甚大な被害は数百棟にとどまった。地震発生から1週間後の時点で、死者数は38人であった。
 震源に近い熊本県において、地震学者や地元当局は、死者数を抑えられた要因として、10年前に得た「痛恨の教訓」を挙げている。当時、同規模の地震が立て続けにこの地域を襲い、8,000棟以上の建物が倒壊し、最終的に270人以上が犠牲となったからだ。
専門家によると、今回の熊本地震は、揺れの強さ、震源の浅さ、そして人口密集地に近いという点で、6月にベネズエラで発生し、沿岸地域を壊滅させ6,000人以上の死者を出した地震と多くの共通点があった。
八代市にある高架高速道路。この構造物は、地震の際に一部のみが崩落するように設計されていた。
「しかし、死傷者数には大きな違いが見られます」と、カナダ・ウェスタン大学の地震工学教授、合田勝一郎氏は指摘。2016年の地震発生後に熊本で現地調査を行った合田氏は、この違いの大きな要因として、同県が過去10年間にわたり、数百億ドルを投じた耐震化などを含め、どのように復興・整備を進めてきたかを挙げている。
 先週の災害発生後、私は同僚2人と共に熊本県内各地を回わった。被害は地域全体に広がっており、木造住宅の倒壊や道路の歪みが見られたほか、地震後のガス爆発で内部が焼失したショッピングセンターが廃墟と化していた。
 しかし、耐震化された市街地や橋、住宅から、捜索・救助の訓練を受けた地域社会に至るまで、最悪の事態に備えて万全の準備がなされていたことを示す明確な兆候もまた、そこにはあった。
不可欠なインフラ
こうした備えのあり方を最も如実に示す事例として、震源近くに位置する人口35000人の都市、宇土市が挙げられる。2016年の地震の際、同市の5階建ての市庁舎が歪んで一部倒壊し、災害対応の調整を担うべき市職員は、極めて重要な初動の数日間、その機能を十分に果たせなくなった。
2016年の地震で甚大な被害を受けた宇土市役所は、免震技術を採用して建て替えられた。2023年に開庁した新庁舎は、激しい地震にも耐え抜くよう特別に設計されたものである。先週発生した地震では震源地が5マイル(約8キロ)以内という近距離にあったにもかかわらず、コンクリート製の構造体や広範囲にわたるガラス窓に損傷は見られなかった。
 建物の無事を支えた秘密の一つが、その足元にある「免震構造」だ。基礎と上部建物の間にある薄暗い地下空間では、ゴムと鋼鉄を組み合わせた装置が地震のエネルギーを吸収・分散させていた。これにより、地面が揺れ動く一方で、建物本体は比較的静止した状態を保つことができたのである。
 先週の金曜日、市の施設は活気に満ちていた。宇土市の多くの地域で断水が続いていたため、住民は屋外の井戸から水を汲み、地元のバスケットボールチームが列に並ぶ人々にボトル入り飲料を配っていた。施設内では、避難を余儀なくされた住民たちが、空調の効いたアトリウムで過ごしていた。
地域での訓練
熊本県内の各地で、地域のリーダーたちは、2016年の地震を受けて、緊急支援部隊が到着するまでの数時間に機能する地域対応ネットワークを強化してきたと語った。
緑色の床の屋内施設。積み上げられた段ボール箱やボトル入り飲料水のパックがあり、オレンジ色のベストを着た人々が物資を運んでいる。
八代市の住民のもとへ、ボランティアが物資を届けた。
先週の地震で最も大きな被害を受けた都市の一つである八代市では、避難所の運営を担う2人の保育士が、計画的に行われた災害対応の様子を語った。。彼らは毎年、緊急時の役割分担を決めており、市職員からの連絡を待つよりも先に地元の学校へ出向き、活動を開始していた。
10年前の出来事を踏まえ、私たちは皆、その計画を真剣に受け止めていました」と、教員の一人である宮崎あゆみさんは語った。
 熊本県の中東部に位置する西原村は、山あいや田んぼの間を縫う道の先にあり、全住民を対象とした本格的な防災訓練を2年ごとに行っている。住民たちは、活断層の真上に住んでいるため、いつかは必ず大地震が起きると教えられて育ったという。
 その現実は2016年に訪れた。西原村はこの地域で最大規模となった地震の震源地となった。大切畑(おおぎりはた)地区では、ほぼすべての家屋が倒壊し、9人の住民が閉じ込められた。元地区長の坂田哲也さんは、当時の集落の様子を「まるで爆弾が投下され、すべてが平らにならされたかのようだった」と振り返る。
2016年の地震で甚大な被害を受けた西原村は、地震や土砂崩れに強い村として再建された。
その災害のわずか1年前、村の防災訓練では、模擬家屋の屋根を切断して閉じ込められた被災者を救出する訓練が行われていた。実際の地震が発生した際、住民たちは家から家へと駆け回り、瓦を剥がして救助隊員が進入するための入り口を切り開いた。閉じ込められた住民は全員が生還し、西原村は「奇跡の村」と呼ばれるようになった。
住宅の耐震基準
熊本の強靭さは、住宅に施された目に見えない技術的工夫にも大きく支えられている。
震源に最も近い道路を4日間にわたって車で走ると、明らかな違いが目に飛び込んできた。倒壊した家屋のほぼすべてが、古くからの伝統的な木造住宅。一方、現代的な住宅や最近建てられた建物は、ほとんど無傷のよう。
 日本は国全体として、世界で最も厳しい耐震基準。鉄筋で固定されたコンクリート基礎や、建物の骨組みを強固に接合する頑丈な金属製金具を採用するなど、現代の建物は激しい揺れに耐えられるよう設​​計。
 2016年の災害以降、熊本県や各自治体は、老朽化し​​た木造住宅の補強や、重い陶器製瓦から軽量な素材への葺き替えを行う住宅所有者に対し、改修費用の助成を行ってきた。
2024年までに、熊本県内の建物の約90%が国の公式な耐震基準を満たすようになっていた。地震の専門家によれば、このことが功を奏し、地盤が不安定な地域(西原村近郊の寺院関係者が「豆腐のような硬さ」と表現したような地盤)であっても、大多数の住宅が2026年の地震に耐え抜くことができたという。
 「基準に沿って適切に建てられた住宅は、地震の際にも持ちこたえました」と、地震専門家の合田氏は語る。先週の揺れの後、これほど多くの住宅が倒壊せずに残っ​​たという事実は、「改善が進んでいること」を如実に示している。
 今後の課題
熊本地震による直接的な被害は懸念されたほど甚大ではなかったものの、依然として課題は残されている。
物資不足の中で、地域に深く根付いた「互助」の精神が力を発揮。八代市の避難所では、中学生のボランティアが受付を担当し、到着した人々の対応にあたった。屋外では、支援団体が弁当を配布していた。
宇土市の三井市長は、他者を助け合う文化は日本全国に見られるものだが、過去に災害を経験した地域では特にその精神が根付いているのではないかと語った。先週地震が発生した際、「『またか』という思いが即座に頭をよぎったが、以前にも経験しているからこそ、互いにどう支え合えばよいかも分かっている」と市長は述べた。
 「私たちや市役所の職員に頼るのではなく、住民同士が助け合い、水や食料を届け合っています」と三井市長は言う。「それが死傷者数に直接関係しているかどうかは分かりませんが、そうした要素は大きいと思います」