PHP『日本の「情報と外交」』の第四章「まず大国(米国)の優先順位を知れ、地域がこれにどう当てはまる?」から。

(戦後の世界史の中で最も大きい事件の一つがベルリンの壁の崩壊である。この実現にはしられざる裏面史がある)

 「ベルリンの壁の崩壊」は次の流れをとった。

一九八九年一一月一〇日東ドイツ政府の決定をうけて、東西ドイツ間の門が開放され、自由に交流が出来るようになった。夜になると東ドイツ市民はハンマーなどを持ち出し、壁の撤去作業を開始した。ベルリンの壁崩壊から一年も経たない一九九〇年一〇月三日東西ドイツは正式に統一されることになった。

 これ位重要な事件であるが、外務省のどこを探しても、ベルリンの壁の崩壊を予測したものはない。それどころか、当時日本の在東独大使館報告は「東独政府は基本的に安定。大きな変化はない」としている。

 当時在東独大使館などがベルリンの壁の崩壊を予測できな