5月22日読谷村での講演に出かけた。
読谷村は沖縄でも、かなり特異な存在である。
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人口4万人余り(2011年5月)。日本で最も大きい村である。村長さんに何故「村」でいるのですかと問うと、「市→町→村の順に偉いわけではない。村としての共同体を守ってきたし、それを大事にしたい」
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米軍基地と深い関係にある。
第2次大戦時、米軍は読谷村を通じて上陸。
米軍は沖縄本島上陸後、読谷村全域を占領し、戦後も村民は自らの村(土地)に帰ることが許されず、収容所生活
占領時(1946年11月20日頃)、村土の約95%が米軍占領地
講和条約が発効した1952年4月28日米軍基地が村土の約80%
復帰時点1972年5月15日現在のもので、村土の約73%
2006年7月31日、読谷飛行場の一部約140ヘクタールが返還。村土の約40%を米軍基地(弾薬庫)
ヘリポート
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日本人の特質であるが、「自分さえ助かれば、他人のことはどうでもいい」、この考え方が変わらない限り、世界の中の不思議な特殊な社会から脱却できない。
此の論理では、数の多い人が数の少ない人を虐げる、強いものが弱いものを虐げるので、大企業が中小企業をイジメ、健常者が障害者を邪魔者扱いをする、同じ生きている社会にあって、差別を受けるだけでなく、この世に存在することが罪悪のような見方をする。
沖縄は、生活するところに居住しているのでなく、基地の中で生活しているようなものである。いつも戦争を意識して生活する、米軍、自衛隊の兵士と同じ意識を毎日持ちながら生活する、この異常性を異常性と意識できない本土の人間は、人間であって、人間ではない。人間の顔をしているが、心は餓鬼畜生なのでしょう。沖縄の人は、米国より政府、本土の人間に怒っていると見るのが正しいのではないか。
>>1
全くその通りです。あなたのコメントに大賛成です。
私は本土の人間はあかんから独立しなさいと沖縄人に呼びかけてますが、皆さん平和的ないい人ばかりでなかなかそういう風にラデイカルにならないんです。せめて「尖閣は琉球王国の領土でなかった」と呟いてほしいのですけど、そういうことも自粛してはるのですは。